葉

湯が島鉱山
探索 2007年8月8日   
 
近くて遠かった湯が島鉱山
 湯が島鉱山のことは、他のサイトで見て知っていた。だが、地理の不案内な中伊豆のこと。まだ通ったことのない県道天城−西伊豆線は、私にとって遠かった。

 しかし2007年8月8日。持越鉱山を訪ねたその足で、帰り道途中に位置する湯が島鉱山に寄ってみた。
 下の画像は、天城湯ヶ島方面から湯が島鉱山のある一帯を見たところだ。「中外鉱業株式会社」の看板の上向こうに湯が島鉱山がある。


      持越川を渡った所の分岐  ここだったんだなー、という感じだ

 これが、県道から見えるホッパー。小屋の向こうにコンクリート製の槽があり、下にトラックが入って荷台に鉱石を受け止めるような構造になっているようだ。


      こんなにツタに覆われては、往時の姿を想像することはできない

 平成元年に天城湯ヶ島町(当時)が掲げた「伊豆の金山(カナヤマ)」の案内板。ここで説明している金山は湯が島鉱山だけでなく、この辺り一帯で開発された金鉱山全般を指すと書かれている。ということは、湯が島や持越以外にもいくつかの鉱山があったと言うことになろう。

関心、大! である。



湯が島坑
 看板の脇にある坂道を車で上り、ゲートボール場に来た。
 湯が島鉱山を紹介しているサイトを拝見すると、先のホッパーと、このゲートボール場にある湯が島坑の坑道、そして既に取り壊された管理棟を紹介しているページがほとんどだ。


      中央が湯が島坑  左の建物は供用が終わった地震観測施設

  湯が島坑は、湧水の量が極めて多い。そのためか、坑道に新たな水路工事を施したようで、トロ線や支保坑などの設備は見ることができない。



  ポータルのアーチと、それに取り付けられた「湯が島坑」の扁額だけが稼働時の姿を伝えている。


          赤黒く錆びた扁額  「湯ヶ島坑」と書いてある

意外や意外の…
 しかしここに案内してくれたS川隊長は、長靴や帽子など、装備を調えている。えっ、湯が島坑を見るなら、もう十分ではないの?

「インクラインの跡があるからさー、登るよ。」

えええっ?! インクラインがある?

こんな小さな鉱山に?

 またまた、隊長は〜、と、私は初め、彼がふざけているのかと思った。だって、いましがた持越鉱山の延長百数mという壮大なインクラインを見てきたばかりだ。湯が島鉱山は今私の目の前にある施設跡が全てじゃん。インクラインがあったなんて、そんなことにわかには信じられない。

 しかし隊長の指す先の山肌には、確かに連続する窪みがついており、そのずっと上にはV字型の、明らかに人の手が加えられた形の遺構らしき突堤がある。

U字型の窪み!

人工の突堤!


インクラインが存在するというのは、本当のことなのか・・・
 
 実は、ここが湯が島鉱山の本当の姿を知る始まりだった。ゲートボール場にある湯が島坑は鉱山全体の一部であり、今始まったばかりの探索の序章に過ぎなかったのだ。

以降、徐々に湯が島鉱山の姿が明らかになっていく。


    本当だ! 斜面につけられたU字型の遺溝がある  インクライン跡だ!

 インクライン途中のプラットフォームを、登っていくS川隊長の背丈と比べて頂きたい。それが立派な遺構であることがお分かりになるだろう。


        あれはまさしくプラットフォーム跡! すごいぞ!

 先を行く隊長の後ろ姿を追い、私も急いだ。しかし伐採された竹の浸食がすごく、滑りやすい路面と相まって非常に歩きにくい。おまけにイノシシ除けだろうか、黒い網が仕掛けてあり、足が引っかかる。 


        30mほど登り、途中のプラットフォームまで登ってきた

水平筋先の平場
 ズルズルと滑るインクライン跡を登り、途中のプラットフォームまで来た。更に上を仰ぐと、上の方に黒い屋根の小屋が見える。これまでの経験からして、あれは動力小屋かもしれない。行ってみよう。後で必ず行ってみよう。そう思った。

 途中のプラットフォームは、水平道と交差している。S川隊長は奥に導かれるようにして歩いていく。私も撮影しつつ、遅れて着いていく。

 途中に電力小屋を取り壊した跡(たぶん変電施設を収めてあったのだろう、というのが隊長の見立てだ)があり、その奥の薮を突き破って歩を進めると、平らになった広い所があった。そこで見たものは…。


         変電室跡を越えて行った先には平場があり…

謎の発動機
広場にあったのは、謎の発動機である。


      ぽつんと残された発動機  その朽ちたひどく淋しげに見えた

 おそらくは、小屋の中に置かれて、何らかの仕事に供されていたと思うが、出力軸の先にはもはや何もなく、ベルトも外れて、ぽつんと取り残されているだけである。周囲にこの機械が設置された理由の手がかりになる物が見られればよいのだが、それもないようだ。

ズリ捨て場を登って
 この発動機のすぐ裏には、山の斜面が迫っている。それを登っていく隊長。と、気がつくと、それは雑草で覆われているが、実は鉱石が積み重なったズリ山なのであった。

 ごろごろ滑るズリに足を取られながら登り詰めると、そこにはまた広場があった。そして暗い木立の中に見えたのは…

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キ、

キ、

キ、
キタ
━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━ !!




             こんなところにこんな建物がァ!  

 古い建物は、一見して廃屋だと分かった。診療所か、事務所か、山仕事の作業小屋か…。そんな印象を受けた。しかしそれは、まさしく湯が島鉱山の施設に他ならなかった。湯が島鉱山はこんな広い鉱区を有する鉱山だったのだ。それは私にとって、まさに目から鱗の落ちる驚愕の事実であった。湯が島鉱山の真の姿を見る思いだった。

コンプレッサーを収めた建物
 かなり大きな建物である。しかしすでに戸やガラス戸は失われ、柱が傾いている。骨材の入った壁を持たない構造で作ってあるので、斜めの入力に対する強度が不足しているのだろう。屋根の重みに耐えきれず、徐々に建物全体が傾いているのだ。

 注意を払いながら、足を踏み入れた。それは、坑道に空気を送るコンプレッサーが据えられた小屋であった。


       建物全体が傾いている  崩壊する日も近かろう


        建物の裏には、エアボンベが立っている

縦に長い建物の中に、黒く油に染まった基礎や機械が見えた。これはすごい!
 

   手前の基礎からだけはコンプレッサーが撤去されている  作業途中で放棄された?

建物の中央に立ってみた。奥の機械は健在である。メンテすれば動きそうな感じすらする。


         3基あるうちの真ん中とその向こうの機械だ

この重量感はどうだろう。これが鉱夫達の命を握っていた、まさに“鉱山の心臓”なのだ。


        中央の機械は分解されて半分ほど残っている

一番奥の機械は、大小のプーリーにベルトを掛けたまま止まっている。




 下の画像は一番手前の基礎を振り返って写したところだ。コンプレッサーは外されて、他の鉱山に転用されたのだろうか。それともくず鉄としてリサイクルされたのか。




 これらの機械を目の当たりにした時はただ驚愕するのみだったが、よく考えれば、これだけのコンプレッサーを備えていたということは、かなりの量の空気の供給を必要としていたということになる。それほどの規模を誇る鉱山だったと言うことなのだ。ここ、湯が島鉱山は!

延びる線路の先には
 建物を出てだんだん薄暗くなってきた周囲を探索する。

 と、レールだ! もしかして、と思って探してみると、コンプレッサー小屋の前には、枯れ葉に埋もれてレールがあった。枕木は埋もれてレールのみが見えているが、そこには紛れもないトロッコのレールが残っていたのだ。


       既に枕木は落ち葉に埋もれているが、紛れもなくレールだ

 そのレールはどこに延びているのだろう。奥の方に辿っていくと、暗い山裾に、鉄格子で封鎖された坑口があった。


       レールの先を辿ると、赤く錆びた鉄柵をもつ坑口が!

 湯が島鉱山の坑道は、ゲートボール場にあるそれだけではなかったのだ。

こここそが、湯が島鉱山の中心部!

 しかし錆びた鉄格子に坑門のアーチはない。ひどく荒れた印象だ。


         錆びた扉が淋しさを増幅している

 中を覗くと、この通り。鉄の支保坑に天板を渡して落盤を防いでいるが、盤圧はそれを凌ぎ、すでにあちこちで崩落を許している。トロッコの線路はもはや見えず、危険な香りがぷんぷん漂っている。でもよく見ると、この支保坑は…?


    これほど荒れた坑道も珍しかろう でもこの支保坑は、レールでは!?

大いなる誤謬
 一方、坑口前からコンプレッサー小屋の前を通って明るい方に延びているレールもある。

 実はこちらのレールの方が先に目に留まったのだが、その先は平場がレールと共に崩れているように見え、また廃材なども置いてあったので、レールはここで途切れているものと思っていたのだ。

 しかしそれは私の大きな間違いだった。そしてここから湯が島鉱山は更なる“真の姿”を表すのだった!


        レールが途切れているように見えたのだが…


          「湯が島鉱山〜その2」に続く
                                             
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