道標の謎
八木山と須郷を隔てる山塊の尾根筋にある、この道標。「右 大鍋 左 池代」と記されたそれは大きな謎を秘めていると、私は兼ねてから思っていました。

南向きに木に立てかけられた道標です
それは、「この道標は、どちらから来た人に読まれるように書かれているのか?」ということです。

どちらから来た人達に読ませる道標なのでしょう?
画像をご覧になってお分かりでしょう。この道標は、一度倒れたか、誰かに抜かれたか、という経緯があります。道標の下1/3の部分の表面がごつごつしていますね。そこは、元々、土の中に埋まっていた部分です。上2/3のすべすべしているところが、地上に出ていた部分です。現在、道標は木に立てかけられています。そう、この道標は、元の位置にないのです。いえ、おおよそ立っていた位置にあるでしょうけれど、どちらを向いて立っていたか、不明なのです。
現地概念図
ここで、現地の概念図と共に改めてを説明しましょう。
ア 概念図

A ケース1…須郷や須原から来た人たちに知らせる場合
今現在、木に立てかけられている位置は、南を向いて立っています。すなわち、須郷や須原から来た人たちの目に留まるような向きで置かれています。
となりますと、「右 大鍋 左 池代」では、おかしなことになってしまいます。なぜなら、大鍋と池代の分岐はもっと先にあるからです。
それに、昭和40年代の地図には、須郷から池代に通じる道が記されています。この先、この道標に従って“大鍋越え”を経由して池代へ行こうとすると、その道よりもずっと遠回りになってしまうのです。とても適切な道標案内とは思えません。それに、須郷に下りる道は、もっと手前(南寄り)にあります。この点からも、この向きで道標が立っているのは整合性がとれません。
ただ、この道標のある地点から一旦小鍋の奥をかすめて大鍋へ行く道もあるようです。そうなるとあながちこの道標が間違った位置にあるとも言えません。しかし、現実的に小鍋から峠を越えてここに来て、改めて小鍋の奥を通って大鍋へ行くでしょうか。それなら、小鍋から直接大鍋へと向かった方が、距離が短いのです。
B ケース2…小鍋峠を越えて来た人たちに案内を知らせる場合
小鍋峠を越えてきた人たちに対して立てた道標とするなら、「右 大鍋」というのは合っています。しかしその道の先に池代があるのですから、そうなら「右 大鍋 池代」となるはずです。やはりおかしいんです。
しかしここで見方を変えてみましょう。
もしこの道標が南ではなく、東を向いて立っていたとしたら…。「右 大鍋」はもちろんのこと、「左 池代」も大鍋越えよりも短い距離で須郷から池代へと行けるので、理に適うことになります。
と言う訳で、本当はこの道標、元は南を向いていたのではなく、東を向いて立っていたのではないでしょうか。
推論…「右 大鍋 左 池代」の道標は、今のように南向きでなく、昔は東を向いて立っていた。そして八木山から来る人たちを、大鍋と須郷経由池代への道へと振り分けていた」
そういえるのだと思います。いかがでしょうか。

“大鍋越え”を目指して
では、道標から北に尾根を辿って、大鍋への分岐点を経由し、池代へと続く道を「大鍋越え」まで歩いてみることにします。

道標の脇に立って道が分かれる様を左右に見たところです
とにかく道しるべの通りに進んでみることにします。ここから先には、大鍋と池代に通じる道があり、その分岐から先は「鷹峰歩道」として整備されていると聞きます。
では、行ってみましょう。
道標を越えて
道標を過ぎると、一旦、道は薮に紛れて、見えなくなります。若干尾根の西を通っているようですが、そちらは薮が酷いので、尾根筋を行きます。

道が薮に紛れているので、しかたなく少しだけ尾根筋を行きます
30mほど進みますと、道が現れます。おおよそ尾根に並行して延びています。

ほっ、道が現れました
送電線跡の碍子
右手に見える山のふくらみがなだらかに左に流れ、目の前の尾根に収束する辺りに、碍子が落ちています。かつて小鍋にあった発電所から(今でも建物は残っていますが)下田へと通じていた送電線の名残だそうです。この辺りが、山塊を越える最短距離の峠に当たるのでしょう。
送電量が増えて高規格の送電線が別のルートで整備されたために、撤去の目に遭い、その時に散乱した碍子と思われます。

割れていなければ直径20cmほどの大きさがあるでしょう
そこから先も、しばらくは尾根筋を辿って道が延びています。しかし伐採された杉の間伐材が道に折り重なって倒れているので、歩きにくいこと、この上ありません。

無造作に放置された間伐材 いや倒木か
尾根を跨ぐ
ほんの50mほど、尾根を左に見て進むところがあります。この後、道は尾根を左に跨ぎ、南西斜面を進むことになります。

道は尾根の右(東)を進みますが…
はい、ここで尾根の左(西)に道が出ました。

尾根を右から左へ横切る道の様子です
やや暗ぼったい杉林の中を、道は明らかに踏み跡をもって続いています。

道は尾根の南斜面を進みます
大崩落あり
すると、何と大きく崩落した地点に出くわしました。い、行けるのでしょうか!?

大きな崩落です ちょっと不安になりました
大きな杉の木が根っこごと倒れていますが、既に何人かの人たちが歩いたようで、根っこを迂回して上手に踏み跡がついていました。

踏み跡をつけたのは誰でしょうか…
この日は気温は低いものの、風がないので、歩いていると汗をかいてきました。道は登りで、傾斜もけっして緩やかではないのです。

道らしい姿が戻ってきました
導かれるようにして杉の木立の中を登っていきます。

道が続いています 導かれるように歩いていきます
古道歩きの楽しさを満喫
傾斜がきつくなるに連れて、道はつづら折りの様相を呈してきます。辺りは暗いのであまりいい気持ちはしないのですが、道としてはいい雰囲気です。今、私は、古道歩きの楽しさを全身で味わっています。

赤いポールは営林署関連の目印でしょう
この道の様子を見てください。左に進んだ古道は、その後で右に曲がり、さらに尾根の手前を左に巻いています。これが八木山−大鍋(池代)への古道の姿です。いいなあ〜。

つづら折りとなって標高を上げる道の姿
ここも、ほうら、右に曲がって左に折れて…。年末に歩いた稲取−白田間にある東浦路の“おがみの坂”のように、岩を穿って道を開いています。道を切り開いた当時の人夫さんたちの苦労が偲ばれます。

八木山版“おがみの坂”でしょうか
ある部分で高みに登り、来た方を振り返ってみました。こんな感じで登ってきたんです。いい雰囲気でしょう?

下から登ってきて、振り向いて見たところです
路面には檜の枯れ葉が厚く積もっているので、ふかふかしており、あまり歩きやすくはありません。時々スリップしたり枯れ枝に足を引っかけたりして、転びそうになりました。

空に近づいていくこの感じがいいんです
一気に標高を上げてしまうと、後は徐々に傾斜が緩やかになってきます。そして道の顔も穏やかになってくるのです。

徐々に道の表情が穏やかになってきました
徐々に空が低くなってきました。

冬は太陽の位置が低いので、陰影の濃い写真になってしまいます
道も緩やかになってきます。

道の傾斜がいっそう緩やかになりました
かなり標高を稼いだので、傾斜が少なくなってきました。

明らかに道の様子が変わりました
右手に小ピークが見えてきました。

この高み、見覚えあります!
地図にある563mの三角点があるピークでしょう。

道は小ピークを避けて直進しています
ちょっと寄り道
ちょっと道から外れ、檜の森の中を歩いて三角点のある場所に寄ることにしました。

ここにきっとあれがあるはずです そう、三等三角点が…
これです。
ここで3年前の冬に来た時にTAKE兄さんとおじナベ先生と昼食を摂ったのでした。

三等三角点 地表からの高さ25cmほど
次回は大鍋への分岐を過ぎて、鷹峰歩道に入り、池代を目指したいと思います。

八木山から池代へ〜その三へ
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