下大沢へ
2万5千分の一の地形図を見ると、下田市の下大沢から稲梓の相玉に点線による道の記載があります。下の地形図で、「下大沢」の集落からほぼ真北に延びる点線の道がお分かりになると思います。
この道については、私が稲梓勤務時代の同僚から話を聞いたことがあります。
「うちのおばあちゃん(明治生まれ?)は一条から相玉にお嫁に来たんだけど、若い頃はこの道を歩いて一条へ行き来したそうだよ。」
下田と松崎を結ぶ県道からは、南伊豆方面へ通じる枝道がいくつかあります。この道もそのうちの一つでしょう。
私は未踏破であったこの道について、3月になって“歩く不思議発見レーダー”ことKAZU氏から、重大な情報が寄せられました。
KAZU氏は、落合の浄水場から尾根を辿って馬夫石へと歩く、というとてつもない計画を実行し、その途中でこの峠にある貴重な石造物を見つけたというのです。その石造物とは…。後ほどじっくり紹介します。
3月15日の土曜日、とにかくその石造物を見に行くことにしました。蓮台寺から大沢バス停の三叉路を右に入り、下大沢地区へ向かいます。

右真っ直ぐは下大沢、左は上大沢へ行く道です
道なりに進み、とにかく奥へ奥へと進みます。途中、温泉の櫓のある辺りに歩道が分岐しています。たぶん車道が開かれる以前の古道でしょう。次回は歩いてみたいものです。
廃な車たち
下大沢に来るのは久しぶりなので、道のどん詰まりまで行ってみることにしました。
一旦、民家が途切れるところまで行くと道は水平になり、畑の広がる辺りへと下ります。ところどころで廃車が放置されているのが目につきます。

昭和53年頃の「いすゞ ジェミニ(1600cc)」かと 昭和50年頃の「マツダ ファミリアプレスト(1300cc)」かと
みかん畑にて
みかん畑の広がる辺りまで来ました。この辺りは下田市の山々を眺めることのできるビューポイントとなっています。今日は畑の中から消毒散布をするエンジンの音が聞こえてきます。農作業をしている人がいるのでしょう。

農道から見える景色です
私が畑の中の車道へ降りていくと軽トラが止まっており、ちょうど作業の手を休めたご夫婦が畑から下ってきました。ビニルの防薬衣は消毒液で濡れています。もちろんお話を伺ったのは言うまでもありません。

軽トラに紅葉マークはついていますが、ご夫婦は若いです
「すみません、この辺りに相玉に行く道があって、峠にお地蔵様があると聞いてきたのですが、どの辺りから行けばよいのでしょうか。」
私より少し若いかな、と思われるご夫婦は顔を見合わせて、一生懸命考えてくれました。
「峠にお地蔵様? うーん、それなら、ふじや(屋号でしょう)のところから上がるあれのことかな。」
「えーと、ここから今来た道を戻ると、最初に左側に小屋があるよ。その次に見える家の反対側に畑へと上がっていく道があるから、そこを行くとあると思うよ。このミニバイクでは行けないと思うから、歩いていくんだね。10分も登れば着くだろうよ。」
「え、ああ、農薬を混ぜる小屋ね、あるある。何て言うお地蔵様かは知らないなあ。」とご主人。
「私は行ったことがないから、分からないわあ。ここには(よその土地から)お嫁に来たんだし。」と奥様。
ありがとうございます。さっき来る時に見た登り道を行けばよいことが分かりました。
ついでに、以前から気になっていた“謎の角柱”についても聞いてみました。
「ああ、この石かい。私も知らないけど、“力石”という話だよ。(奥さんの方を向いて)この前もkatsuyaさんが動かしたってさ。こんな石だけど、重さは50kgはあるんじゃないかな。」
うう、この石はかつてこの辺りに賀茂郡の総督府があった名残と聞いていたのに、「力石」であると聞いて、やや拍子抜けしてしまいました。

謎は謎のままにしておきましょう・・・
明るい感じのご夫婦でした。大変な仕事なのににお礼を述べ、峠へと行ってみることにしました。
KAZU氏の大発見
峠の石造物は、KAZU氏がご自身のサイトに書かれた様子を拝見して把握しています。お地蔵様と庚申塔と石祠が祭壇に並んでいるそうで、地元では“せきとうさん”とよばれているとのことです。
バイクを峠への分岐点に置き、準備をしました。辺りを見回すと、下に降りる細い道が2本あります。おそらくそちらが古道でしょう。そちらの探索は次の課題としましょう。
峠への道は、山の南斜面を上がっていきます。すぐにみかん畑が見え、その中をゆるやかに曲がりながら、高度を上げていきます。
しかし本当に峠まで10分で行けるのでしょうか。

林道から峠に上っていく道

木漏れ日の当たる山道を登っていきます

日だまりのある畑を左に見て上っていきます
歩き始めて7,8分経ったでしょうか、行く先に小屋が見えました。あれが農薬を混ぜる作業をしていたという小屋でしょうか。小屋があるということは、そこが峠になっているはずです。

思ったより早く着きました
峠にて
小屋へ行ってみると、おお、確かにここは峠の形状をしています。立派な祭壇の上に、四基の石造物があります。

午後4時頃に行ったために、日が陰ってきました
祭壇の上には、お地蔵様、不動明王、青面金剛、石祠が並んで祀られています。そして祭壇の前を右(東)に行く道が2本あり、祭壇の後ろを北に越えていく道が1本あります。さらに写真を撮っている私の方(西)に向かって延びている道もあります。写真右手の方から上がってきましたので、この峠は変則五叉路になっていると言うことができます。

右が守藤原峠方面、左が相玉方面へ通じているはずです
下の写真で言いますと、祭壇と小屋の間を私は上ってきたことになります。

お地蔵様は南の方を向いています
一つ一つの神様を見てみましょう。
まず、これ。この小さなお地蔵様こそが、KAZU氏の大発見なのです。

光背型浮彫単立像 高さ60cmほど
ご覧ください、光背に「右ハ やまみち 左 ま津ざき
道」と彫ってあります。このお地蔵様は、道標銘です。ガビーン!(←ねこ山、知らなかったの擬音)

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左 ま津ざき道 |
右 やまみち |
また、光背の横にも「南ハ 下田 北ハ 天城 道」と彫ってあります。このお地蔵様は、一級品の道標銘です。

「南ハ 下田 北ハ天城 道」と読めます
下田市教育委員会発行の名著『図説 下田市史』にこの道標銘の記載はありません。
未掲載の道標および道標銘は、私が把握している分だけですが、箕作で発見され薬局脇に設置された道標1つと、須郷の嵐山の麓にある道標1つと道標銘1つ、そして田牛の乗馬クラブの三叉路にある三界萬霊塔に刻まれた道標1つですので、この相玉へ行く峠の道標銘が5つめになります。
これは素晴らしい発見です。KAZU氏の弛まない探索意欲がもたらしたこの大発見。下田市史の記録に大きな1項目を加えることでしょう。
この「道」という字ですが、私は最初「ゑ」と読んでいました。ところが熱烈な読者様から「これは“ゑ”じゃなくて“道”ですよ。くずし字用例辞典でみてごらんなさい。」とありがたいご指摘をいただきました。
うう、古文書講座に3年通いながら、読めませんでした。“ゑ”にしては変な形だとは思っていたのですが…。ご指摘どうもありがとうございます(3月30日記)。
明王像か青面金剛像か
道標銘の隣には、高さ180cmほどの大きな石塔があります。正面には、こんな像が彫ってあります。いったい何の神様でしょうか。

高さは基礎を含めて180cmほど
一面六臂のお姿で、手には弓矢や剣などの武具を持ち、一匹の疫病神をぶら下げて、足は悪霊の上に乗っています。

お顔が憤怒の表情をしていることから、悪霊退散をお仕事とする「明王(みょうおう)」か「垂迹(すいじゃく)」の神と思います。恐いお顔をされているのは、お参りに来た人を睨んでいるのではなく、お参りに来た人を苦しめる悪霊達を睨んで退散させるために、こんな表情をされているのです。

見事な造形をしていますねー
一般的には「青面金剛像」が庚申塔に彫られているので、これも庚申塔としてよいと思います。KAZU氏もそう同定しておられます。
それにしてもこの像は震えが来るような恐い像です。
ほっぺがふっくらしているので、表情はまるで少年のそれですが、凛とした立ち姿にたくさんの武器を構え、左手には一見獲物の野ウサギをぶら下げた猟師のように何かを手に提げています。よく見ると、髪をひっつかまれた悪霊でしょう。そして足元には、これもまた魑魅魍魎の一匹かと思われる悪魔が断末魔の叫びを上げています(その割に頬杖ついていますが)。
お口をキュッと結んだ表情は凛々しく、悪霊を退散させようとする年というかオーラを身に纏っているように感じます。見事な造形があちこちに施されており、よほどの名石工が彫ったのではないかと思います。
明王の凛々しさと少年の初々しさが見られます
銘により、寛政二年に建立されたことが分かります。

花の咲いた梅の枝を彫り込んであります
青面金剛明王塔
三つ目の神様は、青面金剛明王塔です。そうはっきり刻んであります。

高さは基礎を含めて1m20cmほど
建立されたのは、萬延元年のようです。60年に一度巡ってくる庚申の年。田牛には、60年ごとに一基ずつ立てられた庚申塔を5つほど並べた祭壇があります。やはりそれらに萬延元年(1860年)や寛政十二年(1800年)などの銘があるのです。
「萬延元年庚申九月晦日」と銘が彫ってあります
石の祠
三つ目は、石の祠です。「イノシシ公団石造物修復隊」によって位置を直された(にしては屋根がずれていますけど、傾きに対してバランスをとったのね)石祠が端正な彫りを見せて建立されています。

台座を含めた高さは60cmほど
祭壇の並んだ神々の背中側には、北に延びる道が見えます。

北に延びる道がはっきり見て取ることができます
そして祭壇の前を通って東に延びる道と、徐々に分かれていく尾根道が見えます。

右は私が上ってきた道で、左が南斜面を行く道 さらにその左にも尾根道があります
小屋の横からも西に延びる道が踏み跡を示しています。
これらの道も、いずれは辿ってみることにしましょう。必ず発見があるに違いありません。

小屋の脇を西に行く道です 行ってみたい!
こ、これは!?
今日の探索はこれくらいにして、そろそろ道を降りようと思っていた時、お地蔵様の光背にやや不自然な形で彫られた銘が目に留まりました。

光背のRに沿うようにして彫られた銘があります
よく読みますと、「妙道 禅定尼為 右…」と読めます。
「禅定」とは、戒名に用いられる言葉ですから、このお地蔵様はもしかしたら墓石なのかもしれません。「妙道」とは、仏教に関連することを表す文字で、「尼」は女性を示します。ということは、「ある女性が良く通った道であるが、何らかの理由でその人は命を落としてしまった。ここにその弔いをし、道に感謝して道標を置く」というような謂われがあるのでしょうか。
もしそれが想像通りのことならば、このお地蔵様の持つ意味はさらに大きなものになります。ホント、下田の山にはまだまだ不思議なことがあるものです。
次の探索へ
今回の現地散策はここまでです。峠を下りて町道に降り立つと、そこには明らかに道の続きが見られました。これが峠へと行く元々の古道でしょう。次はこの道を歩いてみることにします。

不思議な看板の置かれた納屋の左脇から、古道は下りていきます
少しだけここを下りてみましたが、しっかり道はついていました。ここからお寺の跡を通って、温泉の櫓の方に下りていくのでしょう。早く確かめたいなー。

これがきっと峠に至る古道です 間違いない!
“せきとうさん”について聞く
下大沢の私の唯一の知り合いは、稲生沢勤務時代の同僚、shima先生のお宅です。3年前に訪ねておじいさんに昔の話を伺い、石丁場などを案内していただきました。しかしその後、おじいさんは入院されたと聞きました。元気になられたでしょうか。峠へ行って来た晩に電話をしてみました。
shima先生のお父さんに話を伺ったところ、「うちには年寄りがいなくなったもんで、よく分からないですよ。」と言われました。おじいさん、亡くなったんですね。存じませんでした。ご冥福をお祈りします。
お父さんは、「知っている人を教えてあげるから、電話してみてください。」と、別の人の電話番号を教えて下さいました。地図で見たところ、電話の先は、せきとうさんの直下に位置する所にお宅があるY田さんであることが分かりました。
プルル・・・、呼び出し音が途切れ、電話におばあさんらしき人が出ました。
「恐れ入ります、shima先生のお父さんに紹介されて電話を差し上げました。峠のお地蔵様について教えていただきたいのですが…。」
「ああ、そうですか。はい、ちょっと待って下さいね。おじいさーん、せきとうさんについて聞きたいって人から電話だよ。」と、おじいさんを呼んでいます。私は「お地蔵様」と言ったのに、おばあさんは「せきとうさん」と言い換えています。この辺でお地蔵様と言えば、せきとうさんを指すのでしょうか。下大沢の奥ではよく知られたお地蔵様であることがうかがわれれました。
「すみません、峠にあるお地蔵様について教えていただきたいのですが。」
「ああ、峠にはいくつか(石造物)が立っていますよ。そのうち、石のお社が“せきとうさん”です。狩猟の神様と言われていて、昔は猟師が祀りをしたものでした。」
「狩猟の神様なんですか…。お祀りもしているんですか。それは何月に行っているのですか?」
「いえ、今はお祀りはしていないんですよ。下大沢には猟師が一人しかいなくなったので、お祀りはやらなくなったんです。猪が出るとよその土地から猟師を呼んで撃ってもらうけど、下大沢には猟師が減っちゃったもんでね。」
「そうなんですか、猟の安全を祈る神様なんですね。どんな字を書くんですか?」
「せきとうさんは、“いしのかしら”と書くですよ。頭のことです、頭のことを“かしら”というでしょ。」
「“石頭さん”ですか? 変わった字を書くんですね。
「ええ、どうしてかは分からないけど、そう書きますね。」
「道しるべの書いてあるお地蔵様については何かご存じありませんか?」
「うーん、特には知らないですよ。お地蔵様の向こうへ下ると、相玉に出るです。左に行くと、一条の方へ通じていて、右に行くと、これも相玉に出ますよ。」
「そのほかのことは知らないですよ。お役に立てなくてすまないですねぇ。」
おじいさんは恐縮しなが、らご存じのことを話してくれました。
“石頭さん”を越えて
では、次回、この峠を越えて相玉まで下りてみることにしましょう。どんな発見があるのか、今から楽しみです。
下大沢から相玉へ〜その二 |