葉

坂戸から落合へ
(結局、行けなかったけど…)
平成13年2月25日探訪   
 
 今日はいよいよ坂戸から落合へ抜ける道を行ってみようと思います。これまでなかなか情報がなくて入り口さえ分からなかったのですが、いろいろ勉強するうち、どうやらここらしい、という場所が分かったのです。

 さて、茅原野の蛇地蔵様の北、坂戸口を山側(東)に入り、道なりにどんどん登っていきます。今回は途中まで車で入り、適当なところに停めて歩いていきました。(実は、その場所が、坂戸の石仏群の近くだったのです。し、知らなかった…。)



 歩くこと数分。やがて最初の分岐があります。
 画像のほぼ中央にある白い板は、ここから奥の民家の所在を示している案内板です。それを見て、東南側にある一番奥のお宅へ進みます。この画像で言えば、右が歩道の近道で、左が車道のやや回り道になる道です。この日は夕べからの雨が残り、ぽつぽつと雨粒が落ちてきています。天気予報によると回復すると言うことですので、傘をさして歩いていきました。

 右に進みますと、じきにたくさんの石造物が並んでいます。ほとんどは墓石のようですが、いずれも表面の風化が進んでおり、刻印がよく読めません。奥に一つ、大きな廻国供養塔があります。これらは、道を拡張するときに、ここに集められたのでしょうか。他にも、石造物が集めてあるところを見ました。でも、ほとんどはお墓のようです。きっと昔はたくさんの家々があったのでしょう。お墓の写真は撮らないようにしていますので、ここではコメントのみにいたします。


 墓石の奥にある板東秩父巡拝廻国供養塔


        2つ目の分岐(ここは右へ)

 さらに進みますと、辻に出ますので、真っ直ぐ進みます。するとまた分かれ道があります。ここは右に行きます。そこにはこの集落でもっとも奥に位置する民家がありますので、その前を通って山道に入ります。
 さあ、山道に入りました。道幅はゆったりとしていて、荒れもほとんどありません。歩きやすい道と言えます。今回は私一人で来ていたものですから、この道でいいのかなあ、という不安は常にありました。が、この分なら大丈夫のようです。


     道はしばらくこのように続きます

 やがて前方に竹林が広がっている場所があります。竹の勢いの強さは、どこの古道でも見られるものです。実は、画像は修正してあるので明るく見えますが、この辺りまで来ますと、雨が雹に変わって、ぱらぱらと落ち葉を叩き始めました。ど、どうしましょう…。


         竹林の浸食はここにも

 さて、山肌を右に見ながら緩やかな坂を登っていきますと、やがて分かれ道に出ます。その辺りを調べますと、おお、お地蔵様があるではありませんか。画像正面のやや左のところで、浮彫単立像のお地蔵様があるのを見つけました。


      山に入って最初の分かれ道


   高さ40pほどのかわいらしいお地蔵様

 光背には「明和三年(1766年)有為大日□□」と銘が刻まれています。大日如来様のようです。これでもうここが古道であることは間違いありません。珍しいことに、この大日様は、人魚の下半身にあるような鱗の模様がある着衣をつけています。
 ここでは、道を右にとります。左にも進めますが、かなり荒れています。(後で聞いたことですが、ここを左に行くと落合に出るようです。)

 さて、またじきに分岐があります。正面に、石柱型の大日如来が立っています。

 
     
    辻と大日如来
 

       高さは45pぐらい

 表には、「文久3年(1863年)6月吉日 奉請大日如来」と彫ってあります。この道もその昔牛馬を駆って農耕作業をしたのでしょう…。

 この分岐は左に進みます。右に行くと、杉林の中を進むようです。(地図によると、この辺りから箕作に出る道があるようです。この道かな?)

 さて、左に進んでいくと、まだ道は登り坂です。道も徐々に荒れが目立ち始めました。途中、ところどころ赤いテープが木に巻かれています。婆娑羅越えで経験した通り、あまり当てにはならないと思いますけど…。


   
やはりこの道にも倒木が…

 やがて、また分岐に突き当たりました。どうやらここが峠のようです。「峠からは河津の谷津に通じる道が分かれている。」と落合の知人から聞いていましたから、ここが当てはまるのでしょう。それともここが落合に通じる道でしょうか…。何しろ初めて来たもので、何とも言えないのが辛いところです。


      
峠の分岐点

 道を右に進もうとしたところ、おや、傍らにまたお地蔵様があります。高さは50pほど。こんなに石造物があるなんて、ここは昔かなり往来の多かった道だったのでしょう。

峠のお地蔵様


 
にっこりほほえんだような柔和なお顔をしています

 このお地蔵様の光背には、「宝暦四年(1754年)…」の刻印がありました。宝暦といえば、婆娑羅の旧峠にある地蔵塔と同じ時代ですね。ここは婆娑羅と同じ頃に主要な街道として栄えたのでしょうか…。

 ここから先に進むと、道は消えています。目の前は、赤い実のなる灌木が生い茂っています。昔は、冬の間、この木の葉を牛の飼料にしたそうです。「あおきの葉」と呼んだそうです。)そこを、迷わず突き進むのです。すると1分後に、道が開けます。
 じきに道は緩やかな下りになります。山の斜面を右に見ています。


           
崩れかけた道

 道に出ますと、一部が崩れかかっており、足を滑らせるとかなり深い谷に落ちてしまいます。こんなところで『九死に一生スペシャル』の題材になるのはごめんです。慎重に進みましょう。


 そうこうして進むうち、急に前が明るくなりました。みると、尾根筋が左右に走っており、それに沿って木が伐採してあります。切り口はまだ新しく、まるで昨日切ったような感じです。たぶんこれは、万が一の山火事が発生した時、ここで延焼をくい止める防火線でしょう。
 さあ、困りました。地図ではここを真っ直ぐ下に降りるようになっているのですが、そちらに道はないようです。この尾根筋に沿って左に進むしかないのでしょうか。それでもはっきりした踏み跡がついていますので、とりあえず行ってみることにしました。
(後日判明したことですが、国土地理院発行の地図には、これより東にある道が記されているようです。つまり、今たどっている道は、地図には載っていないことになります。)


   
 尾根筋には、はっきりと道がついています
 
 手元の地図では、落合方面は谷筋に沿って下ることになっています。でも今は尾根筋を歩いています。地図にはない道を来ているのでしょうか。やはり一人で初めての道を歩くときは、こうしたことが一番困ってしまいます。やれやれ…、です。(まるで初めて婆娑羅峠に行ったときのようです。)

 辺りの眺望はほとんど開けないのですが、右(南西方面)に山が見えます。山頂の様子から、どうやら今月10日に登った大平山のようです。ここから大平山の間には深い谷がありますので、右に下りると箕作方面に行くことが想像できます。では、現在下りている道は方向としては落合方面に向かっていると見てよさそうです。ところが…、


     お、あれは大平山…
 

 大きく右に道が落ち込んでいるところをそのまま進みましたところ、急に竹藪が広がり、踏み跡が消えてしまいました。うーん、婆娑羅越えの二の舞になるのでしょうか…。


     
進むのに難儀する竹藪です

 竹は太くないものの密生しているので、枝が衣服に引っかかり、歩きにくいことこの上ありません。周囲の展望もききません。さっきまであった踏み跡も消えてしまい、途方に暮れてしまいました。
 
 結局、1分間(早い!)考えた後、引き返すことにしました。無理して下りたとしても、また元の所に戻ってこられるか、不安だったからです。今度は落合側から登ってみることにしましょう。大平山周辺の道の調査も必要のようです。


 さて、帰り道のことです。何か情報を得ずしては帰れないと思いましたので、道すがら、土地の方にお話を聞いていきました。複数の方々に聞いた話をまとめると、次のようなことが分かりました。

・坂戸から落合に抜ける道は、途中に茅場があったので昔はよく行った。
・でも、今は茅も刈らないし、若い人がいなくなったので、山や道の手入れはしない。
・だから道は徐々に消えていっている。
・坂戸から大平山へ、昔はよくワラビをとりに行った。
・その時は、箕作や落合の家々がすぐ間近に見られるくらい奥まで行ったものだった。
・大平山の麓からは、特に道というものはなく、適当にワラビをとりながら歩いていった。

 また、たった今私が歩いてきた道についても聞いてみました。

・お地蔵様があったのなら、その道で正しい。
・2つ目のお地蔵様からは道が下りになり、尾根筋に出たら、そこからは尾根を伝って左に下りる。
 (尾根筋の防火線のことのようです。私が行った道は、正しかったのです!)
・尾根で竹藪に突き当たったら、後は道なき道を行くことになる。
・尾根から右に下りると、箕作に出る。 左に下りると沢に出て、落合に出る。
・昔はそれらの道があったが、今は竹林によって消えてしまった。
・でも、昔のそれを知っている人が行けば、道の跡は分かる。 

 一人の方が「今日は用事があるからダメだけど、別の日に一緒に行ってやろうか?」とまでおっしゃってくれました。坂戸の方は、何と親切なのでしょう。 (このご主人は、坂戸の大師堂の場所を尋ねた私を、わざわざ車で先導して案内してくださいました。感謝…。)

 結局、私が歩いていった道は正しかったようです。どうも国土地理院発行の地図は古道を正当に取り上げていないようです。

 さて、これで坂戸から落合の道は、はっきりしました。次回は自家用車は使わず、バスで坂戸まで行って、落合に出、白浜を経由して帰ってくることにしましょう。その時は、いよいよ藪こぎをしなければなりません。果たして山中で迷わずに、無事歩いてこられるでしょうか。古道探索も、いよいよ大変になってきました。

                   坂戸ー落合の続編を見る
 
                                            
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