葉

坂戸から落合へ(続編)
2001年4月14日探訪   
 
 さあ、いよいよ、懸案だった坂戸から落合に抜ける道の残りを進むことにします。前回果たせなかった夢のリベンジという訳です。
 地元の方に伺ったとおり、峠のお地蔵様を過ぎて稜線の防火線(木を一定の幅で伐採してあるところ)に出ます。そこから尾根を下ること数分…。道が大きく落ち込んで右に下るところがあります。


    この小ピークが、箕作(右)と落合(左)の分岐と思われます

 前回の探索では、この分岐を右に下りたところで行く手を竹藪に阻まれ、引き返しました。今回は、そちらには進まず、目前に見える小ピーク(稜線の鼻先のようになっているところ)の手前を、左側の斜面に下ります。なぜ分かるかと言いますと、これに先立って、落合側からここまで登ってきたからです。フフフ…(その時の様子は、『落合から坂戸の峠を目指す』をご覧下さい)。 ここが実質的に箕作に下りる道と落合に下りる道との分岐となるでしょう。

 しかしこれまでの取材によりますと、本当でしたらこの分岐を右に下り、山肌を巻くようにして東に進むのが本来の道筋のように思われます。地元の方に案内していただけばそれも分かるでしょうが、今回はそのチャンスには恵まれませんでした。いずれそちらの道もたどってみることにしましょう。では、ここから、小ピークの左を下りる道筋をご覧ください。

  山の左斜面の稜線は、左(北側)が植林された檜林で、右(南側)が雑木林になっています。その境界線沿いに下っていきます。境界はかなり下まで続いているので、迷わずに行くことができます。


   このような下りの稜線を下りていきます

 斜面はかなり急です。檜につかまりながら、滑らないようにして下りていきます。

 やがて目の前に、周囲の木より大きく育った椎の木が現れます。その木の根本の向こう側を見ますと、、明らかに人の手による物と分かる石造物があります。形からして石祠のような神様かと思われます。石祠の扉によく見られるデザインのパーツがあるからです。でも、屋根に当たるそれは見あたりません。散逸してしまったのでしょうか。でも、いかにもここに神様を祀りたい、と思わせるような場所と椎の木です。山神様かな…。でもこれで、ここが人の通ったところと確信できる材料が得られました。


     周囲から独立した椎の木があり…

根本に石造物の祀ってあった跡があります。


         たぶん元は石祠だったと思われますが

 この辺りは、けもの道と思われる細い踏み跡が幾本もついています。イノシシが掘り起こしたらしい穴も散見できます。そこからさらに下りますと、やがて竹藪、といっても孟宗竹などのそれではなく、細い竹が茂って藪のようになっているところに突き当たります。そこを右に避けるようにして下っていきます。斜面の傾きはいよいよきつくなり、木の根や幹を手がかりにして、滑るようにして下りていきます。これでは古道探索ではなく、古道探検です。


          急斜面の道なき道


       灌木が行く手を遮ります

 それでも、箕作側との分岐から、10分もたっていません。やがて、気がつくと水の流れる沢の音が聞こえてきます。ここまで来たところで、私と同じところを通っていれば、炭焼き小屋の跡が見つかることでしょう。「静岡県」と彫った新しいコンクリート製の標識もいくつか立っています。また、かろうじて人の足によるらしき踏み跡も見つかります。あとは砂防ダムが見えるところまで行き、沢を渡って里道に出るのです。その途中、山の奥に入る道らしき踏み跡を見ました。もしかしたらそこが本来の道かも知れません。


  これでも踏み跡や県の標識が写っているんです


        やっと沢に出ました

 砂防ダムには、東側に歩道がついていますので、難なく越えることができます。
やがて、稲梓の集落の最初のお宅が見えます。電車の駅も右の山腹にまもなく見えますよ。


        落合の集落と里道

 やっと里道に出たときには、ほっとしました。今回は、坂戸の地元の方に伺った道に見当をつけて下りることができましたが、およそ道とはいえないところを歩いてきました。でも、「もう道は消えている」そうですから、しかたないのかもしれません。本当の道筋は、どこを通っていたのでしょうか。それが唯一気になるところです。
                                             
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