時、既に遅し…
大仁金山の発見は、天正年間まで遡るという。そして、伊豆の金山の開発に力を注いだ江戸幕府金山奉行・大久保長安によって、慶長年間に最盛期を迎えた。
近代鉱山として操業が始まったのは、1933年(昭和8年)、帝国産金興業株式会社が既存の鉱区を買収し、大仁鉱山として鉱区を再開してのことである。
その後順調に採掘と選鉱を続けたものの、1943年(昭和18年)、金山整理令が発布されたことにより、金の採掘と選鉱を中止。その後、珪酸鉱の採掘と、坑内を利用したダイキャスト工場としての稼働を続けたが、狩野川台風の被害を受けたことや金価格の低迷など、時代の流れに呑まれ、1973年(昭和45年)、とうとう閉山した。
私が若い頃は大仁の赤い橋の辺りを車で通ると、一面ガラス張りの浮遊選鉱場の大きな建物がきらきらと陽の光を跳ね返しているのが見えたものだったが、一度も近くに行って見たことはなかった。そのうち、徐々に施設は荒れてきて、無惨な姿を晒すようになった。ただ、選鉱場の一番上に掲げられた「帝産 大仁金山」の大看板だけはかつての隆盛を誇示するように残っていた。
しかし数年前、とうとうその建物は姿を消し、変わりに「百笑の湯」という温泉施設ができて、大仁金山はコンクリートの雛壇のような姿を見せるのみとなった。遅かったのだ、私がここに来たのは…。もっとも、建物全体が辛うじて残っていた頃は特に関心もなく過ごしていたのだから、しかたのないことではある。もう少し私が好奇心旺盛な若者だったら、話は違っていただろう。
思い立ったが吉日
9月22日、土曜日。伊豆市長岡に用事があって出かけた帰り、大仁金山跡に一人で立ち寄った。行こうかな、と思った時に行かないと、案外行かないものなのだ。
「百笑の湯」を目指して86号を走らせ、予備知識のないまま駐車場に車を滑り込ませると、何と目の前にこの光景が広がった。まさに大仁金山跡の真正面である。
「百笑の湯」の駐車場から見上げる大仁金山浮遊選鉱場跡
(大仁金山は、こんなに近くにあったんだ…)それが、初めて金山跡を目の当たりにした私の感想だった。こんなことなら、もっと早く来ていればよかった…(って、まだ言ってるよ…)。
よく見ると、建物は全て取り壊されて撤去されたわけではなく、まだ若干の建築物が残っている。しかしそのほとんどはコンクリートの基礎だ。左右に2つずつある円柱型の遺構は、シックナーだろう。まだその上に木製の小屋が載っている。
最上部から下方に渡されたワイヤーは、クリスマスの時期に電飾をつけるために設けられたのだろう。まさか侵入者を感知するトラップじゃないよね。見てみたい。上に登って、近くから見てみたい。そんな思いが一気に膨らんだ。
いざ入山
しかしここは「百笑の湯」のすぐ裏で、広い駐車場に隣接している。雛壇状の選鉱場跡をそのまま登れば、人目に付くことは必至。指さされるかもしれない。それだけは避けたい。
そこで、どこか取り付き点はないかと、左手に回り込むことにした。すると、こうした尾根筋のようなところがあるではないか。
駐車場を東に出ると、何やら私を誘うものが…
何となく引かれるものを感じ、操られるようにして上り始めた。
いきなりの出会い、邂逅
と、足元に何かある!
いきなりこんな遺構に出会うとは!
レ、レールだ!
これはインクラインの跡ではないか! しかもレールが残っているとは! いきなりの出会いに、一気に興奮が高まった。
インクラインの斜度は、約25度というところだ。30mほど登ると、上に茶色く錆びた鉄の箱のようなものが見えた。
単線のインクラインの上を登っていった
近づいてみると、それはインクラインの台車であった。
茶色く錆びた、鉄製の構造物だ
天板には横位置のレールが載っている。そして、その向こうには、木製のホッパーがある。ここでトロッコごと鉱石を台車に載せて昇降していたのだろうか。
台車か 真横へ水平に動くようにできている
ホッパーの吐出口は木ぎれや木の葉で埋まっている。
木製ホッパーだ! インクライン途中駅か
このホッパーがある位置は、インクラインの途中駅であろうか。ホッパーがあるということは、よく考えるとここで鉱石を台車に載せて上昇させていたことになる。ということは、この標高レベルに坑口があり、トロ線で結ばれていたことを示しているのだが、さて、実際はどうなのか。
この途中駅から選鉱場跡へと進入を試みたが、シックナーの基部まで行けたものの、人の歩行を想定した作りになっていないため、危険を感じて引き返してきた。
インクライン跡はしかし、途中駅から少し登ったところで林道様の搬入路に遮られ、レールも途絶えていた。
中段ステージへ
その搬入路を北に歩くと、選鉱場跡の中段辺りに出た。
広いステージだ 電飾用のワイヤーが張られている
すぐ下には、シックナーと、その上に載る小屋が見える。遠くには、百笑の湯の赤い屋根、川向こうには大仁ホテル、更には城山が見えた。
シックナーの水槽には、汚水が溜まっていた
階段状の選鉱場跡は、下から見上げると(とても登れない。人に見つかってしまう)と思うのだが、いざ上に登ってしまうと、そんな思いはすっかりなくなってしまうので不思議だ。
選鉱場の建物がある時代に来てみたかった…
ここは浮遊選鉱場だった跡地だ。一旦最上部まで持ち上げられた鉱石は、下方に落とされながら徐々に選鉱されていく仕組みになっていた。そのためのホッパーがコンクリートの基礎に組み込まれていた。
錆び付いたホッパー 2度と動くことはないだろう
広大な選鉱場跡というステージを横切ると、そこには右側のシックナーが同様に小屋を擁してそびえていた。
鉱山らしい施設と言えば、このシックナーしか残っていない
この小屋を取り壊さなかったのは、危険を伴うからだろうか。それとも、少しは鉱山らしい遺構を残しておきたかったのだろうか。関係者の話を聞かないと分からないな。
午前10時の陽光を浴びて輝くシックナー小屋
パイプラインに誘われて
ここからは、さらに上部を目指して登ることにした。と、杉林との境界に、パイプラインが残っているのが見えた。これを伝っていけば、選鉱場の上部に達することができるかもしれない。望みを託して、登ることにした。
パイプラインが行き先を告げる 行け〜!
細い尾根状になった部分を、パイプラインは登っていく。手袋を車に置いてきたので、素手で草を掴む手が痛い。しかしさっき見てきたシックナーがどんどん離れていく。登るのは下るのよりも簡単なのだ。
その更に下には、コンクリートに穿たれた丸い穴が並んでいる。あれは何だろう。やはり鉱石を落とした施設跡なのだろう。
並んだ円形の穴が気になる
だいぶ登ってきた。ここはもう最上部に近いはずだ。
ここの段は、パイプラインの敷かれた尾根から降りるのは難しかった。だから写真を撮って、素通りすることにした。
ここが最終ステージの一つ下の段だ
この段にどんな施設があったのかは分からないが、鉱石の集積場となっていたのか、プールのような形をした槽が見られた。
天空のステージから下を見る
遥か下には、車を置いた駐車場が見える。数年前まで、あの駐車場にはコンクリートでできた変電所があったそうだ。しかし今は更地の駐車場となってしまって、そんな面影は微塵もない。
消えた変電所の跡地が見える 建物を残しておけばよかったのに…
いよいよ天空のステージへ
とうとう、これ以上はパイプラインを辿ることができない、というところまで達した。ここが、事実上の最上ステージとなる。
それにしても、ここには劇薮が広がっている。大きな石は、この上の頂から落下してきたのだろうか。頑固なツル植物や背の高い雑草が私の歩みを阻む。いっそのことここで探索を止めて戻ろうか、と思ったが、あの尾根を下るのもまた嫌である。そして、何かこの先から私を引きつけるものも感じる。乗りかけた船だ。進んでみよう。そう意を決して、薮をかき分けて行くことにした。
うっ、すごい劇薮! 行けるのか!?
クモの巣を払い、イタドリを根っこから踏んづけて、時間を掛けながらゆっくり進んだ。すると、ステージの向こう側に、こんな鉄骨を渡したコンクリート槽があった。下にはコンクリート階段で降りられるようになっている。何の用途で作られたのだろうか。
H鋼が渡してある 鉱石の集積所だったのかな
右手には、こうした頂がそびえている。台風のせいか、倒木が目立ち、荒れた印象を受ける。あの上には、まさか遺構はないよね。
荒れた山容を見せている 台風の仕業か
倒木を乗り越えたりくぐり抜けたりして、ようやくステージの左側に戻った。
白亜の建物
と、森の中に、白い板壁を持つ建物が見えるではないか。あ、あれは…!?
深い木立の奥に、白い建物が見えた
小屋だ。鉱山の施設であろう。白い笠を持つ電灯や白い板壁に開けられた通気口、そしてトラス状の柱や錆びたトタン屋根が見えてきた。何の建物だろうか。
諦めて帰らずによかった! 鉱山の建物だろう そうであってくれ!
写真を撮りながら近づくと、足元にはこんなものが見えた。
こ、これはレールではないかぁーっ!
またしてもレールだ! インクラインか。これはインクラインの山頂駅ではないか!?
「大仁金山〜その2」へ続く
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