葉

大仁金山は今〜その2
探索 2007年9月22日   
 
インクラインへの道程
 西側の尾根を登って、最上部の雛壇まで辿り着いた。その先の激薮を這々の体で掻き分け掻き分け縦断すると、このようなコンクリート槽があった。


             コンクリート槽の深さは2mぐらいだ

H鋼が渡してあるところから、かなりの重量物を載せてあったものと思う。それが何だかは分からないが、鉱石かと思う。

そして、倒木を幾重にも乗り越えて行き着いた先には、白い建物があった。


          この建物をよくぞ残してくれたものと思う

インクラインの山頂駅である。建物も運転室も、ほぼ完全な形で残っている。機関部もかつての姿のままであるだろう。よくぞ取り壊されたり撤去されたりしなかったものだ。


    レールを見るとワクワクしてしまうのはなぜ?

長い年月、風雨にさらされてきただろうに、滑車はまだ油分を含み、動かせば稼働するような印象を受ける。


               まだ動きそうだよ、このプーリー

運転室には、オペレーター用の制御レバーが2本、最後の仕事を終えた状態で止まっている。


        木の扉がいい雰囲気だ
 
小屋の基礎部には、動力部が設けられており、小屋の奥に設置したモーターでワイヤーを駆動するようになっている。

奥の機械室では、巨大なモーターがワイヤーをドラムに巻き取って止まっている。


           大きなモーターで駆動していたんだな

運転席から見えた景色は、おそらく今よりもずっと開けて視界がよかったに違いない。


      谷を見下ろす運転席  昔はもっといい景色だったのだろう

この谷に、かつてはトロッコから鉱石が落とされる音がこだましていたのだろう。


         鉱石はどんな音を立ててトコッロからこぼれたのか

 錆びた台車が、鳴ることのない発車ベルを待っているように思えてきた。しかし巻き付いたツル植物の繁茂は、そんなことは関係ないように台車の動きを阻んでいる。


   いかにもケーブルカーの駅、という感じがいい


     重そうな台車だ  そうでなければ鉱石を受け止められなかったのだろう

一度でいいから、このインクラインが稼働している場面を見たかったものである。

下降開始
 さて、困った。インクラインまでたどり着いたのはよいが、どうやって帰ろうか。とりあえず降りてみて、そこからまた探索を続けないとならない。しかしインクラインの軌道敷は、このような状態である。

 すんなり下降することは不可能に見えたが、わずかな薮の隙間を見つけて、下降することにした。それしかないのである。


         ここを降りるしかない?!  それは無理っぽい!

 10mほど下ると、軌道を横切る取り付き道があった。そちらを辿ると、向こう側を登ってきた時には降りることができなかった、中段のステージに立つことができた。


        向こう側からは降りることができなかった、中段のステージ

これまでの足跡としては、選鉱場跡の東端に位置するインクラインと西端の尾根を登り、間にあるステージを行き来してきた、という感じだ。


     きれいな住宅街と鉱山跡の取り合わせは、はっきり言って合わないと思う

ステージの壁には、空中に行き場を失った階段がついている。


              中空の階段から下りる術はない

 インクラインのある方は、選鉱場の裏手に当たる。そちらには資材置き場がある。来る時に、その資材置き場の下の土手におびただしいゴミが捨てられているのを見た。おそらく鉱山とは関係のある機材などは置いてないだろう。
 しかし今はそちらに降りるしかルートがないような感じなので、とりあえず資材置き場を目指して下降を続けた。


           こちら側なら降りることができるかもしれない

途中でふり返ると、インクライン山頂駅がずっと上の方に見えた。


           天空にそびえる要塞とインクライン駅だ

レールは残っているものの、辛うじて軌道敷の作る地面の盛り上がりは、それと言われなければここがインクライン軌道敷だとは分からないかもしれない。


        雑草にすっかり覆われたインクライン軌道敷

ここは…!? もしかして…
 薮に足を取られながらも、何とか資材置き場まで降りることができた。やはり置いてあるのは、一般的な建築用資材や廃棄物のようである。

 その先は谷を埋めて用水路を造ったような平場になっている。実はここ大仁金山には、山神様があると言う。そのお社を探したいのだ。そこで、用水を遡ってみることにした。

 ちょうど咲き始めた彼岸花が用水のコンクリートを紅く彩っている。その奥に、朽ちた建物が見えた。


       紅い彼岸花と用水路、そしてあの倒壊寸前の建物は…

 鉱山のコンプレッサー小屋であろうか? 建物は倒壊寸前で荒れ果てているし、ちょっと嫌な雰囲気がしたので、近づくのは止めた。しかし山裾が岩場になっているので、坑口があるのではないかと、気をつけて見てみた。

 すると、ナンテンのような葉を茂らす植物の向こう側に、石柱が見えた。馬頭観音か大日如来の石塔か、はたまた墓石かと、近づいて、銘を読んでみた。

 風化のために表面は荒れており、すぐには判読できなかったが、まず「○○塔」と読めた。○の部分は…?と、さらに目を凝らすと、「供…養…塔」と読める。供養塔!? 誰かがここで亡くなったのか。


         ナンテン?の葉で隠れているが、供養塔である

供養塔の傍らにはナンテンが生えている。

 ナンテンが植えてある目的は、普通、「毒消し」である。田舎では、便所の裏や脇には、ほぼ間違いなくナンテンが植えてある。また、赤飯を重箱などに詰める時には、ナンテンの葉を載せて蓋をする。この供養塔にナンテンが植わっているということは、取りも直さず、ここに消すべき毒素があるということだ。ということは…?!

坑口がありそうな雰囲気だと思ってその奥の薮の中を見てみると…、おお、あった!


         ブロックで厳重に封鎖された坑口 高さは1m強だ  

 坑口と、その前にある供養塔…。何やら秘密のありそうな取り合わせだなぁ。もしかして、というより、ここで坑内事故があったということではないだろうか。 

 そんなことを考えながら廃屋をよく見てみると、建物の近くに、煉瓦の塀が残っている。コンプレッサー小屋に煉瓦の塀が? 火薬庫ならまだ分かるが、鉱山小屋を塀で囲むことはないだろう。となると、何だ? この淋しい雰囲気、鉱山関連ではないかもしれない建物、目を遮るように立てられた煉瓦塀…。これは、もしかして、

    か
     、
    
     、
    
    、

      
   葬
    場?! 

(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

この小屋は、瓜生野地区の古い火葬場の待合所ではないのか?!


              ヒィィィィ…、この建物は限りなく怪しい!  

 いや、「これも鉱山関連の施設である。」と記載したホームページを見たことがある。以前は他にも関連施設の建物があったそうだが、だいぶ取り壊されたそうだ。

 ただ、昭和の中期までは各集落には、家々から遠くなく近くない淋しい場所に、それぞれの集落の火葬場が作られていたのだ。今残っているこの建物が何なのかは、分からない。次回の探索時に、確かめることにしよう。(誰か、先に調べてくれないかニャー)

主坑道か?!
 さらに奥へ行ってみれば坑口を見つけることができるかと思ったが、山道は雑草が茂っているので、やめにした。(実は、後で分かったことだが、そちらに行けば、山神様があるらしい。今度の課題だ〜)

 供養塔とその奥の坑口から戻ってみると、資材置き場に軽トラが止まっている。資材置き場に男性が一人いる。

(何か言われるかな?)と思って何気ない振りを装って歩いていったが、お咎めはナシだった。

 道は資材置き場の脇を通って、真っ直ぐ行く未舗装道と、下に降りる舗装道がある。坑口のある場所は知らないが、何かあるかもしれないと、行ってみた。すると、右手にこんな立派な坑口があった!


                立派な坑門をもつ坑

 大魔神かガンダムの角を彷彿とさせるような立派な坑門である。扁額がないので何という坑道か分からないが、おそらくこれが大仁金山の主坑道の一つであろう。今は名古屋大学の地震研究所の観測室になっていると書いてある。もちろん施錠され、立ち入りはできない。
 

           扁額が取り外されているのが惜しい

その奥、10mほど歩いたところに、もう1つの坑口があった。


            少し離れて並ぶようにして見つかったもう一つの坑口

 こちらにも「名古屋大学地震研究所 観測中につき立入禁止」という注意書きが貼ってある。ということは、これら2つの坑口の前の道は、トロ道だったということだろう。もしかしてインクラインまでレールが続いていたのかもしれない。

 これ以上先に進んでも墓地の上に出るだけのようなので、引き返した。

 資材置き場の前で道を折り返して、坑口の下に降りた。途中に、古い墓所があった。


       インクライン下の資材置き場や坑口のある道から降りてきたところ

上の画像で向かって左に行くと墓地があり、その手前にこんな窪地がある。ちょうど2つの坑口の下に位置する場所だ。


     妙な窪地があると思ったら…、何やらコンクリートの遺構が見えた

何かありそうだな、と思ってよく見てみると、傾斜の中程に、コンクリートの遺構がある。


            索道施設の一部であろう

 これも鉱山関連の施設の一部だろう。架線のワイヤーを受け止める中継プーリーの基礎のような形をしている。ということは、ここに鉱石を降ろす施設があったのだろう。

 となると、さらにこの下にある瓜生野公民館の辺りがかつての鉱石集積場だったのかもしれない。最初に登ったインクライン跡がすぐそばにあるのだ。あくまで推測であるが。


          この辺りが鉱石置き場だったのかな

 今回の探索は、ここまで。とうとう山神様は見つからなかったので、また来てみよう。山中には、石に刻まれた金山誌も立っているという。そちらも見てみたい。

 なお、「百笑の湯」の入り口近くにある駐車場そばにお社があったが、そちらは山神様ではなかった。供養塔のある坑口の奥に山神様と金山誌があるらしい。では10月のお休みに行ってみますか。「百笑の湯」に入ってみるのもいいかもネ。

でもやっぱり選鉱場がある時に来たかったな(←まだ言ってる…)


          秋の陽光を浴びて“ 選鉱場ステージ ”は輝いていた
                                             
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