葉

二十六夜山の月待ち伝説に迫る
   探索2006年7月30日
 
プロローグ
 7月17日にふらっと訪ねた南伊豆町吉田には、二十六夜山という山がある。このところ懇意にしていただいている裾野麗峰の後藤様が3年前の6月に登られた、と「れいほう」のHPに記載されている。

二十六夜山。何か曰くありげな名の山である。どうしてこの伊豆の奥地である南伊豆にそんな名の山があるのだろうか。

二十六夜山の言い伝え
  「二十六夜伝説」という言い伝えがある。 二十六夜山というのは、月待ちの信仰であるのだそうだ。

 時は江戸時代。「二十六夜信仰」というのがあり、旧暦1月と7月の二十六日の三日月の夜半に、月の出るのを待って拝んだらしい。これは「月隠 つきごもり」「つきこもり」ともいい、山頂での行事にとどまらず、江戸では高輪や品川などでも盛んに行われたという。

 この晩の月はごく細い下弦の三日月で、明け方に近い午前3時頃に昇るらしい。その夜の月を拝むと、月の光の中に弥陀と観音と勢至の三尊が浮かぶという。 なんとロマンチックな言い伝えではないか。
(勢至菩薩は私は聞いたことはなかったのだが、観音菩薩様と共に、宇宙の本尊「阿弥陀仏」の左右の脇仏であるらしい)

 ちなみに中部地方にはもう2つの二十六夜山がある。 その2つともが、山梨県の道志山塊にあるという。

  一つは山梨県都留市と道志村に属する標高1297mの二十六夜山。 もう一つはそこから東北東へ直線距離にして約10Kmの位置にある秋山村の二十六夜山972m。 何れも月待ちの行事が行われていたところらしい。
 それぞれの二十六夜山には「二十六夜塔」と刻まれた石塔が建っており、道志のそれは1854年(嘉永7年)に建立され、秋山の二十六夜塔は1889年(明治22年)に建立されたとのことで、何れも古いには違いない。
 
 また、田中澄江氏は、隠れキリシタンが、二十六夜の月にかこつけて、仏を拝むと称して、ひそかに山上に集まり、マリアへの祈りを捧げたのではないか、という説を唱えているらしい。

 そいうえば吉田の隣の妻良の集落にはキリシタン禁制の言い伝えがあると聞いた。これは絶対に何かある!ぜひ行ってみよう。

さあ、出発
 今回の相棒もバイクだ。車検を受ける時ぐらいしか動かさないのに、少しも不満を言うことなく実直に動いてくれる。
 午前9時45分。並列4気筒8バルブのエンジンに火を入れ、一路、吉田の里を目指してアクセルを開けた。(GSだから1シリンダーに2バルブなの。GSXなら1シリンダーに4バルブあるんだけどネ。)

吉田、再び
 夏の渋滞に巻き込まれることなく、30分間ほどで妻良トンネルに到着した。ここから吉田に入る。


            バス停の名は「吉田口」だ

 曲がりくねった細い道を、対向車に気をつけながら下る。アロエの畑で働いている人の姿が見える。道の右向こうにちらちらと見えているのが二十六夜山だろうか。



 吉田の里は前回来た時と同じようにひっそりとしていた。バイクをどこに停めたらよいか迷ったが、結局無人の家屋になっているらしき建物の横に置いた。ここが遊歩道入り口に一番近いからだ。

 里人がいれば話を聞きたかったが、すぐそばの車庫に広げられたアロエの葉は放置されたままだ。そういえばちょうど10時休みの時間だから、作業主は自宅に戻ったのだろうか。


   無人の里であるかのようにひっそりとしている


  作業の途中で人が消えたかのようだ

ハイキングコースから
 案内板の説明によると、南伊豆町の自然を見てほしくてこの遊歩道を作った、と書いてある。吉田から妻良に行く道は今私が来た車道の途中からあるそうなので、これから歩く道は古道ではないのかもしれない。しかし道は至る所にあるのが普通なので、もしかしたら古い道がそのまま使われているのかもしれないと思った。ま、そうでもなければ楽しみがないでしょ。


          さあ、歩き始めよう

 道は谷筋に沿って登っていく。この谷筋にもアロエの畑がある、しかし人影は見えない。
 3年前に後藤様が迷ったという分岐には、網が張ってあった。確かにそちらの方が道らしいので、迷うのは無理はない。だから網を張ったとも考えられる。が、これから私が行く道は左だ。そちらは、えーっ!?と思うほど草が茂っている。虫が苦手な私には清水の舞台から飛び降りるつもりで突入しなければならない。さあ、いくぞーっ!


        初めはこんな感じで歩きやすかったのだが…


            谷に広がるアロエ畑


    こんな道を行くの!? 虫がいそう!


     一つだけ見た砂防ダム

小さな治山ダムを見て道は右に進む。オレンジ色の百合?が可憐な花を開いている。1カ所だけ倒木があった。



だいぶ標高が上がったところで小休止。振り返ると、向こうの山の上に風力発電の風車が止まっているのが見えた。


  
 運動不足の体に登り坂はきつい。酸素の摂取量が下がっているのだろう、生あくびが出てしかたがない。これじゃ冬の河津−下田駅伝なんかで走れないよー。

 左(西)は海なのだろう。眺望は開けないが、漁をする船のエンジン音が聞こえてくる。

 道に木の階段が作られている辺りに来た頃、左の薮の中から、「ドンドン」と、地を叩くような音が聞こえた。たぶん野生動物が私の足音に警戒して威嚇音を立てたのだろう。地面を足で蹴ったのではないだろうか。イノシシかな。そういえば遊歩道のあちこちに、竹の根っこを掘り返した跡がある。

 また、珍入者を警戒したのだろう、クマバチともスズメバチともつかない昆虫が盛んに私につきまとって、頭の回りを飛び回っている。あー。鬱陶しい。刺さないでくれよ〜。


       標高が上がるとこんな道になる


 標識はあるが、二十六夜山を示してはいない

峠か?!
 段のついた道を登り切ると、道は平になる。峠という感じではないが、地図によるとここは妻良までのルートの最高部のようだ。そして「れいほう」の記録によると、二十六夜山はここから遊歩道から右にそれ、踏み跡を辿って尾根筋を登ることになる。(なお、カメラの感度が最低の50に設定されていたため、暗いところで撮った画像はブレブレである。ご容赦願いたい。)


 平坦な部分に出たところ。 左下方から漁船の音が聞こえている

 二十六夜山への道しるべはないので、地図を見て尾根に取り付くべく、ルート探しをした。背後に南西側の238mのピークがくるようにして山頂を見るようにする地点が入り口になるはずだ。一番それらしいところを見極めて入ることにした。


      この辺りだ 行けーっ!

と、木の幹に赤いビニルテープが巻いてあるではないか。ここでいいんだ。意を決して進入する。吉田を出発して30分間が経過していた。


         赤テープだ! 行くぞーっ!

 が、喜んだのもつかの間。踏み跡は消え、次のテープも見つからない。前方は薮である。ど、どうしよう。

 しかたがないので、とりあえず尾根筋を進むことにした。右手の木々の間からは遙か彼方に海が見え隠れしている。太陽光線と漁船の音が届く方角に常に気をつけていくことにしよう。

必死の薮漕ぎ

       人はこれを踏み跡と呼ぶのだろうか…

 尾根筋はおおよそ分かる。が、一面竹やアオキで覆われていて、向こうがよく見えない。特に枯れた竹が幾重にも重なって、進む私の体を突き刺そうとする。ハチも相変わらず頭の回りをブンブン飛び回っている。 これが、ザ・薮漕ぎ。 嫌になってきた。

 しかしここで引き返すわけには行かない。だってHPのネタがなくなるもん。 虫やヘビ出現の恐怖と戦いながら、しかたなく登っていく。


      手ブレが却って臨場感を出しているかも

尾根筋は薮が酷いので、やや右を進む。そちらも薮は凄いが、少しはマシである。


            こんな所ばっかり…

 そろそろ第1のピークがあるはず、という辺りで、ようやく木々の間がすっきりしてきた。また、踏み跡も復活したような感じもする。これなら行けるかもしれないと、前途に一条の光が差し込んできた思いがした。


         こんな所ばかりならいいぞ。 GO GO!

 第1のピークには、木の幹に赤いテープがまかれ、コンクリートの杭が地面に打ってあった。そこから一旦緩やかに下り、尾根筋を行くことになる。

こ、これは?!
 尾根の東を歩いていると、何やら人の手によって加工された印象を与える石があった。これは…。


       自然に割れてできた形ではないと思われる石

 さらに辺りを見回すと、こんな造形を施された石も見られた。上部を削って方形の窪みを作ってある。何かを置いたのだろうか、それとも水を溜めるておいたのだろうか。場所の雰囲気としては、恵比寿ヶ所から大段へと歩くルートに似ている。(ここは大段か? と何度も錯覚してしまったほどだ。)


         窪みの大きさは、60×40×15ぐらい

 かつて山神様の祠でも安置してあったのかなあ、などと思いながらさらに辺りを見回したが、これら以外の人工的な工作物は見つけられなかった。しかし下から登ってくるような道の跡があるような所も見られた。もしかしたら東から登ってくるルートがあったのかも知れない。

 この辺にはやたら足が細くて長く、そのくせ胴は極めて小さいクモがはい回っている。うかつに木の幹に手を伸ばそうものなら掴んでしまうし、地面にいるそれを何匹も踏んづけたのではないだろうか。夏は山に来るもんじゃないな…。

と、前方に山肌が迫り、踏み跡は上りとなった。いよいよ二十六夜山のピークに近づいたのだろうか。もう一踏ん張りだ。自分に活を入れてさらに登っていく。 しかし、バイクを停めた時に何気なく持ってきたヘルメットが邪魔だ。これでは三点確保ができない。シールドも岩にぶつけて傷が付いてしまった。もう、自分はいつもこのように無計画なんだから…。


      尾根筋の様子  踏み跡は、あるといえば、ある

 ピークの手前、山肌が立ちふさがるようになる辺りで、木の種類が変わった。何という木なのか。横を向いて傾斜の様子をカメラに収めた。 ここも大段のピーク手前と雰囲気が似ている。


           傾斜角度はこんな感じ

 と、ここで一瞬、変な臭いを感じた。腐臭のようにも感じる。

 実は夕べ某掲示板で心霊系の書き込みを読んでいたのだが、危ない霊が出る時には、辺りに腐臭が漂うというのだ。今私がいる場所は暗く、じめじめしている。もしかして…。いやそんなことは考えず、進もう。何より私には霊感など備わっていないのだ。

 さてさて、獣道のような踏み跡を探しながら、ようやく坂を登り切った。と、そこには再び赤いテープが。今頃出てきたって、遅いよー。もっとたくさん付けてくれなくちゃ。ま、それは私の我が儘な思いですけど。


        ほぼピークに達したところに赤テープが

二十六夜山の頂で見たものは
 さあ、ようやく着いた。ここが二十六夜山の頂上だ。HPのネタができてよかったネ。遊歩道から分かれてここまで30分間。吉田からちょうど1時間を要した。

 ここには、三等三角点があるはず。それを探してみよう。他にもなにか遺構なんかがあればよいのだが…。

 と、東側に窪んだ所が2つあるのが目に入った。自然にできたものかな、いや、人が掘ったのではないかと思うような穴だ。大きさは8畳間ぐらいで、深さは1mほどある。こんな窪みが2つ見られた。



 そういえば、これと同じような窪みを、宇土金のヒトボシ地蔵様近くにある山神様のそばで見たことがある。
 当時、お参りをして山中でひと晩過ごす人は、その窪みで風を除けたそうだ。二十六夜山で月待ちをしたのなら、当然その場所もあったはずだ。もしかしてこの窪みがそうなのだろうか…。月待ち伝説にちょっと自分が近付いた感じがした。

 そして、すぐそばには、これも明らかに人為的に造作を加えられた石が幾重にも積んであった。何かの建造物を取り壊して積んだような感じだ。一体何がここにあったのだろうか。



間もなく、西側に白いポールと石標があるのが目に入った。三角点の石標であろう。






そして傍らの桜の木には、この山名標が。



 眺望は西北西に少し開けているのみである。しかしこの日は、ガスっていた。天候に恵まれれば、富士山も望めるという。


  眺望は僅かにこれだけ  昔はもっと回りがよく見えたんだろうな…

 さて山頂をもう少し歩いてみる。三角点の東に、こんな大きな石があった。こ、これは…!?


         全体の大きさは、2m×3mぐらいある

 これも明らかに人の手が加えられている。石を切り出した跡だろうか。つまり石丁場の跡? それにしては普通、石丁場に見られるような、石を切り出した跡の凹型の窪みがない。むしろ全体的には凸型をしている。

 何かな、何かな〜、と見ているうちに、祭壇のような使われ方をしていたのではないか、という思いがしてきた。

 下の画像は、これが祭壇だとしたら、そこに向かうアプローチに当たる部分である。アプローチは西側に、祭壇は東側にある。祭壇の部分は、一段、二段と、徐々に高くなっていく。月は東から昇るので、これはもしかして本当に月待ちの儀式に使われていた遺構ではないだろうか…。人々はここで東の空に向かい、二十六夜の月のを待ちながら何を想ったのだろう。極細い三日月の上に弥陀と観音と勢至の三尊は幾度表れたのだろうか。 あるいはマリア像を祭壇に祀り、密かに祈ったのであろうか…。 キャーッ! (←何の歓喜の雄叫びだいっ?!)



      人が1人歩けるほどの幅を持つ祭壇へのアプローチ

 さあ、話はがぜん信憑性を帯びてきた。本当に吉田の二十六夜山の月待ち伝説は明らかになるのか?!



             次号、さらに二十六夜山の月待ち伝説に迫る
                                             
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