葉

二十六夜山の月待ち伝説に迫る〜その2
   探索2006年7月30日
 
山頂を後にして
 二十六夜山で見つけたものは、山神様の跡?と、窪みと、祭壇の跡(と思いたい)である。それらは、本当は何なのか…。これからその真実に迫る作業をしなければならない。とりあえず山を後にして里におり、人々に話を聞くことにしよう。

 「れいほう」の記録によると、ここから東にルートがあり、蛍光テープがそれを示しているという。そしてそのルートは、東のピークへと登山者をいざない、吉田−妻良間の古道へとつながっているというのだ。(そしてその峠にはお地蔵様があるという! いつか行ってみたい!)


    触ると粉を吹き出しそうなキノコがあった

 下りはさっき来た道だから簡単に戻ることができるだろう、とタカをくくっていたら大変である。私の場合、計画性がないから、同じ道を戻れるとは限らない。さっきの薮の部分は無事に通過できるだろうか。

 途中のピークを過ぎ、遊歩道へ下り始めた頃、やはり東へ下りてしまったらしく、行く先が急に落ち込む地形となってしまった。
 しかたなく必死で薮をこぎ、北へトラバース。何とか尾根筋に戻ることができた。(南伊豆を舞台に展開するという自衛隊レンジャー訓練もこんな事をするのだろうな、でも彼らにはこんな薮漕ぎ、朝飯前なんだろうな…。)などと考えつつ、ひいひい言いながら下った。

 薮をこぐこと10数分。と、前方に明らかな道が来ている。(なあんだちゃんとした登山道があったんじゃん! と思ったのだが、それはさっき私が歩いてきた、吉田と妻良を結ぶ遊歩道そのものであった。) でも、とにかく無事に生還することができたのだ。ああ、ほっとした。もう夏に山にはいるのはやめよう。こりごりである。


  ちゃんとした道だ! と思ったらさっき来た遊歩道だった

伝説を探る
 吉田の里に下りた。山頂からは約35分。迷いながらとはいえ、帰りは早いものである。
 さて、里人に話を聞かなければ。バイクを置いて、少し歩いてみよう。

 おお、アロエ畑で仕事をしているご婦人がいる。仕事の途中で悪いと思ったが、手を止めていただいて、尋ねてみた。

「お仕事中申し訳ありません。あそこに見えている二十六夜山について、昔は月を見に行った、というような言い伝えはありませんか?」

「え? あの山ですか? いいえ、そんな話は聞いたことがありませんね。私も行ったことはありますが、言い伝えはないですよ。」

「えっ、行かれたことがあるんですか?」

「いやね、てっぺんまでは行ってないですよ。皆と一緒に山仕事にね。でもいつだったか、山に入ったおじいさんがいなくなっちゃいましてね。私も幾日か探しに行きましたけど、とうとう見つからなかったですよ。」

(ええっ、おじいさんが山で迷って、まだ見つかっていない!
 腐臭! フシュー…! (*_*) )
 

「そんなこともあって、今では行かなくなりましたね。だからボサ(←薮のこと)がひどいでしょうよ。ヘビやマムシも出るしねえ。 あんた、どこから来たですか。え? 今登ってきた? そりゃあ…、夏は山に行く時期じゃないですよ。」

「はい、ひどい目に遭いました。でも月を見に行ったというような言い伝えはないんですね…。」

「あっちの家にいるおじいさんに聞けば分かるかも知れないけどね。今はいないかなぁ。」

「おじいさんですか。はい。ではもう少し歩いてみます。ありがとうございました。」


  改めて見ると、かなりの山容を持つ山だ (左下が初めに話を聞いたご婦人)

 少し歩いてサイの神を見ようとすると、下の畑でおじいさんがキュウリを収穫している。どんな人か分からないが、とにかく声をかけることにした。

 二、三、質問してみたが、言葉少ないおじいさんのようである。

 傍らにあるサイの神があるのは、

「そこが昔からの道だったからだよ。だが、他所に行くには、あんたが今来た道(バイクで下ってきた車道のこと)を戻るしかないよ。」

との事であった。ということは、今私が歩いてきた遊歩道はやはり新しい道であり、妻良に行く峠道の方が古道であるということになるだろう。二十六夜伝説については、やはり

「そんな話は聞いたことがないなあ…。」

とのことで、ここでも空振りであった。うーん、地元の古老がそう言うのでは、いきなり探索を否定されてしまったものではないか…。どうなるんだ、この話。


    「そんな話は聞いたことがないねぇ。」

 それにしても吉田は静かな集落である。途中で小学校5年生ぐらいの男の子を見かけたが、後でかみさんに聞いたら、吉田の学区に小学生はいないとのことで、たぶんよそから来た親戚の子だろうという話だった。(もしかしたら総合的な学習の時間で地域の伝説を勉強しているかも知れないと思ったから、気になったのだ。)


       アロエの畑が広がる吉田の集落

 このように、土地の人が知らないと言うのではしかたがない。海の方にあるという神社も訪ねてみたかったが、次は図書館に行ってみようと思い、吉田の里を後にすることにした。歴史に関心のある人に尋ねた方がよいのかも知れないし。

 集落を出たところにいくつかの石造物をまとめてあるので、もしかして二十六夜塔に関連する石塔があるのではないかと思い、止まってみた。しかしそれらしきものはなかった。



 この道の向かい側には小さな墓地があり、その一角に、自然石に「子安観世音」と刻んである塔があった。幼くして亡くなった子の供養のために建てたのだろう。昔の生活や人々の思いが偲ばれた。


    高さ40cmほどの小さな石塔である

昼食タイム
 さて、喉は乾いたし腹も減った。ここはさっき通った気になるパスタ屋に寄ってみよう。おいしいパスタが食べられるといいなー。ひょっとしてお店の人が何か知っているということも期待できるし。

 お店の名は「一色(ひといろ)」。 「一色」と書いて「いちき」や「いっしき」と読む地名が白浜や仁科にあるが、ここ南伊豆にもあるのだろうか。(あとで地図を見たらその通りで、この辺は一色というところらしい。)



 お店の中は古民家風の内装で、天井がなく、太くて黒い柱や梁が屋根を支えている。店内は静かで落ち着く雰囲気。ほどよい明るさが気持ちをほっとさせる。
 
 「ランチメニューです。どうぞ。」と差し出されたメニューを見て、「フレッシュトマトと生バジルのスパゲティランチ1300円」と注文した。後で「塩味とトマトソースのどちらがいいですか?」と尋ねられたので、もちろん大好きなトマトソースを選んだ。


  落ち着いた雰囲気の店内 旨そうな天然酵母パンが並べられている


        ランチセットとトルテ 計1,500円

 会計を済ませる時に思い切って話しかけてみた。接客をされている女性は若い人だが、もしかしておじいさんやおばあさんから言い伝えを聞いているかも知れないと言う、一縷の望みを持っていたからだ。
 私が二十六夜山のことを訪ねると、ご主人を厨房から呼んでくれて、話を確かめてくれた。そこで伺った話は、以下の通りである。

 経営しているご夫婦は千葉からやってきて、去年の10月にこのお店を開いたそうだ。ナスやトマトを自家栽培して料理に使っているが、本職はパンを焼くことだそうで、なるほど店内にはおいしそうなパンが並べられている。

 二十六夜山の言い伝えについては、お隣の天神原で星を見る会があり、そこで誰かが「自分たちは今天神原で星を見ているが、吉田(妻良?)には昔、月を見る山があったそうだよ。」と話している人がいたそうだ。それはまさにこの二十六夜山の事ではないだろうか。

 何でも天神原には、ネットを通じて日本各所から星を見に来る人がいるそうである。当のご夫婦も、こちらに越してきて冬の星のきれいさに驚いたそうだ。しかしよそから来た人が言っていた話なら、一般的な月待ち信仰のことを指しているのかもしれない。どうなんだろう…。二十六夜山伝説をちょっとかすった感じだった。

 ご主人には、参考にと、ポケットの中でよれよれになった地図を渡してきた。またお店に来ることを告げて、外に出、GSに跨った。

 加納に出る途中の細い道では、コスモスが咲いていた。ひまわりとのマッチングもよい。思わずGSを停めて写真をパチリ。こういうひとときがいいよね〜。



南伊豆町立図書館にて
 さて、次は南伊豆町立図書館にやってきた。ここの2階に郷土資料室があるのだ。また、司書さんに話を聞けば何か手がかりがつかめるかも知れないし。


     こぢんまりとした図書館。中は靴を脱いであがるのだ

 2階の資料室は学習室としても使われており、高校生ぐらいの男子が自習をしていた。

 その傍らで資料を探してみたが、その多くは、妻良や子浦が風待ち港として賑わった頃の話や、日和山の方角石について記述された資料であった。妻良と子浦は江戸の帆船時代に風待ち港として大いに賑わったそうで、子浦から妻良まで船の上を歩いて渡ることができたという。

 しかし二十六夜山については地名として扱っているだけで、言い伝えを記した資料は見られなかった。

 ただし、南伊豆には町の郷土史家が長年研究をしてきた会報『南史』がある。今回はそれを目にすることはできなかったが、そちらを紐解けば、きっと手がかりが得られると思う。次回の課題にしよう。

 帰り際、玄関の片づけをしていた司書さんに話を尋ねてみた。
 すると、一般的な二十六夜の月待ち伝説は聞いたことがあるが、吉田の二十六夜山についての具体的な話は耳にしたことがない、と仰る。

 しかし、郷土の歴史なら加畑橋そばの民宿「福家」の渡辺M男さんという人に聞くとよいこと、今すぐに行くなら紹介の電話をしてくれること、次回は『南史』を閲覧させてくれることを言ってくださった。尋ねてみるものである。

 今日は既に山を歩いてお腹、じゃない胸がいっぱいなので、丁重にお礼を申し上げ、お暇することにした。また来てみることにしよう。もっとゆっくり資料を見たいし。



南伊豆郷土資料館にて
 実は、『南史』は、役場の隣の郷土資料館にも置いてある。
 そこで、閲覧しようと行ってみたが、あいにくこの日は日曜日なので、閉館していた。

 ちょうど2階でアマチュア写真展をやっているというので、覗いてみた。



と、あるある。きれいに引き延ばした風景写真だ。それらはほとんどが35ミリの一眼レフカメラで撮ったという。

 受付の年輩の紳士は、私が首から提げたデジカメ、キャノンS1 2Sに関心があるらしく、談話席に招いていろいろと話しかけてくる。そして質問攻めである。「このデジカメはどのくらい望遠が使えるの?」「バイクで来たの? 排気量は何CC? 私も昔はインディアンのサイドカーに乗っていたよ。この辺の狭い道では転回できなくて、困ったよ。由比辺りの直線だと、250CCぐらいの小さいバイクだとぽんぽん跳ねちゃうんだよ。やっぱりハーレーぐらいの大きいのでないと、路面に吸い付くようには走れないね。」と言う。

若い頃からお金持ちだった人なのかな。今はカメラ片手に悠々自適の生活なのか。羨ましい限りである。



ここにいる人ならきっと地元の方だろうと見当を付け、尋ねてみた。

「実は吉田の二十六夜山のことでお聞きしたいことがあるのですが…。」

「そういうことなら、ほらこちらの人が詳しいから…。」

と話を隣の人に振ってくれたが、かの人も無言であった。地元の人なら知っていると思ったんだけどなぁ…。目論見は外れた。


元インディアン乗りというご主人

エピローグ
 今回の聞き取り調査は、ここまでである。

 結局の所、南伊豆町の二十六夜山で月待ち信仰があったという具体的な姿は、見えてこなかった。例えば至る所にある秋葉山信仰などのように、人々の間で防火という切実な思いを持って広がった信仰とは違うのだろう。 二十六夜伝説…。それは美しくも儚い信仰のように感じられた。

 しかしそこに名前があるからには、何らかの信仰が存在していたことは否めないだろう。 今回の探訪において、それは夏の悪条件を押して登るだけの十分な理由になり得た。次はさらに識者に話を聞いた上で再訪しよう。その時には山頂から東に下りる尾根を伝ってみたい。そちらにも何らかの遺構がいくつか見られるというのだ。でも夏はやめようネ。まだ体が痒いような気がするんだもん。
                                         
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