葉

寝姿山トンネルの事実〜その1
進入 2007年8月11日   
 
伝説? それとも、実在する?
 私は東伊豆町から下田市に転居して10年。下田市の埋もれた歴史を勉強し始めてから、時々耳にする話があった。

 それは、

「寝姿山にはの幻のトンネルが存在する」

という話である。

 そのトンネルは市の水道施設の上に入り口があり、間戸が浜の黒船ホテルの裏まで通じている、という話である。山歩きが好きな人や、子どもの頃寝姿山を遊び場にしていたという人、地元の歴史や史跡に関心のある人たちはそういう話をしているようだ。
 しかし、古文書や町史や市史や地名を調べている識者の中には、「そんなトンネルはないし、史実としても伝えられていない。記録もない。」と話す人もいる。一体どうなっているのだろう。


       この寝姿山のどこかに幻のトンネルがあるという

 ここで、「“幻のトンネル”はある」と言う人たちの意見をまとめてみよう。多少、内容に違いはあるが、「トンネルはある」という点において共通している。

・「寝姿山(万蔵山とも言う)にはトンネルがあって、水道課の上に坑門があり、黒船ホテルの裏まで繋がっている。」
・「子どもの頃、トンネルの入り口まで行って遊んだことがある。」
・「若い頃、トンネルに入ってかなり奥まで行ったことがある。だいたい200mは歩いていったと思う。」
・「トンネルは寝姿山鉱山で採取したカリ鉱石を運ぶために建設された。搬出口である間戸が浜側の坑口前には、かつて鉱石積み出し用のピーヤ(桟橋)跡が残っていた。」

と、このような話だ。

 どうやらどうやらトンネルの存在は本当のようだ。しかし矛盾点もある。大体、水道課のある地点の標高は約70m。一方、黒船ホテルのある地点は標高は約10m。その高低差を、トンネルはどうクリアしているのだろう。水道課からの下り勾配を持って繋がっているのだろうか。

 この謎については3つの考えや説がある。

 1つは、「トンネルは水道課側(山側)からゆるやかに下り勾配を持って間戸が浜側(海側)の坑門まで繋がっている」と言う説。主としてKAZU氏がとなえておられた。
 しかしKAZU氏には憂慮していることがあった。これは後で画像を見ていただけば分かるが、トンネルの山側内部には多量の湧水が溜まっている。その水が海側に流れていかないのは、途中で落盤などがあって水が堰き止められているからであろう、と考えられていた。だから、もしも東海地震などが起きた時の災害時にはトンネル内部の“ダム”が決壊し、蓄えられた多量のが一気に間戸が浜側にあふれ出し、家屋や国道135号線を破壊して大災害を引き起こすだろう、と氏は重大な懸念をしておられるのだ。



 もう1つは、「トンネルは山側海側とでは繋がっていない」という説。これは、双方の高低差から、繋げるのは無理だろう、という説。建設途中のまま放置されてしまったので繋がっていない、という説だ。



 そして最後は「これが寝姿山鉱山から鉱石を運ぶトンネルだとしたら、標高の高い山側のトンネルは、その先の地中で、標高の低い海側の坑口から来たトンネルへホッパーで鉱石を落としていたのだろう。だから、2つの坑口の標高差は問題にならない。中央近くで高低差を持って繋がるように建設しようとしたに違いない。」という説。これは鉱山研究家のF井D一氏の説である。



ちなみに、山側の坑口から海側の坑口までの水平直線距離は、地図上の計測で約600mである。

“幻のトンネル”
 話は1年前に遡る。「その“幻のトンネル”は下田城、あるいは下田城の上にある」という情報を得た私は、その地点に目星をつけて、単独で山肌をよじ登った。そこは家から遠くないところにあるので、行こうと思えばいつでも行けるのだ。だから失敗は恐くなかった。

 すると、トンネルは掻き分けたアオキの灌木の中に突如として姿を現したのだ。画像は後ほど紹介する。

 確かにこれはただ山中を歩いていたのでは気づく確率は低いだろう。しかしトンネルの前には平場があり、コンクリートでできた基礎跡や排水溝なども見られた。かつてはきちんとした施設として存在していたのだと思われた。

 が、実を言えば、同時にこのトンネルに関する調査を進めていたKAZU氏はその公開を躊躇しておられた。むしろ災害発生時には被害を増大する要因になろうと、懸念されていたのだ。その理由は先に述べた通りである。だからこのページもKAZU氏の目の触れないようにアップしようかな…。

そして「夏」が来た
 実はここの探索は、S川隊長と共にほぼ1年前から狙っていた。

 それは隊長と私との出会いとほぼ同時に始まる。隊長が図書館での“歴史に埋もれた近代産業遺産を探して”という展示を市立図書館で行ったことをきっかけにして知り合った私たち。まずは情報を求めていた隊長に、私が蓮台寺鉱山とここ“幻のトンネル”を紹介した。その時、隊長は「来年の夏、海パン穿いてトンネルの奥に入ってみるよ。」と静かに闘志を語っていた。それで私は隊長の勇気に共感し、入り口まで行動を共にすることにしていたのだ。

そして、その「夏」がやって来た。隊長は本当に海パンで入るのか? 私は海水浴で遊ぶ時のゴムボートで漕いでいくことを勧めたんだけど…。

事前にメールで参加者を募ったのに、集まったのは隊長と私だけ。と、見覚えのあるシルバーのフィットが市街の方から上ってきた。合図をして止めると、H谷川女史ではないか。

「参加されるのだったんですねー。来るの、遅いですよー。」と声をかけたら、

「いやだ、そんなの知らなかった。パソコン最近開かないもの。」

と仰る。

「それだと穴菌隊失格ですよー。次は一緒に行きましょうね。」と言葉をかけ、氏を見送った。

それ以上待っても誰も来ないようなので、山に分け入ることにした。真夏なので、木々は旺盛に生長を続け、薮もその密度を増している。


           待ち合わせの場所には、私たち2人だけ…

 山肌には、踏み跡がついていた。薮にも、人の手によってかき分けられて枝が拉げた跡がついていた。誰か来ている…、そう思わせる痕跡だ。一体誰が…?


       「んー、誰か先に来ているな〜」  ちょい焦る!

アオキの灌木というのは、こういう状態になっている。一寸先さえ見えないのだ。先達のつけた跡を辿るようにして分け入っていく。


   アオキ(←某スーパーマーケットの名前ではない)の灌木を掻き分けていく

そうして私たちは懸案のトンネルの入り口に立った。

と、ここで隊長が意外な依頼を私にした。

「アクアシューズ、ねこ山の分もあるよ。」

へっ!? アクアシューズ? 

「鈴木さんの分も靴持ってきているから、一緒に入ろうよー。」

「えっ、私も入るんですかあ?!」

「そうだよお、決まってるじゃん。何だい、私だけ入れっていうの? ダメだよー。さあ、靴履いて!」

「そ、そんなあー・・・・。さすがにこのトンネルはこわいよォ。
見ているだけのつもりだったのにィ…。」


「見ているだけなんてダメだって!」

      うっ!
       ・
       ・
       ・


かくて、“私たち”の寝姿山トンネルの探索は始まった。


      夏特有の湿気の中でトンネルの坑門前だけは冷気を漂わせている

坑口の大きさを人と比べてみよう。ご覧の通りの大きさである。


  坑門は埋もれかかっているが、内部の路盤からは高さ4.5m  幅は4mほどある

って、本当に私も行くのォ〜???!

  
        寝姿山のトンネルの事実〜その2 に続く
                                             
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