山神社
これは山神社である。 奉納されているのは鉱石(けしからん輩が持ち出さないことを祈る)であろう。
隣りに立てかけてある棟札(むなふだ=板材に墨で書いた、神社の建築に関する記録票)を読んでみた。
「維時 昭和九年四月十七日 奉鎮祭 金山彦命 大山祇命 金山姫命 山神社々殿改築・・・」
これは間違いなく、ここM越鉱山の守り神である山神社とみて間違いないだろう。
やがて山の神様は、私たちを別の世界に導いてくださった。東に進むと、一本の道に出たのだ。
この道は我らを鉱山跡に導く道か あの先に何が・・・?
この道を上り詰めると、何があるのか。どこに出るのか。何を見ることができるのか。未知の領域に足を踏み入れる興奮に、私の胸は打ち震えた。
そこで私がまず見たのは、ブルドーザーである。動きを止めて数年経っているだろう。雨ざらしであろうその躯体は、赤錆を身に纏おうとしていた。
ブルドーザーでさえ薮に呑み込まれようとしている 大きなパケットも無力である
次々と現れる遺構群
その周囲は猛烈な草藪である。少しでも視界が見通せる方はと探ると、錆びた鉄骨が建物を形作るようにして建っているのが見えた。
そびえ立つ鉄骨のみの建物 建築途中だったのだろうか
この鉄骨は、本来なら壁や屋根を架装して建物施設になる予定だったのだろうか。そうだとしたらどんな施設が作られようとしていたのだろうか。よく見ると、北側の壁がホッパーのような吐出口を持っている。この上にまた何か別の施設があり、そこから鉱石を落とそうとしていたのかもしれない。もちろんそれは探索を終えてから思いついたことであるが。
北側の壁には、ホッパーの様な遺構が見られる
しかし足元が危ない。草に隠れてよく見えないが、コンクリの床は基礎部分のみとなっており、底は見えるものの、落ちると危ない。産業廃棄物か、破砕されたプラスチックや金属が多量に打ち捨ててある。
しかしやはり鉱山の施設であろう。そこには太いレールがしっかりとコンクリート基礎に敷設されている。
産業廃棄物というのは見てあまり気持ちのよいものではない
しかも、これまで見てきた鉱山のトロ線よりも、規格が大きい。メジャーを持参していなかったため、計測できなかったのが残念である。
建物の床面積は、そう、20坪ぐらいであろうか。
この建物の骨格は、セメントの床を持っていて、それがすごく高い所に位置している。基礎の淵に立って下を覗き込むと、身震いしてしまうほどだ。
基礎にレールが載っている!
東のはじには、下に降りる石段があり、やはり廃棄ゴミが散乱している。
遥か下の方に工場が見えるので、ここは施設一帯のかなり上部に位置するのだろうと思われた。
私はその先の、上り階段に吸い寄せられるように歩を進めた。
東側には廃棄物の散乱する石段がある
トロッコのレールだ
石段はジグザグに急斜面を登っている。傾斜はかなりある。こんな階段でさえ息が切れてしまう自分の体力不足が恨めしい。もっと日頃から運動しないとダメだな…。
立派な石段である 連絡通路か
石段を2度折り返して10mも登っただろうか。ほっと一息つくと、そこには平場があった。そして、ここにもレールがあるではないか!
こちらのレールは、規格の小さいトロ線である。
すでにほとんどが薮や土や木の根に埋まっており、全貌を見ることはできないが、ポイントもしっかり残っている。
かなりの広さをもつ平場だ ここに何があったのだろう
レールだ この先はどこに繋がる
レールは一部、木に浸食されている
西に戻るようにして、建物の残骸が見られる方に進んだ。そこには木造の施設があったらしく、激しく朽ちて倒壊した建物は何の施設なのか判別することは難しい。あるいは鉱山の詳しい知識がある人なら、分かるかもしれないが。
木造の建築物が倒壊して見る影もない状態になっている
ホッパー? 何?
その一部にはホッパーのような遺構があり、その施設だけが屹立している。まるでかつての威厳を保つように残る力を振り絞って立ち尽くしているようだ。
木の梯子を登った上には何が載っていたのか
この辺り一帯の全体像が分からないので、周囲に注意を払いながら、とにかく歩いてみることにした。
すると、廃屋のある平場の端にこのような基礎が残っており、何らかの柱が据えてあったことを示している様子が目に留まった。
架空索道の支柱の基礎か でもちょっと細いかな
それは小さな狭い枯れ沢を挟んで一対あり、その先の斜面には太いワイヤーが埋もれていた。それらはここに架空索道があったことを想像させた。(後に穴菌隊員の一人、KAZU氏が収集した情報によると、ここはS越鉱山から鉱石を運ぶ架空索道の発着所だったことが分かった。と言うことは、次回の探索地は、ここだ!)
ワイヤーだあ 索道に使われていたのか
最上部を探索する
さらにその上の杉林には、運搬道のような道がつけてある。ここで私の鉱山レーダーは、感度が最高潮に達した。この先に何かある、何かがあるはずだ、そんな気持ちで導かれるるように歩いた。そこは、鉱山一帯の最上部と思われた。
何かに吸い寄せられるようにしてこの道を歩いていった すると…
進んでいくと、前に小屋が見えた。ほうら・・・!
この小屋は何だ!?
そら、鉱山レーダー反応大! だ。
近づいてみると、何かの施設小屋のようだ。
さあ、覗いてみてこれは驚いた。 これはケーブルカーの動力制御装置を納めた駅舎ではないか。
ということは、この下にインクラインがあるのか!? お、小屋の中に、奇妙な椅子があるぞ。
木製の机と椅子がよい状態で残っている
そっと小屋に入ってみると、まず目に入ったのは、茶色い大きな機械群だった。モーターには、プーリー、ドラム、制御レバー、ワイヤーなどが付属し、小屋の内部には電源盤や照明、マスコンなどが備えられている。あの奇妙な椅子は、オペレーターの腰かける椅子だったのだ。その椅子は、まるでそこに座る運転手が戻ることを信じていつまでも形を崩さずに立っているように思えた。
大きなドラムとモーター、そして制御棒
「ジリジリジリ・・・。」とケーブルが動き出す合図のベルが聞こえてきそうな錯覚を覚える。しかしそれはもはや決して鳴ることはないのだ。
しっかりした屋根がついているから保存がよいのだろう
今使用しているカメラのレンズは、広角側の焦点距離が38mmである。これではとても小屋の内部を俯瞰して撮影することはできない。せめて28mmのレンズを使いたい。 これからは機材の見直しが必要だ。 いよいよデジ一眼の出番か…。
自分としては自然光下での撮影が好き
どんな人がどんな表情でインクラインを制御していたのだろう
さて、すぐにでもこの下に延びるインクラインを詳しく見てみたいが、捨て目を利かせることは大事だ。まだ他に何か施設があるのではないかと辺りを探すと、もう一つ小屋が見えたので、行ってみた。
インクライン小屋より高い位置に、その小屋はあった。内部はがらんどうで、コンクリート槽が納められているように見えた。というより、コンクリート槽に屋根を被せた感じか。
天井には、レールを利用した構造材が見える。あるいはレールを支点にウインチが動いていたのだろうか。
ここに湛えられていたのは、水だろうか。それとも何か他の液体だろうか。
インクライン動力小屋よりさらに上にある小屋
中はがらんとした水槽のようだった
2つの小屋の関連はまったく分からない。 今後の詳査が必要だ。
インクライン小屋に戻った。南側の壁、機械がある側には長方形の小窓があり、ワイヤーが通っていた。ここを通るワイヤーがトロッコを昇降させていたんだな。仁科鉱山や寝姿山鉱山のインクラインは、いずれも機械の基礎部分しか残っていない。 これは初めて見る装置だ。貴重な施設跡だと思う。 当時は一体どんな音を立ててワイヤーが動いていたのだろう。
次回、いよいよインクラインを下降する!
M越鉱山3に続く
|