葉

M越鉱山3
探索 2007年8月8日   
 
いよいよ下降
 インクライン動力小屋に戻り、いよいよ下降を開始した。


   深い緑に囲まれたその小屋の外観は、さながら森のサナトリウムのようであった

 動力制御小屋からは、2本のレールが出ている。レールは土に埋もれて一部姿を隠しながら、傾斜度25度ほどの斜面を下っている。レールの太さは、先のコンクリート基礎に敷設されていたのと同じく、規格が大きい。かなりの重量の鉱石をトロッコに積んで動かしていたのだろうと推測される。あるいはインクラインの規格がこのレール幅を求めていたのだろう。


         2本のレールの間に1本のワイヤーが通っている

 隊長はナタで邪魔な枝を刈って、視界を広げている。私はどちらかというと廃墟などはまずありのままの姿を見て感慨を深くするのが好きなので、写真も初めは景観に手を加えずに撮る。しかし、人に伝えることや記録を残すことは大事(というより、至上)なので、より正確に遺構の姿を伝えるには、やはり薮払いは必要である。隊長、ありがとうです。


               隊長、山仕事はお手のもの〜

下降15m地点で見たものは
 薮が刈り払われるにつれて、隊長の姿の先に、コンクリートの建造物が姿を現し始めた。

 15mほど下ると、それがコンクリート製のプラットホームであることが明白となった! 


      プラットホームには複線分の余裕が持たされている


        斜めからのアングルはやはり絵になる

狂喜歓喜のプラットホーム
 プラットホーム! 電車やトロッコがぴたりと収まるレベルを持って佇む、コンクリートの継ぎ立て場。どうしてなのか、自分の中にぴったりくるのだ。だからこんな山中でトロ線やインクラインを見つけると狂喜もので、しかもそれがプラットホームを有しているとなると、乱舞してしまうのだ。 

 おや? プラットホームを跨ぐようにして別のトロッコレールが延びている!


     手前側のホームは使われていたのかはっきりしない

 ここはインクラインの終点という訳ではなく、途中駅のようだ。ホームは直角に交わる別系統のトロ線を引き込むようになっている。そしてここからインクラインは複線になって下降を始める。傍らには木製のドアや灯りが朽ちて横たわっているところから、ここにもかつてはオペレーターが常駐して機械を操作する小屋があったことを物語っていた。

 隊長はさっきから熱心に写真を撮っている。プラットホームの中に立ってもらって、スケールが比較できるようにしてもらった。規模は、仁科鉱山のそれの1/3程度の大きさかと思う。


         人と比べてもそう大きくはない

下の画像は、プラットホームを下から眺めたところである。ここをトロッコが昇降していたのだ。感無量である。


            いいなあ…、すごくいい!

やはり下から斜めのアングルで撮ってみた。


         この位置、この角度からの眺めも最高だ

 プラットホームからは、水平に軌道敷が延びている。
 ここでまたまた鉱山レーダーが発動。ピンと来るものがあり、その先を歩いた。薮の中にトロ線が続き、美しいアールを描いている。ポイントも健在だ。動きはしないだろうけど…。


       この薮、このレールの規格  見覚えある!

 レールを辿ってどんどん歩いていくと、位置関係からして、最初に石段を登ったところにあった平場に繋がると確信した。


         この絶妙のアールがいいではないか!

狭軌のレールだ。こぢんまりとしてカワイイーーー! という感じだな。


    向こう側に手すりのように見えるのも、レールである  崩れたのか?!

果たして、ほどなく石段を登りきったところにある、倒壊した建物跡に着いた。ビンゴ〜。

続くインクライン跡
 引き続き、インクラインを下降する。途中駅から複線となったレールを見下ろすと、そこから先また薮となり、もはやレールは続いていないように見えた。  が、実際に歩いてみると、何とレールは更に下方に続いているのだ。ただし、そのほとんどは土に埋もれ、とうとうホームから30mほど下った地点で途切れていた。その傍らには、木製のトラス構造を持つ足場が朽ちて横たわっている。


   一体どこまで続いているのか。 果てしなく続くような錯覚を覚えた


    一旦レールが途切れた先にある木製のプラットホームは朽ちていた

 ここでインクラインは終わりなのか…、と思って山肌を下ると、林道様の道に出た。この時私は(インクラインはここで終わりであり、鉱石は木製のテラスから落としたのだ。)と思った。しかしそれが誤りだったことを後で知ることになるのだった。


      インクラインの延長上には水平に走る運搬道があった  

 とりあえず左に折れて、奥に進んだ。(ここで右に歩いていれば、インクラインの本当の姿が分かったのだが、それに気づくのはここから約1時間後のことであった。)

そしてもう一つの…
 水平道からは精錬所の建物の屋根が見える。だいぶ近づいてしまった感じだ。階段状に作られた精錬所のさらに一段上にいると言ってよいだろう。しかし高低差はまだかなりある。すぐに下りていけるような高さではない。


          精錬所の赤い屋根がこんなに近くなった
 
林道のような道の先には、また小屋があった。


   小屋は吹き抜けであり、線路が通過する形であることが想起された

インクラインだ!
 そしてそこにはまたしてもインクラインが設えてあり、プーリーやワイヤー、そしてレールがあるではないか…! “もう一つのインクライン”だ。


             ここにもインクラインがある! 

動力装置はなく、ワイヤーを転換するプーリーがあるだけのように見える。


      インクラインの斜度は比較的緩やかで、20度ぐらいかと思われた

 動力装置はどこにあるのだろう。そしてこのレールはどこに繋がっているのだろう。斜面の傾斜が大きいためか、レールは真っ直ぐ下に降りず、西に向かって斜めに下りている。その先は精錬所の一部に繋がっているはずだ。


      レールの先を辿ろうとしたが、じきに途切れているように見えた

 小屋には床材や基礎はなく、一段低い土の窪みとなっている。もしかしたら、インクラインで降ろす(あるいは持ち上げる)鉱石の置き場になっていたのかもしれない。

謎の穴
 小屋を通り抜けて奥に進むと、コンクリートの基礎が二重構造になっており、人が入り込めるのではないかと思われるような穴が開いていた。この上にも何か構造物が築かれていたと思われる。


         人が数人すっぽり入れるような直径をもつ

 さらに小屋の周囲を見回すと、上に延びる道跡が見える。そこで、行ってみた。
 するとそこにはまた小屋があり、ここに大きなモーターをもつ動力装置が設えてあった。今見てきたインクラインは、この動力装置が駆動していたのだろう。


            2つめのインクラインの動力小屋だ  

 しかしこの小屋には入ることができなかった。何と小屋にはミツバチの巣があり、それをスズメバチが襲撃していたのだ。文字通りミツバチ達は蜂の巣をつついた状態になっており、そこにスズメバチが混じっているものだから、近づくことは不可能だった。辛うじて遠目に写真を撮ることができるだけだった。

 小屋の後ろに回り込むと、そこから先は石垣で斜面を固めてある。ちょうど精錬所の上に位置し、下には赤い屋根のトタン板が波のように見えている。  私は精錬所の内部にも関心があったので(←入っちゃダメよん)、どこかに下り口がないかと、進んでみた。しかし石垣は私に精錬所へ下りることを頑なに拒み、赤い屋根は私との距離を縮めることはなかった。


          精錬所の屋根だ  採光窓の形がノスタルジックだ

 これ以上先に施設はないだろうと見当をつけ、戻ることにした。
しかし「捨て目を利かせろ」とは、よく言ったものである。歩くにしても、ただ歩いていたのではいけない。めったに来られない場所では(いや、どこであっても)、それとなく周囲に目をやって、何かないか探すべきである。
 徐々に幅が広くなった道の傍らに目をやると、鉄材で作られたトラス橋の一部らしき施設が木々に埋もれているではないか。 隊長に頼んで、木々を刈り払ってもらった。 そして見てきたのが、これだ。ヤリイ〜!


            これは、明らかに橋だ! 
 
 「何だよ〜、ありのままの姿がいいんじゃないの〜?」とつぶやきながらも、隊長はその姿を明らかにしてくれた。 こ、これは、さっき下ったインクラインの延長ではあるまいか。レールは…、レールは途切れていなかったのか。ここまで続いていたのかーっ!

 では、鉱石はインクラインでここに落としていたのか、と思っていると、反対側にもなにか構築物が見えるではないか?!


 左右に、張り出したコンクリートが。 これもまたインクラインのプラットホームではないか!?

 よく見ると、道の反対側にあるのは、コンクリートのホームであった。 レールさえないものの、インクラインは更に下方に延びていたんだ! そしてきっと精錬所へと引き込まれていたに違いない。 M越鉱山よ、お前はそんなに大規模な鉱山だったんだな。

 ということは、このインクラインの総延長はゆうに100m以上あると思われた。想像以上である、ここM越鉱山の規模は。

 (さあ、長かった探索もこれでおしまい。この先にパジェミ号を置いた場所があるのだろう。)と思ったのだが、鉱山の規模は私にそう考えることを許さなかった。さらに別の施設を見せてくれることになったのは、予想を超えた嬉しい誤算だった。

天空への石段
 運搬道をトラス橋で横切るインクライン跡を過ぎてしばらく行くと、コンクリートの基礎に石段がついている。隊長も私も、当然のように登り始めた。 見上げると、遥か空に近い方に、最初に足を踏み入れた鉄骨状態の建物跡が見えている。ここに階段があると言うことは、さらに別の施設があるに違いない。既にお腹いっぱいになりつつあった私は、しかしさらに貪欲になることを欲し、石段を登った。


   遺構群を見上げる隊長  氏もまたこの地で思いを馳せていたに違いない


       遙か彼方にその鉄骨だけの遺構はそびえ立っていた

  運搬道から登った一段上のコンクリート広場には、何かの遺構が見られる。しかし丈の長い草に覆われ、なかなかたどり着けない。 ようやく草を掻き分けて行ってみると・・・、何とそこには巨大な木製ホッパーが何基か並んでいた。


       3連ホッパーだ  使われている木材は太いが、今にも崩れそうだ

天と地を繋ぐ遺構群
 ホッパーほぼ原形を留めていた。しかしその吐出口には土砂や木材が詰まっている。この下に停まって鉱石を受け止めていたのは、トロッコだったのだろうか、それともトラックだったのか。 

ホッパーから降ろした鉱石を、この基礎に設えた施設からまた別の輸送機関に積み替えたのだろう。今となってはその姿を想像することは、私にはできないが。


         何らかの機械を据え付けてあった基礎だろう

その奥には小さな沈殿槽もあった。


         何やら黒く濁った液体が湛えられている

 ここから先に回っても何もなさそうなので、石段に引き返すことにした。改めてホッパーを見上げる。見事な構築物である。


     見上げる隊長の背丈と比べて頂きたい  大きなホッパーである

遺構群の展覧会
 さらに石段を登る。まるで一帯はコンクリートでできた段々畑のようである。それぞれの段にそれぞれの施設跡が載っているのだ。

 すると今度は管理小屋かまたは休憩小屋らしき建物があった。


     薮の奥にも何か眠っていそうなのだが…、激薮のため、近づけない

 朽ちた戸から注意深く中に入ると、そこには流し台や水道、戸棚などがあり、湯飲みやヘルメットが残されていた。


         鉱夫たちの憩いの場だったのだろう
 
 どことなく昭和30年代テイストの感じられる家具や調度品が使われている。元は多くの遺留品があったのだろうか。戸棚などはほとんど空になっている。


        羽目板が破れて、外が見えている  うーん…

小屋の奥の敷地は廃屋とその廃材で埋もれており、進入は叶わない。


     冬になったらもう一度来て、改めて見てみたいものだ

徘徊終焉の地か
 続いて更に石段を登ると、またプラスチックの廃材が目立ち始めた。廃材? 最初にも見たように記憶しているが…。ここにもあるということなのか。


       高低差は、50mはあろう  正直、息が切れた

それは白日夢のように
 見上げると、そこには茶色い鉄骨の骨組みがそびえていた。 真夏の陽炎のようにそれは夏草に埋もれて揺れているようであり、しばらくの間、自分が最初に立った地点であることを想起させなかった。それはまるで白日夢のように私を惑わす遺構群のかけた魔法のようであった。


         ここはどこだ…   私は何を見ている…

 改めてよく見ると、遺棄されているのは、パソコン部品の廃材のようだ。鉱山稼働時代のものとは思えないので、後からここに持ち込まれたのかもしれない。と言うことは、鉱山の施設跡が廃棄物処理場になろうとしていたのだろうか。
 それにしても、日本が一大鉱山時代を築いた昭和中期にあって隆盛を極めたM越鉱山であろうに、この有様は何とする。


       ゴミとレールは似合わない 本当に…

 高低差約50m、道のりにして80mはあろう。天空への石段を登り、ここまで戻って来た。コンクリートの基礎に立って下を覗くと、今見てきた「次の建物」までは、15mほどのコンクリート壁が垂直に立っている。覗き込んでいると目がくらくらして吸い込まれそうな感じすら覚える。

ブルブル…、落ちる前に体を引っ込めよう。ぺしゃんこに潰れた木造構造物の屋根が痛々しい。 これらの建物は、きっと鉱山稼働当時は高低差を利用した選鉱作業場として機能していたのだろう。


        潰れた屋根が上から下まで連なっている

 どうやら私の方がわずかだが早く現実の世界に戻ったらしい。足元に積み重なるプラスチックの産業廃棄物は、まさに私たちが最初に見たゴミの山そのものだったのだ。

 気がつくと、隊長はまだ、「あれえ? ここはどこだ?」と狐につままれたような感覚に陥っているようだ。しかし全体が薮に包まれたような広大な遺構をぐるぐる巡っていれば、そうした気持ちになるのも無理はないと思う。



 今回の探索はこれで一区切りつけることにする。 実はこの後、さらに下の方を探してみたが、「PCB保管中にて危険 立入禁止」と書かれた事務所跡や、もう一つの山神様の祠(でもお稲荷様かも 狐の置物があったから)などが見られたのだ。そちらも紹介したいが、節操なく侵入して遺構の陰の部分をのぞくのは、私の趣味ではない(でももう見て来ちゃったけど)。紹介は控えることにしよう。

 一方、山裾に残る大きな精錬所の跡であるが、後に「遺構調査隊」の方々から伺った話によると、建物の中は空っぽ、とのことである。残念! そちらの建物は、内部を見てみたいんだよな…。

 今後、機会があれば、大沢坑の坑口を探してみたい。おそらくは、冒頭の古い写真にあった陸橋のレベルを探せば水平軌道跡があり、その先に坑口があるのではないだろうか。 また、S越鉱山から鉱石を運んでいたという架空索道のルートを特定し、その支柱の基礎の一つでも探してみたい。  しかしそれは叶わないことであろうか。せめてあの精錬所跡が取り壊される前に一度じっくり見てみたいのだが…。

最新情報! 2007年9月14日
 9月14日、隊長が、伊豆の鉱山に精通する某氏に問い合わせてくれた。氏の話によると、O沢鉱は、M越から土肥に向かう県道の傍らを流れる川の左岸にあり、坑口からトロッコで直接、M越鉱山の選鉱場に運んでいた、ということだ。そして冒頭の古い写真に写っている木造の跨道橋は、鉱滓を貯蔵ダムに搬出するための施設であったという。(って、隊長さん、書いちゃった。ゴメンね) 
 また、S越鉱山から山を越えて鉱石を運んでいた架空索道は、昭和42年に撤去されたという。まだ索道の支柱の基礎は山中に残っているだろう。そして昭和53年の地震で崩壊したという鉱滓ダムも、痕跡は残っているという。行ってみたいナー。また行ってみようっと、M越鉱山に!
                                             
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