葉

湧水のまち 三島を歩く〜1
ウォーキング 2008年9月6日   
 
富士山の懐に抱かれて
 三島は湧水の里として知られています。かの昔、富士山は噴火に伴って多量の溶岩を流しました。その南限は現在の三島楽寿園の辺りにあり、多孔性の岩盤は地下水を豊富に溜める天然の貯水漕になりました。調査によりますと、霊峰富士の雪解け水は実に76年経って地表に流れ出ており、岩盤で濾過された水はそれこそ清らかな流れを三島市の各地に湧出させてきたということです。

またまたチャンス
 8月は深良用水隧道に入るという希有な機会をいただき、よい夏休みになりました。そして9月、またまた朗報がもたらされました。今年は職場の互助組合が創立55周年なので、それにちなんで「GO!GO!ハイキング」なる年間を通じた県下各地でのウォーキングを計画している、と互助新聞に書いてあるではありませんか(「55」周年だから、「ゴーゴー」なんですね(^^;) )。そしてその中に「三島の湧水地帯を歩く」という企画があるというのです。
 その発表を互助新聞で読んで、即座に申し込んだ私。運良くメンバーの中に含めていただくことができました。水の街、三島。あちこちに湧水があり、せせらぎが人や野鳥に安らぎを与えていると言います。そこにはどんな情景が見られるのでしょうか。気体に胸を膨らませて、一路、集合場所の楽寿園に向かいました。

 午前9時ちょうど。楽寿園の駐車場(9−17時営業 最初の2時間200円 以後30分50円 ただし楽寿園利用者用)に車を入れ、楽寿園の北口に向かいます。集合時刻は9時30分なので、ちょっと三島駅に寄ることにしました。
 駅舎は富士山を模しています。となりますと、手前の入口の小屋根は宝永山のそれでしょうか。



駅前広場には木陰や泉が配してあり、訪れる人たちに憩いの場を提供しています。案内板もきちんと設置してあるなど、旅人への配慮も感じられます。



懐かしの楽寿園へ
 昭和40年代、私が小学生の頃は、子供会のバス旅行と言えば、楽寿園が最も愛された目的地でした。静かな森の中に設けられた遊園地には、ゴーカートやお猿の電車、動物園などがあり、子ども達の歓声で賑わっていました。その後、徐々に施設は縮小されてきたと聞きましたが、今でも市民や近辺の市町村の人気を集めていると聞きます。

 久しぶりに行ってみますと、北入口は外構を作り替えたようで、見慣れない風景になっていました。以前は広いアプローチがあっただけと記憶しています。



県下全域から集合
 受付は午前9時からです。挨拶をして氏名を確認していただき、参加費300円を払いました。
 参加者名簿を見ますと、全31人のうち、半数が三島近辺の方々で、ほかが静岡や浜松の方々です。掛川や浜松から参加されるとは、お好きなんですね(実は私も11月には浜松のウォーキングに参加予定)。



今回のガイドは、退職互助部の諸氏です。悠々自適の生活?いいなー。



 ここ楽寿園は、明治23(1890)年に建てられた元華族小松宮家の別邸でした。それを他の人が買い取り、巡って三島市が譲り受けたとのことです。園内には、小浜池や楽寿館などの施設があり、三島市の代表的な文化施設となり、市民の憩いの場として利用されています。


    葉っぱはナスで実はトマトの「赤ナス」 奇妙な野菜です でも食べられないんだって…


             「太めの人が見る鏡」という意味でしょうか

三島市郷土資料館
 楽寿園内には、三島市郷土資料館があります。入場は無料という素晴らしい配慮がなされています。3階建ての立派な施設で、現在は常設展のほか、狩野川台風の記録を展示しているので、勧められてみんなで入ってみました。



昭和33年9月に伊豆半島を襲った未曾有の大災害、狩野川台風。資料を見ると、改めてその恐ろしさが身に染みます。



資料館前には、蒸気機関車が静態保存されています。昭和46年9月に置かれたC58322とのことです。



運転席に入れるようになっています。



 庭には何体かの道祖神が展示されています。画像のこれは、手無地蔵近くの民家脇にある道祖神のレプリカではないでしょうか。二十年ほど前に三島の道祖神展示会を行ったそうですが、その時、この道祖神はコンクリートで道路に固定してあるために移動展示することができず、しかたなくレプリカを作って展示した、と読んだことがあります。



水のない小浜池
 郷土資料館から園内散策路を歩いて小浜池に向かいます。途中にある水車は残念ながら水が得られず、回っていません。



池から導かれている川も、この通り、淋しく川底を見せています。



 小浜池は、この池があったからこそ小松宮家ではここに別邸を建てたのだ、とまで言われているほどの名勝です。しかし三島市では昭和30年に駅北に大工場を誘致したところ、その5年後ぐらいから湧水が枯れ始め、小浜池も水が無くなってしまったということです。


             熱心に説明してくださるガイドS藤氏

 ガイド氏は水が涸れる前の小浜池の思い出を語ってくださいました。氏が子供の頃はこの池でよく泳いだもので、深いところでは背が立たないため、小さな子供には池を泳いで横断するのは難しいことだったそうです。池で遊んだ後はそのまま川を泳いで広小路の辺りまで行ったこともあったそうですが、あまりに水が冷たいために広小路まで行けない子もいたそうです。しかし今はどこを見てもそんな想像はできず、遠い昔の語り話になっています。


               すっかり水の涸れた小浜池



水のない池に落胆しながら、小さな出口から三島市街へと出ます。



蓮沼川へ
 写真を撮りながら最後に楽寿園を出て、皆さんに追いつきますと、何やらわいわい言いながら川を覗き込んでいます。



 これが三島の街を流れる蓮沼川です。楽寿園のあたりが水源になっているのでしょうか、ちょっと説明を聞き逃してしまったようです。
 皆さん、ガイド氏の説明を伺いながら、食い入るように水面に目を落としています。水の流れはまだ暑い9月の陽光をきらきらと反射して涼しげな空間を作っています。



傍らには案内板が設置されており、その中にかつての姿を写した写真がありました。



湧水が豊かだった昔は、まるでプールのように使われていたんですね。



源兵衛川へ
 私はてっきり蓮沼川を辿って下ると思っていたのですが、一行は蓮沼川を離れ、80mほど市街地を東に移動しました。そこに源平衛川(げんぺいがわ)があるのです。


             左に見える森は、楽寿園のそれです

源兵衛川の秘密
 源兵衛川に着きました。源兵衛川はここから下流に向かって親水公園のように作られているので、水のある風景を楽しみながら歩いていくことができます。

 さて、ここで源兵衛川の秘密についてガイド氏が話してくれました。

 その一。この川は自然にできた川ではなく、昔、源兵衛さんという人が潅漑のために湧水を集めて引いて作った人工の川だそうです。だから作った人の名がついているんですね。ちょっと驚きました。


             立派な説明板が設置してあります

 そしてもう一つ、この川に秘められた事実をガイド氏が語ってくれました。それこそが、三島の人々が湧水を愛していることの印に他ならないのですが、私には大きな驚きでした。その秘密とは…。


       「湧水のまち 三島を歩く〜2」へ続く

                                             
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