葉

馬夫石の地蔵様を探せ
探索2006年3月25日   
 
突然の計画立案
 職場は春休みですが、職員は休みではありません。年度末処理の書類作成や新年度の計画やらで、てんてこ舞いです。
 
 私もまだ作らなければならない書類があるのですが、金曜の夜でお仕事やめやめ! 今日の土曜日は富士宮の友達の所に行こうと思っていたのですが、急遽キャンセルされちゃいました。 となると、これは山に入るしかないでしょう。

 今回の課題は、加増野から一条方面に行く古道です。

 加増野からは「青野道」といって、特別養護老人ホームの「梓の里」の下に大正年間の道標があり、ゴルフ場の脇をかすめて南伊豆町の青野や一条に通じる道があるというのです。その道は、かつて加増野の人たちが蚕の繭を一条の山本製糸工場に運ぶために通った道というのです。


  県道から梓の里に直接登る石段の途中にあります

 それは以前からずっと訪ねてみたいと思っていた道なのですが、ゴルフ場ができて道が寸断されているらしいですし、その上も荒れていて行けないでしょう、と聞いていたので、二の足を踏んでいたのです。

 しかし、このルートはらいおんさんが精力的に探索されていますし、私もいつかきっと行きたいと思っていた道です。さらにここにきて伊豆仲間のあの人やかの人がどこそこに行くとか馬石夫がどうとか仰っているのを聞くと、居ても立ってもいられなくなったのです。

 でもこの辺りのエキスパートであられるらいおんさんは基本的に単独行で行動されるし、isonyonさんは寝姿山探索に専念中。KAZUさんは、kawaさん、Mさん、e-sinさん達と密かに馬夫石行きを画策してられる模様。私は誰にも誘ってもらえなくて、内心、ウルウル、シクシク、グスッ、エーンエーン…、の心境なのでありました。

 となりますと、天気はいいし、『伊豆の里山50山』も手に入ったことなので、出かけてみましょう、馬夫石へ! ぜひぜひ、峠にあるというお地蔵様を見てみたいのです。 という訳で、今日の目的は、馬夫石の頂とお地蔵様を見ることです。

 かみさんとの夕べの約束で、朝9時にヴィッツを定期点検に出すため、その前に洗車しなければなりませんでした。だから、出発は9時半ごろになってしまいました。ホントはもっと早く出たいのです。

いざ出発
 赤ハチ号に荷物を積んで、さあ出発。ただし、きちんとした地図が見当たらないので、ネットで拾った地図を切り取り、kawaさんからいただいた袋に入れて持っていくことにしました。しかしこの地図には問題があったのです。現地の概念図もしっかり頭に入れたつもりですが、そちらも不足がありました。それについては、後述します。


     屋根無し駐車場は車に厳しいです カーポート付けたいなあ…

 途中、非常食として、おふくろまんじゅうでおはぎとまんじゅうを買い込み、一路加増野へ向かいました。

 取り付きは、加増野の黒沢洞から猪戸鉱山への道を入ります。といっても、鉱山は後からできた施設であり、ここは松崎往還から分岐して青野や一条に抜ける古道なのです。この道は、梓の里の下にある道標が示す道ではありません。いくつもの洞を渡った所にある奥の方の道です。


      右に行くと、婆娑羅の旧峠を経て小杉原に至ります

 資料『下田市史』の道標のページには載っていませんが、ここにも大正年間に立てられた石の道標があり、ここが松崎と南伊豆への分岐であることを示していました。その道標は、今は近くの民家の庭で花壇の石として使われています。歴史の証なのですから、返してほしいものだと思います。また、以前はカーブミラーの横に「猪戸鉱山」と記された看板がありましたが、すでに取り去られたようです。廃業しちゃたからネ…。

 傍らでは、歯痛を治してくれるという黒沢洞の桜地蔵様が静かに佇んでいました。


     黒沢洞の桜地蔵さま 聖観音とのことです

 さて、ここからは初めて来る道です。コンクリート舗装の道はでこぼこで、所々に石も落ちています。ここは車の下を打たないように、慎重に進みます。

 やがてY字路に突き当たりますので、左に進みます。右は猪戸鉱山でしょう。まだ行ったことはありません。
 分岐の中央に管理棟を見て、左に進むと、林の中に別荘がいくつか見られます。農道のような道をさらに奥に進み、どん詰まりまで行きます。


   右 猪戸鉱山  左 別荘地
 
 林道の終点には、ちゃんと車が置けて、向きも変えられるようになっていました。ちょっとの間だけ、無断駐車します。


ハイラ号は後ろ向きで置いてられましたね 私はいい加減です

歩き始める
 9時50分。靴を履き替え、手袋を着けるなどして、準備を整えて、いざフォー(HG?)! じゃなくて、ゴー! おやじギャグ(=_=)

 しかし、どこから入ればよいのでしょう。目の前は山の斜面で、檜林が伐採されており、その作業のための歩道があちこちにあります。しかたがないので、右の沢に沿うように登っている、一番踏み跡のしっかりした道を行くことにしました。


      渓流を橋で渡って山に入ります

テープに導かれて
 すると、行く手の木々の幹に、タフロープが巻いてあります。誰が付けたのでしょうか、これは大いに助かります。


     一旦沢から離れますが、じきに合流します

 道は沢の左を上り、一旦丸木で作った橋を渡って右につき、再び左を歩くようになります。一部、道は沢そのものになっている所があります。水は清く、所々に平滝のようになって流れているところがあります。なかなかよい景観です。魚は、いないようです。


         赤いタフロープがあり、助かります

ズリだ そして坑口が!
 そろそろ汗をかいてきました。 運動不足の体にはきつい登りですが、足はどんどん動いていきます。不思議です。
 と、左手の斜面に、こぶしより大きい、割れた石がごろごろしている所があります。明らかに人為的に割られた石です。ズリではないでしょうか。とすると、この上に坑口が? 

 ほどなく一旦平らになる左手の山の麓に、坑道がぽっかり口を開けているのを見つけました。
 らいおんさんがこの辺りを探索された折り、坑口がいくつもあるのを見つけてられるので、そのうちの一つかと思います。(10chでも、この坑口を報告されています。)


       檜の倒木が入坑を阻んでいます

 恐る恐る中を覗きますと、何と坑道は上と下の二段に別れて掘ってあります。今私がいるところより低い位置に掘られているので、トロッコは使わずに鉱石やズリを出したのでしょう。近代鉱山以前の、江戸期の鉱山だったのでしょうか。(追記:後にS川隊長とこの上下坑道に入ってみましたが、昭和の時代の穴のようで、トロ線の枕木の跡がありました。奥は50mほど進んだ所で閉塞していました。人為的に塞いである感じです。)


     2段になっている坑道      右はそれぞれを写した画像です

 加増野には古く江戸期に鉱山があり(猪戸鉱山とは別のものです)、金を採掘していたそうです。らいおんさんが見つけられたのは、それらの時代の坑口だと思います。
 当時、幕府から「後藤田」という鉱山の管理をする役人が派遣され、加増野のゴルフ場の近くに屋敷を立てて住んでいたそうです。今でもそこには「後藤田屋敷」という地名が残っているとか。 4年前に加増野の古老から聞いた話です。

 坑口の前に4本の丸太で作った橋があり、道はそこで沢を渡ります。この辺りは、大川端から二本杉峠に行く道に雰囲気が似ています。いかにも古道という感じがあり、きっと昔は多くの人々が行き来したであろうことを偲ばせます。


  白いペンキが付けられた檜は、伐採予定ということでしょうか

変化のある道
 急な斜面をつづら折りになった道を登りますと、平らなコルの上に出て、その後すぐに馬の背のようになった細い尾根を渡ります。この辺りは印象深い道です。


   左右はきつい斜面になっています

 道はまもなく暗い檜林の中を通ります。この辺はほぼ平らになっており、道しるべのテープもないので、ちょっと不安になりますが、踏み跡をたどればまもなく林を抜けることができます。つぶれた小屋が屋根のトタンを横たえているので、それを覚えておけば、帰り道でも困らないと思います。


   迷うとしたらこの辺りでしょうか このトタンを覚えておいてね

 檜林を抜けると、道は再び山の斜面を進みます。ぬかるんだ道についているイノシシの足跡が、私の行く先を示しています。渓流といいつづら折りの道といい、この古道はいろいろな道の顔があり、楽しめます。

 さて、前方が明るくなり、稜線も低くなってきました。峠は間もなくだと思います。はたしてお地蔵様にはすぐに会えるのでしょうか。


      前方が明るくなってきました

峠だ
 歩き始めて35分間。とうとう峠に出ました。
 眺望は、よくないですね。峠からは左右に道が分かれています。馬夫石は、ここから南に行ったところにあるはず。お地蔵様もそちらにあるのでしょう。が、これは大きな誤謬でした。私は地図を見誤っていたのです。ま、とにかく先を見てください。


     峠の様子です でも向こう側に下りる道はないようです


       峠から東を見たところ            同じく西を見たところです

 南へはゆるやかな尾根が続いています。道は、はっきりついているところもあれば薮に埋もれているところもあります。慎重に尾根を外さないようにして歩いていきます。
 途中で、クヌギの倒木にぷりぷりした旨そうなシイタケが出ていました。誰かの所有物というわけではないようなので持って帰ろうと思いましたが、ただ、明らかにシイタケらしいのですが、万が一「シイタケモドキ」とか「ニセシイタケ」のような毒キノコだったら困るので、やめておきました。ま、そんな名前の毒キノコはないと思いますが、死んだら困るので。旬の里へ行けば、200円で売ってるし…。


  タフロープはまだ新しいもののようです


自然のシイタケが出ていました 持って帰りたかったけど…

 そろそろお地蔵様と馬夫石のピークがあってもよい頃だけど…、と思って行くのですが(だから違っているんだってば…)、なかなかそれらしきピークはありません。

あれれ道が下ってる…?
 峠から10分ほど歩いたでしょうか。道は尾根から左(北)に逸れました。尾根は右に見えます。道はさらに二手に分かれて下り始めました。これはいかにも馬夫石には行かないでしょう。もしかしてこれが青野道の道標の辺りにつながっている道かもしれません。それはそれで、次回の課題にしましょう。


    左は「左 青野道」の道標につながる道でしょうか 右は尾根筋です

 しかし今回の目的とは違うので、一旦引き返し、尾根を辿るようにしました。
 道は特についていません。ウバメガシンというのでしょうか、なだらかな稜線を覆うように密生しているので、眺望は開けず、暗いです。

謎のお地蔵様
 と、やがて踏み跡がはっきりしてきました。すると、何となく感じるものが…。ふと見ると、右手の薮の中に大きな岩があります。そして、その上に石造物らしきものが載っているではありませんか。こ、これが馬夫石のお地蔵様でしょうか!?


   はっきりと道がついています トトロやメイが歩いてきそう? 


     おや、こんな所に巨岩が… そして上に何かある!

 近づいて向こう側に回り込んでみると、おお、これはお地蔵様と石塔ではありませんか。


        中央の「安國納徑塔」の高さは、地表から60cmほどです


       頭やお顔が変わった意匠のお地蔵様です 

 でもらいおんサイトの画像で見た馬夫石のお地蔵様とは違いますね。残念。では次に行きましょう。いえいえ、そうじゃなくて、じっくり見てみましょう。

 お地蔵様に一礼して、よっこらしょと岩に登ると、素手でバラをつかんでしまいました。いてて…。暑いからと革手袋を外してあったのが災いしました。バラはこうしてお地蔵様を守っているのでしょうか。

 お地蔵様は一条の方を見て立っています。石塔も並んで同じ方を向いています。 光背の上部が欠けているので銘が読みとれないのですが、人偏のような漢字の部分が残っているので、もしかして「正徳」の年間に立てられたのかもしれません。
 しかしその下の年号が「十五年」と読めます。もしそうなら、正徳年間は1711年から7年間しか続かなかったので、整合しなくなります。(もし正徳年間のお地蔵様なら、路傍のお地蔵様としてはかなり古いです。私が知る限り、下田の峠で一番古い年号のついたお地蔵様は小鍋峠の宝永年間(1704〜1710)のお地蔵様ですから、その次に古いということになります。) 15年間を超えるまで続いた時代は、昭和、明治、享保(1716〜1735)ぐらいのものですから、明治あたりのお地蔵様かもしれません。年号の次に丑や戌などの干支が刻まれていないので、比較的新しいのかもしれません。それにしてもいい具合に古びていますねぇ。

 隣の石塔は、納経塔です。側面に建立年などの銘が彫ってあるのですが、薄くなっており、読めませんでした。もともと並んでいたのでしょうか。大きな岩の上に鎮座しているというのは、いかにも神が宿るべきところに立ててあるといえると思います。

 もう一つは、宝篋印塔のパーツでしょう。不思議な取り合わせです。昔はここから南伊豆の村々が見えていたのでしょうね。村を見守るお地蔵様は、下界が見えない薮の中で、今でも人々の幸福や安全を守っているのでしょう。人々がそのことを忘れていっても…。

 バラに刺された指からは血がにじみました。まあ、しかたありません。それにしてもこの辺りは既に馬夫石は過ぎているはず。でも道が続いているので、もう少し行ってみましょう。

 あれれ? 踏み跡は下りになってしまいました。下れば、帰りは上りになります。どうしましょう。もしかしてここを行くと、一条の岩樟園の辺りに出るのでしょうか。ええい、毒を喰らわば皿までです。らいおんさんの足跡に追いつき追い越せ! GO! GO!

おお、この眺望は!
 と、しばらく下ると、左右に道が別れているような所に出ました。どこに通じているのでしょう。とりあえず場所を覚えておいて、真っ直ぐ進みました。薮をかき分けて進むと…、な、何と、そこには素晴らしい眺望が一気に開けたのでした。


     ああ、あれは電波塔! 初めてこんなに近くに来ました


  180度のパノラマです 画像の明るさを調整しなかったので、この通り ごめんチャイ

 ここは何という所でしょう。南伊豆の山々や太平洋が一望のもとに見えています。左には、ゴルフ場の上にあるというアンテナがすぐそこに見えます。ずっと向こうの右手には、送電線の鉄塔が。今自分のいるところは、アンテナまでの距離を1とすると、鉄塔までのそれはほぼ3といったところです。これはだいぶ南へ来てしまったようです。完全に道を間違えましたね。しばし地図とにらめっこをする私でした。
 

 地図を片手にルート探し

 冒頭に記したこの地図の欠点というのは、アンテナのある部分が欠けていることなのでした。そこまで載っている地図にすればよかったです。そうすれば今自分のいる地点がすぐに特定できたでしょう。準備は万全にしないといけませんね。私のように思いつきで行動していてはダメです。

 ここまできたので、アンテナまで行ってみることにしましょう。道もはっきり見えています。

 少々迷いやすいのですが、アンテナへは行けました。センブリが生えていないかと探しましたが、みあたりません。ありそうなところなんですけどね。
 アンテナの立つ丘の下まで行くと、すぐ裏まで保守道が来ています。観音温泉のほうから来るのでしょう。バイクで走るのには良さそうですね。
 

  アンテナは、ローカルテレビの中継塔のようです。塔の躯体には、「SBS テレビ静岡 静岡朝日 NHK ZUT」と書いてありました。(ZUTって、どこの放送局でしょう?)

 さて、ここでようやく私が地図を見誤っていたことに気づきました。 私は猪戸鉱山から入ったのではなく、隣の別荘地から来ていたのでした。それを(鉱山から来た)と勘違いしていたのです。 それで、当然、馬夫石は途中で通過すると思っていたのでした。実際は、馬夫石を背にしてここまで歩いてきていたのです。ああ、なんというドジ。

 そうと分かれば、ここからいよいよ馬夫石を探して行くことにしましょう。今度は地図をよく見て、お地蔵様と馬夫石の山頂に立つのです! (後半に続く)



  
      「馬夫石のお地蔵様を探せ〜その二」に続く
                                             
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