葉

そうだ 吉佐美行こう 1
探訪2005年7月24日   
 
 夏はどうもネタ不足になってしまいます。古道は草で覆われていますからね。歩けないんです。

 そういう時は、身近なところを見直すに限ります。
 そこで思いついたのが、このテーマ。

そうだ、吉佐美行こう!

 普段は通勤路として何気なく通っている道ですが、よく見れば何かあるはず。というより、もういくつか調べてみたいことがあるんです。では行ってみましょう。(そんな動機でいいのかな?)

 今回の出発点は、下田南高校の前、スーパーアオキ近くの交差点にしましょう。古い絵はがきに、吉佐美へ行く道が今と同じように伸びているのが写っているからです。(絵はがきは後で探してみます。)



親子トンネル
 南高のグラウンドを右に見て「ローソン」や食事処「なかがわ」を通り過ぎますと、やがて切り立った擁壁に挟まれた隧道が見えてきます。

 「下田一号隧道」と名付けられたこのトンネルは、向かって左にもう一つ小さな歩行者用トンネルがあります。



 ちょうどトンネルに入る軽トラの荷台の上に、元は素堀りのトンネルだったらしき跡が認められるのが興味深いです。

 それにしても、この2つの隧道は、どちらが先に造られたのでしょう。もしかして小さな方は明治期に馬車が通っていたトンネルだとしたら、ノスタルジックなんですけどねぇ…。それにしても道が狭隘で車は頻繁に通り、写真を撮るにも気が気ではありません。非常に撮影環境は悪いです。

(個人的にこのペイントは嫌い。歩行者が淋しくないようにと、下田小中学校の児童・生徒が協力して描いたそうですが…。ま、確かに歩くのは楽しくなりますね。)

擁壁のお地蔵様
 ここで気になるお地蔵様がおられます。何気なく車を運転していたのではまず気がつかないであろう、お地蔵様が壁にはまって祀られているのです。


  擁壁にはめ込まれた小さなお地蔵様です どこにあるか、分かりますか?


 高さは40cmほど よくトンネル工事の際に捨てられなかったものです

 この小さなお地蔵様は、いったい何なのでしょう。危なくて向こう側に渡れないので、帰りにじっくり見てみましょうね。

別の地蔵様
 鍋田一号隧道を通り抜けると、すぐ左に、堅牢な祠で守られたお地蔵様があります。お供え物や幟からして、かなりの信仰を集めているようですが、いったいどういう由来のお地蔵様なのでしょうか。謎です。



防空壕か石丁場跡か
 そのお地蔵様のすぐ近くに、明らかに人工的に岩壁をくりぬいて造った穴があります。中の様子をうかがい知ることはできませんが、かなり奥に広いのではないでしょうか。 きっと石切場(石丁場)として石を切り出し、その後、防空壕として利用していたのではないでしょうか。 いまはただのゴミ捨て場となっているようですが。



鍋田にて
 ここでちょっと寄り道をして、鍋田の湾に下りてみましょう。
 国道136号線から細い市道が斜めに下っています。道ばたに、放置された井戸のポンプがありました。ちょっと前まで使っていたような感じ。


   地表を掘り下げたから、こんなに高くなっているのでしょうか

 ところで、以前、磯崎さんからいただいた明治19年の地図には、トンネルの一つ海側の沢筋を道が通っているように見えました。その辺りを探してみたのですが、廃屋が森に飲み込まれているようになっていて、何が何だか分かりません。もう少し精査したいところです。


        ここにかつて道が通っていたようなのですが…

悲運の潜水輸送艇『まるゆ』の繋留地跡
 さあやってきました、鍋田の浜です。この日は日曜日。浜は海水浴に来た家族連れで賑わっています。私も昔は子供会の行事で何度か来ました。その頃は、この浜にまつわる戦時中の悲話など知らずに…。


  
 実は今日ここに来たのは、終戦2日前に敵機の攻撃を受けて10名の乗組員と共に沈没した、陸軍の潜水輸送艇「まるゆ」の繋留地跡を見たかったからなのです。

 それは、kawaさんが紹介してくれた、鍋田に関するHPにありました。鍋田は戦時中、軍の管理下にあり、下田町民でさえも許可なしには立ち入ることができなかったそうです。

 浜を横切り、海岸線に沿って造られたコンクリート製の歩道を歩いていきます。やがて小さな船着き場があり、そこからはごつごつした岩の上を歩いていきます。するとやがて他よりも高く目立つ岩があり、5つの人工的な穴が開いているのが見えます。


      斜めに並ぶ岩石の節理が独特の景観を作っています


            さあ、まもなくです


         ここに「まるゆ」はもやい綱を絡めて疲れた船体を波の揺れに任せて休んだのでしょう

 他にも、何か柱を立てたと思われるコンクリートの人工物が2つあります。


   どのような使われ方をしたのでしょうか。セメントに玉石が混ぜられています。

 後で聞いた情報ですが、この岩に開けられた穴は、江戸時代、大浦が江戸に上がる船の番所になっていた時代に船を係留するために開けられたそうです。戦時中の“まるゆ”は、その穴を利用して繋留したそうです。私の思い違いでしたね。江戸期の番所については、別の機会にレポートしてみることにします。

謎の石灯籠
 一旦浜に戻り、道路に上がってから鍋田の浜からトンネルをくぐって、下田市街方面に向かいますと、右手にこのような石灯籠が見えます。なぜこんな所に灯籠が? と思っていましたら、先のマリンフェスタに行った時、謎が解けました。そこで展示されていた古い写真に、この石灯籠が現役で使われていた頃の様子が写っていたんです。

 それによりますと、かつてここには私設の庭園があり、その置物の一つとしてこの灯籠が設置されていたようです。庭園がなくなってもこれだけは残されたようで…。でも昔はもっと立派な灯籠だったようです。風化で小さくなってしまったのかな。



金比羅さんを訪ねると
 さて、ここから遊歩道が海中水族館の方に延びているのですが、今回は目的が違うので、引き返すことにします。
トンネルは戦時中、陸軍の作業場になっていたそうですし、その出口にはお地蔵様のあるようなので、改めてレポートしたいと思います。
 そのトンネルを再びくぐって鍋田の浜にとって返しますと、売店の横に金比羅宮が鎮座しています。



 鳥居をくぐって急な石段を登りますと、小高い岩山の上に、小さな鳥居と祠にたどり着きました。



 そっと手を合わせてコンクリート製の祠の内部を見ますと、あれれ? 普通はあるはずの小さな木か石の祠がありません。

 と、ふと足元を見ますと、こ、これは?!  もしかして石祠の一部?! まさかご神体ではありますまいね!



 後で鍋田のHPを見ますと、ご神体はこの先の大浦八幡様に移されたということでした。 なあんだ。では、この石祠の石室とおぼしき物は???

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