伊豆に於ける炭焼き
最近、ホームセンターなどで売られ始めた木炭。食用の黒いパンや浄水用のそれらが売られている。
伊豆に炭焼きの技術が伝えられたのは、1500年代だという。伊豆に伝えたのは、紀州尾鷲の職人、市兵衛という人物と伝えられている。
炭は、山の雑木を切り出して、山の中に作った炭焼き窯で燻すように焼く。私が子供の頃はまだ父の実家に囲炉裏があり、炭がとろとろとした炎を纏って赤く燃える様子を、引き込まれるように眺めていたことがある。
伊豆に炭焼きの技法を伝えたという炭焼き市兵衛の墓は、下田街道沿いの大川端に現存している。そこから二本杉峠を越えたところにある六趣能化尊も、実は当時この地に炭焼きの技術を伝えた主たる6人の炭焼き職人を祀ったという説がある。

大川端キャンプ場(現在は廃止)内にある炭焼き市兵衛さんの墓
M氏からの啓示下る
2年前のある日(2006年)、十郎左ェ門登頂15回以上を数える岳人、M氏がこう仰った。
「十郎左ェ門から三方平へ行って南東に降りると、はっきりと窪みになった道がかなりの距離で残っているよ。あれはきっと、炭焼きの炭や木材を下ろした橇道だな。」
その頃はまだ十郎左ェ門は私にとって未知の山であり、とても登る勇気などなかったので、この話は心の隅にしまい込むしかなかった。
しかし何という幸運か、2008年の冬になり、kawaさんとらいおんさんと荻乗さんが十郎を東から攻めると仰る。これ幸いと、私はお邪魔虫になることは承知の上で、同行を願った。帰りに三方平からかの橇道を下って欲しいことも願い出たところ、心優しい先輩方は快く受け入れてくれたのだった。
12月24日
その日はちょうどクリスマスの日。参加者は、kawaさん、らいおんさん、荻さん、私、の4人。荻さんはこの日のためにサプライズを用意してきてくださると仰る。何だろう、山頂で振る舞ってくれるというが、楽しみである。
2台の4WD車で大鍋から入山。まだ暗いうちに歩き始める。林道を歩き始めて15分後、東の空を望むことができるビューポイントに来た時、紅の朝焼けがほんのりと空を染めた。

林道から東を望む 山間から朝日が見えた
林道から山道に入り、一路、十郎左ェ門の東尾根を目指す。

林道から山道に入った 遅れないようについていく
2つの沢を越え、これも2つめの尾根に取り付いた。ここをひたすら登っていく。

この尾根道が十郎左ェ門東ルートの特徴という
実は「登っていく」というより、「這い上がっていく」と表現した方が近い。目の位置より高いところにある木の枝や根を掴んで体を引き上げ、登っていくのだ。この時、掴む枝をよく選ばないと、体が変にねじくれて、にっちもさっちもいかなくなることがある。全身運動である。しかしこれがまた楽しくもあるのだが。
山肌にへばり付いてkawaさん登る、の図
歩き始めて1時間20分。どうにか十郎左ェ門東尾根の通称“テラス”に着いた。好天に恵まれ、天城の山々を望んで、遠く富士山まで視界を広げることができた。

天城の山々の向こうに富士山が見えている
この山名板を見るのは、これが2度目だ。

最初に見たのは、吹雪の中でだった
三方平へ
山頂は風がまともに当たるので三方平まで行こう、ということになり、写真撮影もそこそこに再び歩き始めた。
三方平へは、西尾根を一旦下って、また登る。こちらもスリリングな尾根道だ。

三方平を目指して下降開始!
厳しい環境の元、シャクナゲが小さな体で生き延びようとしている。

コルを過ぎて三方平へ登るところで撮影
大きなブナは、広い空を掴もうと、精いっぱい枝を広げている。

十郎から歩くこと30分。三方平に着いた。

三方平の山頂はほぼ平らな地形をしている
ここで恒例のkawaさんのコーヒー(うっしっし・・・、いつもごちそうさまです)、そして荻さんのサプライズを頂くことに。

私は登るだけで精いっぱいなの
ぬわんと、荻さんはザックの中にこのケーキを入れてきてくれた。ここまで形を崩さずに運んでくるのは、ほとんど山職人の技と言えよう。いっただっきまーす。

フルーツタルトだ! まさかここでこんな品がいただけるとは!
いざ、ソリ道の探索へ!
お茶とケーキで、身も心も温まった。さあ、これからいよいよ幻のソリ道探索へと向かう!
なだらかな山頂に方角を惑わされないように、kawaさんが慎重にルートを選んで歩いていく。

方位磁針で慎重に方角を選んで歩いていく

目印だろう、赤テープがくくりつけてある
三方平山頂から東に下り、7,8分ほど歩いたところ、眼下にこんな窪みが現れた!

明らかに窪みがある!
窪みは北から南に向かって横たわっている。
明らかに道、である。
探索! ソリ道を辿って
明らかに人為による道であろう。そこに降り立つと、上方にも跡は見られる。

上を仰ぎ見たところ 道は山頂方面に50m程延びていた
皆さんには待っていて頂いて、私だけ道跡を上ってみた。50mほど上ると、道は山肌に溶け込むように消えていた。おそらくはその辺りが道の始点なのだろう。
下降開始
では、帰路を辿るという形で、このソリ道を歩いてみよう。どこをどのように通過していくのだろうか。

所々で薮が行く手を遮っている
三方平の南斜面を、ソリ道はこのようなU字形の窪みを作って蛇行しながら下っていく。

U字型窪みの渕は歩きやすい
道幅は、人が一人歩けるくらいの狭いところから、すれ違いもできるほどの広いところまである。

枯れ葉がクッションになって歩きやすい
それは、ただ人が歩くだけならこれほどの広さや窪みはいらないだろう、というほどの規模を持つ。第一、ここは東西を結ぶ交易路ではなく、山頂近くまで登り詰める行き止まりの道なのだ。

道が続いているとわくわくする
こ、ここは?!
三方平から下り始めて20分ほど経った時、眼下にひときわ高くそびえる樅の木が目に入った。

楡の木…ですよね
樅の木の方に下っていく。するとそこには…、

そして私たちの目の前に見えたものは…
山の斜面には不釣り合いな広大な平場があった。

広い! ここに何かがあったのか?
縦横が50m×100mほどあろうか。私たちはこの土地に何か付属する遺構がないか、探してみた。

やはり赤いテープが 何の印だろう
残念ながら小屋の痕跡などは認められなかった。しかしこここそが、私たちを迎えていた“ある場所”の目印であった。
その“ある場所”とは、ここがまさに炭焼きのソリ道であることを証明す象徴、そして、十郎左ェ門南麓に広がる炭焼き地帯の始まりである事を私たちに知らせる“源流”だったのだ。
次号、この平場を出発点として、これから展開する一大炭焼き地帯、そして私たちを待ちかまえていた十郎の“危険なささやき”を紹介する。
「十郎左ェ門のソリ道を辿る〜後編」 へ続く
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