葉

深良用水隧道に入る〜その1
参加 2008年8月10日   
 
道徳教本に載っている深良用水
 あなたが静岡県民なら、道徳の教科書に『深良用水を拓く』という教材が掲載されているのをご存じでしょう。今から370年ほど前に干ばつに悩む裾野市の黄瀬川流域の農民のために、箱根芦ノ湖の水を引く用水路トンネルを掘った話です。

 富士山は成層火山のため、その雪解け水は麓の地下を通って三島市など少し離れた場所に湧出しています、他方で麓の一帯の表層部は火山灰を含む地質で水もちが悪く、その一部である小田原藩駿河国深良村(現在の静岡県裾野市深良地区)の農民は慢性的な水不足に悩まされ、生活も困窮していました。付近には黄瀬川が流れていますが、耕地より低い場所を流れているので、利用することは難しかったのです。 
 そうした村人達の困窮ぶりを見かねた深良村の名主、大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、箱根山の向こう側の芦ノ湖か隧道を掘って水を引くことを思いつきました。徳川4代将軍家綱の時代のことです。
 村人たちを思う大庭源之丞は、江戸商人の友野與右衛門(とものよえもん)に資金と技術の提供を依頼しました(注1)。二人は、江戸幕府および地元の小田原藩、芦ノ湖の水利権を有する箱根権現の許可を得て、寛文6年(1666年)に工事を開始しました。技術的な困難さに加えて、民間の土木工事のため、江戸の西の玄関口として関所もある箱根という土地柄から幕府の圧力を受け続け(注2)、また常に資金難にもさらされるなど、想像を絶する難工事となりましたが、寛文10年(1670年)に隧道は完成しました。
 翌1671年に灌漑用水路全体が完成。 芦ノ湖側と裾野側の両方から手作業で掘り進めた隧道でしたが、ついに2つの坑道が出会った時、坑夫たちはどんな歓声を上げたことでしょうか。その両側から掘り進めた地点は、高低の差がわずか1.5m程度であるといいます。(この差については、あえて水勢を押さえるために段差を作ったのだ、という説もあり、真相はわからないそうです)

 この工事にかかった費用は7,300両あまり。これは現在の50〜60億円に相当するという話があります。工事に関わった人夫は述べ83万人だそうで、とんでもない大工事だったようです。
 隧道完成以来300有余年、灌漑や飲み水、防火用水に、また明治末期からは発電にも使用されるなど、深良用水の恩恵は計り知れず、今もなお現役の用水として地域一帯で活用されています。


             深良地区の地形断面概念図

*注1 与右衛門は実業家でした。ですから、何らかの利益がないとこうした事業には手を出さないでしょう。深良に用水路を造り、農民に水を供給して稲作を振興すれば水利料をとることができます。その利権を手にすることによって利益を上げようと思ったのではないでしょうか。

*注2 江戸幕府は当時関所に厳しい監視の目を注いでいたため、箱根の山に隧道を掘るのは関所破りにも繋がりかねないと、難色を示していました。そのために許可が降りるまでに3年もかかったと言われています。しかし用水路ができれば稲の収穫量が上がります。自ずと年貢もきちんと納められるはず。幕府にもそうした経済効果を期待する思いがあったのでしょう。

と、そういう見方は失礼にあたりますか・・・。

深良用水隧道に入りたい!
 そこに隧道があるなら入りたい、と思うのは歴史探究をする者なら誰もがもつ当然の願いでしょう。
 では、どうしたら用水隧道に入ることができるのでしょうか。普段は用水路を流れる水の量が多いために、入ることはできません。もちろん防護策がありますし、入ろうとすること自体がいけないことです。
 しかし今回は、用水隧道をこの目で見たいという私の思いを汲んでくれる方々のご厚意に恵まれ、隧道を見学する公的なイベントに参加できるお許しをいただくことができたのです。隧道は手掘りで1,280mもの距離を掘ってあるといいますが、内部はどんなになっているのでしょう。

 とうとうその日はやって来ました。2008年8月10日。三島駅北口の駐車場で、今回の参加にあたっての労をとってくださったA氏にピックアップしていただきました。そして地理に疎い私を連れてきた下さったのは、裾野市の深良コミュニティーセンターです。ここが集合場所になっているのです。


        参加者はおおむね高齢の方々が多かったです

 バス代と保険料、合わせて1K円を納めて受付を済ませ、皆さんが揃ったところでマイクロバスに乗ります。このバスが私たちを江戸時代へとタイムスリップする旅に連れて行ってくれるのです。


         最年少は埼玉在住の中学生の子でした

水配人制度
 車内では、今回のイベントを主催する団体の代表、K氏からレクチャーを受けました。
 その中で心に残ったのは、水配人制度(すいはいにんせいど)です。深良用水が完成して30年後ぐらいに作られた制度らしいので、すでに江戸時代から現代まで300年も継続している制度とのことです。
 水配人とは、用水組合員の互選によって任命された6人の役員さんです。用水をどの地区にどのくらい分配するか、という命を背負っているそうで、この人たちが今日の隧道の水先案内をしてくださるそうです。

 また、隧道のある土地の地質は輝石安山岩と凝灰岩の混合地層であり、隧道はその軟らかいところを探りながら掘っているとのことです。私はてっきり直線のように真っ直ぐ掘っていると思っていたので、そうなのかな?と半信半疑のように思いました。

水争い
 箱根芦ノ湖の水は、聖なる富士の湧水を源とします。霊峰富士は神の山。芦ノ湖の水もまた神の水でありました。従いまして、その霊水を用水として引くには、箱根権現(箱根神社)の許可が入ります。当時の約款では、深良村が年間五百石のお米を奉納することで合意したそうです。が、今ではお米を納めても現実的でないため、裾野市の各戸が年に300円を箱根神社に納めているそうです。

 用水完成後、廃藩置県によって用水路は神奈川県と静岡県に別れてしまい、何度か両県で水利権を争ったそうです。最後の裁判の結果、水利権は静岡県にということになりました。今では、湖水は神奈川県、水利権は静岡県にある、ということになっているそうです。と、その様なお話を伺いながら、バスに揺られていきました。

 バスの車窓から、第一発電所の建物が見えました。深良用水の水を利用して発電している施設です。バスを降りて見ることはできませんでしたので、いつかまた見に来られたらいいなと思います。


           車窓から見る深良第一発電所

芦ノ湖に到着
 湖尻峠を越え、ゴルフ場の門の前から湖畔に下りました。バスで来られるのは、ここまで。林道を歩いて深良水門へと移動します。
 隧道に入ることに際しての持ち物は、杖、ヘルメット、肩掛け式の電灯、履き替え用のズボンと靴などです。電灯には虫が集まるためにヘッドライト式は不適で、肩掛け式のを勧められました。水門を堰き止めるとは家、隧道内の水位は最大で腰の辺りまであるそうです。ちょっとびびります。しかし経験者の中には、魚を捕るんだと、網を持っている人もいます。ホントに捕れるのでしょうか?


          画像右手奥に深良用水の取水口があります

林道は木材の搬出に使われているそうです。入口にはたくさんの木材が積み上げてありました。


           林道を徒歩で進み、取水口を目指します

途中で、木材を満載した4tトラックとすれ違いました。車体は道幅ぎりぎりです。車同士のすれ違いは不可。


         この様子ですから一般車は進入禁止となっています
  
深良水門へ
 歩き始めて20分ほど下頃、水門らしい施設が見えました。林道と別れてそちらの方へ下りていきます。


       ここが水門のようです いよいよ隧道歩きの始まりです

 水門のそばは広場になっており、記念碑や管理小屋などがありました。今日は地元、深良小学校の6年生も参加するとのことで、保護者や引率の先生方も集まっていました。


        参加者が集まっています 総勢50名ほどです

これが深良水門です。明治時代に補修されたそうで、確かに石垣は古そうでした。


             豊かな水を湛える用水取水口

石垣の一部に年号を陽刻したプレートが嵌め込んであります。「明治四拾・・・月・・・」と読めますが、何年なのでしょう。


          明治期の補修を伝えるプレートが見えました

 水門の先を見ると、金網の向こうにトンネルが見えました。あれが深良隧道の坑門ですね。あそこに入るんだ、と思うと、自然とわくわくドキドキするのでした。


         金網の向こうに水道と坑門が見えました キタッ!

 この日は管理棟が開いていましたので、ちょっと中を拝見しました。水門の操作盤の他、神棚もありました。隧道の安全を守ってくれる神様でしょう。もちろん今日の見学会が安全に行われるように、水配人の方々は手を合わされたとのことです。


         用水は古くからあっても制御機械は新しいようです

命の番号札
 参加者には番号札が配られました。参加者は名簿と同じ数の番号札を持って隧道を歩き、通り抜けた後で札を返却します。札が回収されない場合はその人がまだ隧道内にいるということになります。昨年度に入った人で、まだ回収されていない札が1枚あるそうなので、「今日はその人に中で会えるでしょう。」とK氏が言っていましたが、本当でしょうか。


            「はい、なくさないでネ」

私は8番の札を受け取りました。


              しっかり腕にはめました

 大型バスを降りて歩いてきた子ども達が到着したので、開会式を行いました。平成7年から毎年6年生がこの見学会に参加しているそうです。ウェーダー(腰まである長靴)を身につけて並んでいるのが、水配人の方々です。


       ウェーダー姿の勇ましい姿の面々が水配人の方々です

いよいよ進入する
 午前9時11分。いよいよ隧道への金網が開かれ、進入しました。裾野市側への1,280mの旅の始まりです。何だか怖いです〜。


              いざ、金網が開かれました!


        皆さんもはやる心を抑えて歩いているように思えました

水路の水位はかなり下がっていますが、まだ水は流れています。


       水道の時点で水位は1mほど下がっているのでしょうか

坑門に来ました。ここを下りて隧道に入ります。


             さあ、坑門にきました

足元を確かめながら坑床に降ります。ドキドキッ!


           杖を持って降りるのは、ちょっと難しいです

        「深良用水に入る〜その2」へ続く
                                             
トップ アイコン
トップ

葉