葉

婆娑羅峠の馬車道を行く

そして『駒留めの岩』の謎は解けた!

馬車道の地図   
 
プロローグ
 さて前回、道の先生に案内していただいて婆娑羅峠を再訪したとき、二番目に開けた道〜馬車の通った道〜を教えていただきました。今回は、その馬車道を訪ねてみます。ここはその名の通り馬が通った道ということですから、『駒留めの岩』があるとしたらここに違いありません。明治40年に旧婆娑羅隧道(稲梓―松崎往還)が開通するまで、客を乗せた馬車が行き来した道ということです。さあ、ではさっそく道をご案内しましょう。

 車を又下橋の先に停め、今日は一人で奥に入りました。かつてこの馬車道に沿って電信柱が並び、峠を越えていたそうですので、その痕跡も探しながら行くことにしましょう。電信柱は、切られた後の根本が少し残っているということなのです。(何でもこの電信柱には、最初に松崎側に通じた警察電話が通っていたそうで、他にも電話局や役場などの公的に必要な電話線が架かっていたそうです。でも、今のように数本の線が束ねられたケーブルでなく、それぞれが1本の線を使っていたので、並行して十本ほどの線が架かっていたそうです。)

林道を行く 
    途中の林道=明治馬車道です

 林道は、途中まで舗装されています。この奥に砂防ダムを造った時、工事用車両が通るようにしたそうです。
 やがて舗装は切れますが、歩きにくくはありません。そして、早々に電信柱の跡を見つけました。道のすぐ際に、20pほど頭を出して残っておりました。こんなふうにして立ち並んでいたんですね。昔の道の様子が少し想像できました。

馬車道と電柱跡
      今は根元だけが残る電信柱

 さて途中で馬車道は林道と離れ、沢の向こう岸を通るようになります。一番古い旧道は、林道より少し低い右側を通ります。

 馬車道を歩いていくこともできますが、砂防ダムによって寸断されていますので、旧道と馬車道と林道とを行ったり来たりしながら進むことになります。もちろん砂防ダムを乗り越えれば、そのまま馬車道をたどっていくこともできます。いずれにせよ、林道の終点広場で道は合流しますから、どちらを進んでも構わないと思います。

旧道と馬車道
    向こう岸に延びているのが馬車道です

 さあ、下の画像が林道の事実上の終点です。ちょっとした広場になっています。工事車の回し場だったところでしょう。ここで旧峠への道と馬車道とが分かれ、それぞれ違う洞を進んでいきます。馬車道の方が、一つ東よりの洞に入ります。(この分岐点にに、旧峠にあったお地蔵様が下ろされて一時安置されていたそうです。そのお地蔵様は、その後旧婆娑羅隧道の下田より出口のそばに上げられて、今でもその地にあります。)

旧道との分かれ道
 ここから右に入ると馬車道をたどることができます

 この広場を右に入ると簡素な橋がかけてありますが、その川面に電信柱だったと思われる丸太が散乱しています。

倒れた古い電柱
    たぶん電信柱だった丸太でしょう

 道の幅は、およそ1.5メートルあるでしょうか。だいぶ荒れていますが、まだこの辺りは広めの道が続いています。
馬車道の様子
  馬車道の痕跡ははっきり見て取れます

 一度深い谷を抜けますと、後は沢が浅くなり、明るい道を進んでいくことになります。上る傾斜は比較的緩やかです。でもだんだん汗もかいてしまいます。

 そうして歩いていくうち、おや、まだ電信柱の跡のようです。防腐処理が施されているのでしょう、切られて十数年経つというのに、まだ丈夫さは保っているようです。

 さあ、だいぶ前方が開けてさらに明るくなってくる頃、道筋が消え始めました。沢の中央付近に電信柱の跡が立っていますので、道はその左右どちらかを通っていたのでしょう。道がすっかり荒れてしまった今となっては、それがどちらなのかは分かりません。

 おや、前方の稜線が低くなりました。もうすぐ峠かもしれません。『駒留めの岩』もそこにあるのでしょうか。期待で胸が膨らみます。

 ほとんど道らしいものはついていませんが、とうとう峠に出ました。旧峠に比べ、明るい雰囲気があります。坂も険しくはありません。でもそれほど広くもありません。石造物も見あたりません。当時は単なる通過点だったのではないか…、というような感じです。ただ、峠の右肩(北側)にやはり電柱を切った跡がありましたので、道は左(南側)で電信柱は右(北側)を通っていたようです。

馬車道の峠
      2番目に開かれたという明治の峠の様子です

 さあ、ここにこそ、探し求めていた『駒留めの岩』があるはずです。そこで、峠の周辺を歩いて、それらしき岩を探してみました。が…、それらしい岩はありません。岩があるにはあるのですが、旧峠にあったような大きな岩がないのです。おかしいですね…。ない、ない…。本当にありません。見つからないんです。まるで狐につままれたような気分になりました。しかたありません、どこかで私が思い違いをしているのかもしれません。ま、この場はとにかく道を踏破しようと思い、峠を小杉原側に下ることにしました。

 峠の向こう側には、狭いながらもはっきりとたどれるように道が残っていました。ただし道幅はどこにでもある歩道くらいのそれしかありません。やはり峠にも、そして向こう側の下り道にも、電信柱の跡が見られました。

 冬だというのにところどころに蜘蛛の巣が張っており、顔に巣が張り付いては「ぎゃっ!」と驚いてしまいます。
 5分も歩いた頃でしょうか、前方の道がコンクリートで固められたところに出ました。この先はどうなっているのかな…、と思いながらいきますと、いきなりこんな風に風景が開けました。

トンネルの上に出ました
     婆娑羅トンネルの上から見た画像です

 なんと、婆娑羅トンネルの小杉原側の真上に出ました。『道の先生』がおっしゃった通りです。現在のトンネルは、馬車道を崩して切り通しを作り、そうした上で下田側とつながっているんですね。
  
 ここから先、松崎側にはどのような道筋で馬車道がついていたかは、別の機会に調べてみます。現在の県道が大きく山肌を切り崩して通っているため、たぶん昔の道は崩されてしまっているでしょう。古くからこの地に住む人に聞かなければ分からないことだと思います。

 そうそう、この下の沢を下った松崎側に、新道と旧道とが分かれる地点があります。そこにこのような祠があり、お地蔵様が安置されています。いずれ小杉原の地も訪れて、婆娑羅峠にまつわる話を聞いてみたいものです。

小杉原側の地蔵様
   小杉原の県道の分岐にあるお地蔵様

 では、これで婆娑羅の馬車道の探訪記を終わります。次は、南に戻って、坂戸から落合に抜ける道を訪ねてみたいと思います。

 あっ、そうそう、忘れていました。『駒留めの岩』がいったいなんだったのか、書くのを忘れました。この時点では、まだ私も解明することはできなかったのですが、この後、思わぬところで明確な答えが得られることになりました。それは…

           『駒留めの岩』の謎を知りたい
                                             
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