葉

天城峠古道を行く〜其の一
探訪2005年3月21日   
 
 まだ自分の中で天城峠と八丁池以外の場所が未知の部分だった頃、天城峠以西の地域は、山が深くて恐ろしいというイメージがありました。

 が、HPを通じて知り合った古道仲間のお陰で、稜線歩道を歩き、二本杉峠を越え、古峠や中険業峠までをも経験するようになると、情報が得られるありがたさを本当に嬉しく思いました。そんな中で、大きなチャンスが得られることになりました。

 天城峠以西には、「天城稜線歩道」が地図上の稜線の北側を仁科方面に通っているのですが、実は稜線の東側にも歩道があり、旧天城トンネルから二本杉峠の近くまで通じているのです。その道の存在は、二本杉峠歩道を峠から宗太郎園地方面に15分ほど下った所にある「天城トンネルに通じる」と示した木の道標が示しています。以前は、その道標を見ても、「まさか今は荒れてしまって、行けますまい。」と思っていたのですが、どっこい、今回、その道を踏破しよう、という仲間に恵まれ、いよいよ歩くことになったのです。これは、私の天城古道歩き史上の一大イベントになるはずです。

 今回、この計画を立ち上げて実行した仲間は、kawaさんとおじナベさんです。どちらも、その道ではエキスパート。きっと計画は完遂されるでしょう。では、ご案内しましょう。

 取り付きは、旧天城トンネルの東口です。茶屋跡駐車場に車を停め、天城峠への登り口に立って左(西)斜面を見ますと、明らかな踏み跡が目に留まります。ひょいと枯れ沢を渡りますと、そこはもう天城峠古道(仮称)なのです。


  旧天城トンネル南口からアプローチします。

 枯れ沢を渡ると、すぐにトラロープ(黄色と黒色をした化繊ロープ)が張ってあります。この道は等高線に沿うようにして西に延びる、アップダウンのない道ですが、一部足元の悪いところがあるので、安全確保とルート表示のため、こうして所々にロープが張ってあるのです。一部眺望もよいことから、これできちんと整備されれば、天城散策のためにとてもよいルートになると思います。      


        だいたいどこもこんな感じの道です。

 道は、杉や檜、あるいは雑木の林の中を西に進みます。道が自然の風雨に削れて細くなっているところがあり、まれに倒木もあるので、注意が必要です。私は、学生時代に教わった「三点確保」(両足と片手で岩肌などに張り付き、片手を開けて歩くこと)で慎重に進みます。(ホントは、ただ恐かっただけ。「三点確保」といっても、なぜそれがいいのか、分かりませんし…。)
 
 今回は私が先頭を歩きましたが、後から付いてくる先輩方は、時々、歩みを止められて、地図やGPSをご覧になるのに夢中になっておられます。私は…、地図も持ってきましたが、ひたすら踏み跡を求めて歩くのみ! この辺がまだ原始的ですね。最先端機器は持ってませんので…(欲しいけど)。

 そうこうするうち、道はいったん尾根を越え、東北に回りこんで、草原に出ました。春だったらいい景色かもしれません。ワラビが採れるかも? 


       こんな道ばかりなら歩きやすいのですが…。

 再び森に入るところに鹿除けネットが張ってありましたが、破られていました。破ったのは、人かな鹿かな。

 道は、天城稜線の南斜面をひたすら西進します。道に上り下りはほとんどありませんが、尾根をぐるっと回って越えたり、崩落箇所をひいひい言いながら登ったり降りたりして越えるので、決して楽ではありません。でも私は、初めて歩く道にわくわくし、楽しいこと、この上ありません。


   後から来る先輩お二人。お馬鹿な後輩に付き合わされて大変?

 と、南が比較的明るく開けた地点で、立て札が立っているのが目に入りました。読みますと、「右 旧天城トンネルに至る 左 二本杉峠 下 寒天駐車場」とあります。 か、かんてん駐車場?! ここからどうやって下に降りるのでしょう。道などは見あたらず、単に涸れ沢が崩落してずっと下まで落ち込んでいるだけです。それに、寒天駐車場は、旧道から寒天林道に入って遙か上です。どう考えてもおかしい! これは、二階滝駐車場の間違いではありませんかねぇ…。地理からして、そう考えないと、道がつながらないのです。それともいったん下に下って、それからまた寒天駐車場につながる道があるというのでしょうか。謎です。

  kawaさんは、「団体客で歩きに来る人たちは、バスが待つ所まで行くのが大変だから、この札を立てたんでしょう。」と助言してくださいました。んー、なるほど。そうかも知れません。


       謎の道標。どなたか訳を教えてください。

 さて、そろそろ古峠歩道との合流点があるはず、と私が申しますと、先輩方は興味津々です。が、「GPSは違う数値を示しているし、地図で見ても、もう過ぎているようだよ。」と言われました。そ、そうなのかなぁ…。

 そういえば、さっきの看板は、似ていた地形の所にありました。が、ここを来たのは半年前。いくら道が荒れていても、半年ではそうそうあんなに明るく開けることはないでしょう。それに、涸れ沢の中央に、古い炭焼き釜の跡があったはず。

 でも、何か違います。とりあえず枯れ沢をふうふう言いながら上に下に歩いて記憶を呼び戻そうとしましたが、どうしても過去の記憶は蘇りません。ま、老化現象でしょう、と自分を納得させて(全然納得したくないよぉ!)、次の洞を見に行きました。
 すると、目の前に見える炭焼き釜の跡。おや、これは、古峠歩道を登った時に見た地点ではないでしょうか。 慌てて1つ尾根筋を戻り、先輩方を呼びに行きました。が、すでにkawaさんが、なかなか戻ってこない私のザックを持って、歩いてこれられたのでした。(ごめんなさい。)


  古峠を探索した時に通った炭焼き釜の跡です。見覚えある!

 ここからさらに1つ尾根筋を回れば、寺屋敷の平らな土地があるはずです。とりえあえず先輩方には炭焼き釜跡で休んでいただいて、ちょっと西に進んだところで、かつて来た寺屋敷跡を確認することができました。やっぱりここだったんです。記憶はまだ確かに残っていたようです。


       明らかに平らな土地になっている「寺屋敷」

 といううことは、地図とGPSで「ここじゃない?」と示された地点は、ちょっと違っていた、という事になりそうです。果たして、それは正当なのでしょうか。

 ここで、しばし河津の「慈眼院」の前身である「寺屋敷」について語り合い、次に進むことにしました。

 ここからしばらくは歩きやすい道が続きます。途中で、炭焼き釜の跡があります。この辺は下界からかなり標高が上がっているのですが、昔の人たちはずいぶん山の上まで炭を焼きに来たものです。
 間もなく、眼下に東側の風景が広がり、滑りやすい斜面を進む所に出くわします。 陽に当たりやすい所なので崩落が激しく、踏み跡も消えかかっています。もしここで足を滑らせたら、ずっと転落するでしょう。おお、恐い! 


       比較的上の方に道が付いています。

 忘れていました。ここが、車道から山肌を見上げた時に見える地点です。 ということは、こちらからも車道が見えますので、何となく「おーい!」と大声を出したくなります。でも、聞こえるはずはないので、さらに歩を進めることにしました。ここには、山椒の木が群生しているのですだけど、国立公園内なので、採っちゃダメみたいです。



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