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  横山坂 
 
横山坂
 
明治時代に開かれた旧道を観音堂の前で東に入る横山坂は、石仏群の前からすぐに登りが始まります。東に折れずに真っ直ぐ南下すれば良さそうなものですが、江戸時代には狩野川が山裾に迫っていたのでしょう。木々に覆われて鬱蒼とした小径は、左右にうねりながら高度を上げ、やがて南方面に進みます。

 家並みが途切れてからは低い竹藪の中を行く未舗装路となります。
 道なりに進むと道は大きく右に曲がり、資材置き場になって行き止まりとなりますが、下田街道はカーブを曲がらずに直進するのです。しかしそこには竹藪が…。ちょっと漕いでいってみようという気にはならない藪です。これが古道の現状なんですね。

すぐ近くに立派な車道があるのですから、あえてここを通る必要もありません。いつの間にか人々の生活からも脳裡からも消えていったのでしょう。



 仕方なく引き返し、旧道を進みましょう。

 途中、富士山がよく見える辺りに、石造物の並ぶ一角があります。資料によりますと、享和三年の句碑と嘉永六年の日蓮六百遠忌題目供養塔だそうです。

 その近くに、伊豆箱根鉄道の変電所に入る道があります。そちらを登ると、変電施設の手前で下田街道に出ます。戻るようにして横山坂を目指して行くきますと、やはり道は廃道となっています。あまり立派にしなくても良いですから、歴史の道として保存し、せめて人が散策できるように整備されたらありがたいのですがね。

 さて、変電所の前を南に進み、坂を下りますと、大仁町・宗光寺という地区に出ます。無事に横山坂を越えられた旅人は、再び眼前に広がる田方平野を見て、ほっと胸をなで下ろしたことでしょう。ここには昔、宗光寺という白鳳期の名刹があったそうです。それが字名として残っているんですね。
 大仁は、三島を出て二つ目の継立場があったところで、水晶山近くの狩野川には、下田街道唯一の渡しがあったそうです。次回は、その大仁町を行くことにいたしましょう。
 
                                             
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