葉

横山坂は今
探訪 2009年1月31日   
 
伊豆市の横山坂

 「横山坂辺りの道路で拡張工事が行われていますよ」

そう掲示板に書き込みをいただいたのが半年ほど前でした。
横山坂。県教委発行の『下田街道』には「横山坂 天城以北で最大の難所」と記されています。私がその坂を訪ねたのはもう6年ほど前のことになります。あれから伊豆市でも郷土の歴史に注目が集まり、薮に閉ざされていた横山坂が有志の手によって再び開かれたと新聞で読んだことがあります。しかしその横山坂に開発の手が伸びているとは大変です。坂が形を変えたり削られたりしてしまっては、貴重な史跡がなくなってしまいますから。

 そんなことを考えながらも、なかなか横山坂を訪ねることができないまま月日が流れてしまいました。ようやく現地に立つことができたのは、冬の雨が降る1月31日(土)の昼近くのことでした。

通行止め 迂回路あり
 横山坂のある韮山の南条は、その山裾を狩野川、国道、県道、市道が、肩を寄せ合うようにして通っている場所です。2009年1月現在行われている道路工事は、市道に迫る山肌を補強し、併せて道路を拡張する工事のようです。

 1月31日午前11時頃、車で県道から市道に入り、横山坂の入口を目指しました。すると行く先には「通行止め 迂回路あり」の看板が立っています。


             この先(南)は通行止めです

ならばちょうどよいと、通行止めになっている地点の少し手前に車を止め、観音堂へ行くことにしました。

南条の観音堂
 かなり広域に渡って道路工事が行われているので、最初は観音堂の位置が分かりませんでした。しかし観音堂は工事の区域には含まれず、坂の入口に残っていました。


              ここが横山坂の南条側入口です

 ここを訪れたのはもうずっと昔のことのように思われます。並ぶ石仏は前もこのように配置されていたでしょうか。記憶が曖昧です。

 それにしても、無造作に置かれた自動車、工事中であることを知らせる立て看板、道路のペイントなど、冬の雨模様と相まって殺風景な淋しい景色になっています。

観音堂の石仏群
 並んでいる石仏は、馬頭観音や庚申塔、石塔、回国供養塔、墓石などです。祭壇の外には倒れた墓石も何基かあり、淋しさを禁じ得ません。観音堂ではかつて講がもたれ、この辺りの人たちがお経を唱えていたでしょうに、時の流れには悲しいものがあります。


        この観音堂に人々が集ったのはいつまでのことだったのでしょうか


                観音堂の石造物群


                 上から観音堂を見たところ


             横道観世音菩薩という石塔は初めて見ました


                観音様でしょう


             庚申塔も奥の方にありました


             お顔のない馬頭観世音


       無縫塔があるということは、ここにかつてお寺があったのでしょう

思わぬ展開
 左に倉庫、右に民家を見ながら、雨に濡れた坂のアスファルトを上っていきます。
 途中で道が分岐しますので、そこを右に進みました。ここが横山坂です、と思っていたのですが…。


            観音堂を過ぎて坂を上っていきます


          雰囲気のよい坂が続いているのですが…


              分岐を右に行くとこんな道に


           このちりとりが不思議な御縁をもたらしてくれました

 写真を撮ろうとした時、道路の端にちりとりが置いてありました。(これも画面に入ってしまうな、どかそうか…)と思ってふと横を見ますと、畑に一人のご婦人がいます。その目に妙な優しさが感じられましたので、すぐに挨拶をしました。するとその時、事態は不思議な展開を見せ始めたのです。

「こんにちは。横山坂を見に来ました。」

「ああ、ここは横山坂ではありませんよ。」

「えっ?!」

「横山坂は、この一つ下を通る坂です。」

「一つ下を通る坂って、道があるんですか?」

「ありますよ。自動車置き場の中を入っていくんです。案内しましょうか?」

そういってご婦人は路上のちりとりを手に取り、移動して定位置に置いてから、私を先導してくれるのでした。

「何年か前に横山坂のことが新聞に載りましてね。それから訪ねて来る人があるようになりました。あなたはどこから来たの? 下田? ええ、静岡新聞でしたね。私は古い人間なので、道は昔のままとっておくのがいいと思うの。でも2,3か月前から下の道路の工事を始めて、すっかり横山坂の片方を崩してしまいましてね。残念なことです。」

「そうですか、2、3か月前に工事を始めたのですか。では私はちょっと来るのが遅かったですね。」

「そうですね、もう少し早く来れば、昔のままの横山坂を見ることができましたよ。」

「お観音さまには行ってきました? そう、そこが横山坂の始まりだそうですよ。私もそういうの(歴史の話)が好きでね、前は訪ねてくる人をよく案内しましたよ。」

「ここですよ、ここを入っていくのが横山坂です。ここに『横山坂』って看板を立てればいいのにねえ。前は両側に木が茂っていて、暗い坂道でした。向こうの山なんか見えませんでしたから。」

「この道は、吉田松陰もハリスも通った道です。大仁の郵便局の裏に、吉田松陰が江戸に連れて行かれる時に泊まったところを示す石碑があります。」

「ええ、宗光寺まで出られますよ。バイクでも行けると思いますよ。」



        
観音堂の近くまで戻って、この場所に入っていきました


        私有地のようになっていますが、構わず入っていきます


        
こっちが横山坂なんですか、という驚きの気持ちでいっぱいでした


         
確かに無造作に木を切り倒したような景色が見えます


         
私有地故に開発から守られる、ということがあればよいのですが…

 私が手にグローブをはめていたので、ご婦人は私がオートバイで来たと思われたようです。車で来たことを伝え、ここからは一人で歩いていってみることにして、お礼を申し上げました。

ありがとうございました。お陰で本当の横山坂のルートが分かりました。

写真を撮るお許しを請いますと、「こんな格好だし、髪もこんなですからねえ」と遠慮されましたが、歴史がお好きなご婦人にお会いできて、今日はとても恵まれた日でしたので、お礼の意味を込めてシャッターを押しました。ゴメンなさいね。


  歴史好きな人に会えてよかったあ

横山坂は今
 ご婦人と別れ、一人でぬかるんだ道を歩いてみることにしました。
 以前は鬱蒼と茂る木々によって眺望がきかなかったという山道は、“暗闇坂”と言い換えることもできたでしょう。しかし確かに木の切り株が並んでいます。

 さらに歩を進めますと、森はすっかり切り払われ、狩野川の流れが眼下に見えるようになっています。その向こうには長岡の山々が連なり、さらに奥には愛鷹山の山麓が見えています。天気がよければ富士山も望むことができるでしょう。


          この先にはいったいどんな風景が広がっているのでしょうか

 坂は崖の上を左に曲がって延びています。あ、左手に草に埋もれた石仏が見えます。やはりそれはここが古道であることの証になりましょう。


         草に埋もれるようにして4尊のお地蔵様がありました

お地蔵様は、明治から大正にかけて立てられた馬頭観音でした。

そこを通り過ぎますと、道は工事中で、このようになっていました。新たに土を盛って道を作ってあります。昔の姿ではありません。


               ちょっと悲しい風景ですね…

 (これが今の横山坂の姿か…)とがっかりしながらさらに歩いていきますと、右手に広がる景観が再び木立によって遮られるようになりました。そしてじきに昔の横山坂の風景に近いのだろうな、という印象のある道になりました。

しかしクヌギの木の切り株などがあるので、ここもやはりかなりの木々が切り倒されたのだと思います。


            広葉樹の切り株が痛々しいです

 工事現場に近い部分を過ぎますと、よい感じの道になりました。竹の侵食が見られるので、竹の根が回っているのでしょう。何年か前に整備した、というのはこの辺りでしょう。


         拡幅されてはいますが、よい雰囲気を保っていると思います

 やがて坂は下りになり、その先に伊豆箱根鉄道の変電所の建物が見えました。6年ほど前にここを訪ねた時は、変電所側から入ってみたのですが、たしかこちら側は細い竹がびっしりと生い茂る薮になっていて通行できなかったと思います。


       




変電所の前には、県道に下りる道があります。そこを素通りして南に進みました。



するとまた上り坂がありました。



坂を上りきりますと、左手に大きな石造物が並んでいました。

最も大きいのは、嘉永七年建立の念仏塔です。他には回国供養塔などがあります。その裏手の広場は神社のようであり、そこにも石仏がいくつも並んでいます。





何という神社なのかは分かりませんが、石造物が並んでいるところを見ると、結構大きい神社のように思えました。

宗光寺への下り坂
 ここから先は舗装された下り坂になっています。下りきればきっと宗光寺(地名です)に出るのでしょう。杉木立の間から里が見えました。




               宗光寺に下る坂道

 横山坂は今、こうして現代に生き残っていました。惜しむらくは、案内してくださったご婦人が仰ったように、南条側の景観が工事によって著しく損なわれていることです。時代の要請とはいえ、もう少し景観を大事にしてほしいものです。

                                             
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