葉

横浜市立歴史博物館に横川の棟札を見に行く
   探訪2002年2月10日
 
横浜市立歴史博物館
プロローグ
 2月はじめの伊豆新聞に、「横浜で地域の歴史紹介」という記事が載りました。そこでは、「下田市・横川・加増野両地区に現存する神社棟札二十四枚が出品され、『棟札が語る伊豆横川地域の歴史』として紹介される。」とありました。そして、「横川地区の人たちがバスをチャーターして見学ツアーに行く。」とまで書かれています。
 横川の人たちが、なぜわざわざそこまでして見に行くのでしょう。棟札には何か大きな歴史的な意義と秘密が隠されているのでしょうか。それが、私がこの棟札展示に関心を持ったきっかけでした。一体、この企画展にはどんな意味があるのでしょうか。2月10日に、学芸員さんによるレクチャーがあるというので、その日に合わせて訪ねてみることにしました。

 ところで、横浜市立博物館というのは、どこにあるのでしょう。インターネットで検索して詳しい情報を仕入れました。すると、横浜市街ではなく、郊外にあるようです。どうやら横浜駅より新横浜駅の方が近いようです。
 当日は、7:05の電車で下田を出、新幹線・新横浜駅から横浜市営地下鉄で5駅先の『センター北駅』で下車しました。意外とアクセスはよいです。センター北駅は、大変広くてきれいです。辺りは原野を切り開いて街をつくったようなところで、割とがらんとした殺風景な街です。(失礼) 当日は曇りで、かなり寒かったです。駅前の地図を見て、徒歩5分でお目当ての博物館に到着しました。

横浜市立歴史博物館
 いざ博物館に着きますと、大きい! 広い! 新しい! 特別展の大きな看板も側壁にどーんと飾ってあります。
 入場料を払って、まず常設展に入りました。ここは横浜市の施設ですから、基本的に横浜の歴史について紹介しています。古代から現在まで、様々な工夫を凝らして展示をしてありました。その上、この日は3連休の中日だったのに、お客さんは少なく、ゆったりと見学することができました。下田で言えば、ベイステージみたいな感じでしょうか。

 
       常設展の様子

棟札とは 
 「棟札」は何と読むのでしょうか。私はつい数年前まで読めませんでした。「とうふだ?」 実は、前の職場の若い同僚がこれを使って授業を行ったので、たまたま知っていたのです。読み方は、「むなふだ」。しかし、「とうさつ」や「とうふだ」と読むこともできるそうです。
 棟札とは、家や神社仏閣などを建てたり改築・補修したりした時に、その施主や大工の名などを記して屋根裏などに残した板札です。今でも、日本家屋にはある場合があるそうです。ですから後の時代になっても、いつ誰がその建築物を建てたり補修したりしたかという歴史が分かるそうです。


        展示の様子

なぜ横浜市歴史博物館で、なのか?
 棟札は、神社・仏閣の拝殿に納められているそうです。それこそご神体と同じくらい大切に。ですから、勝手に拝殿を開けて見に行くことはできません。神主さんや管理する人に頼んで見せてもらうか、このような展示会で見るしかありませんね、普通は。
 では、なぜ横浜の博物館で、わざわざ横川の棟札を展示したのでしょうか? そこには大きな理由があるはずです。昔から今までの棟札がよい状態で残っているとか重要な事柄が記載されているとか、そういうことは容易に想像できます。
 その理由は、私が訪れた当日、学芸員さんの話によってより明らかになりました。曰く、「棟札は、いくら由緒ある神社であっても、たった1枚残っているだけでは何の事柄も分かりません。昔から今まで、同じ場所で、いろいろな時代を経て存在してきた棟札が保存されていなければ、歴史を読みとることはできないのです。その意味で、横川の神社に残された棟札は非常に量が多いので、それらから実に多くの歴史的史実を読みとることができます。これは大変珍しい例です。本当は横浜市でこうした例を探すことができるとよかったのですが、叶いませんでした。ですから横川の棟札を選んだのです。」と言うことでした。


横川の棟札に見る中世の歴史
 横川地区には、たくさんの神社があります。しかも式内社(『延喜式』神名帳に記された神社=古くからの神社名鑑とでもいうような記録に記載されている神社。特に由緒ある神社ということになります。)が多く、日本全国で地域別に比べるとその数は11番目に多いそうです。
 さて、特別展コーナーを巡っていきますと、下田から出展された棟札のコーナーがありました。そこだけ地図や写真をつけて展示してあります。特別扱いですな、これは。棟札は、24枚ありました。(寄進札も含まれていましたが。)  しかし、ただ見たところでは、「ふむふむ、これが棟札か。いろんな年号や人の名が書いてあるな…。」ぐらいにしか感じません。これはただ私に知識がないからであります。(お恥ずかしいことです)
 さて、私が訪ねたのは2月10日。この日は、学芸員さんによるレクチャーがありました。このためにわざわざ日を選んで行ったのです。結果から申しますと、レクチャーを受けてよかった! 話を聞かなければ分からずにいたことがたくさんありました。
 展示されていた棟札は、諏訪神社、天神社、水神社、日枝神社、加増野の神明神社のそれらです。先にも記したとおり、横川の神社にはたくさんの棟札が保存されているそうです。水神社や八幡神社などは小さい神社なのに、社殿を開けると中世の棟札でさえたくさんあり、近世のそれに至っては数え切れないほど残っているそうです。こうして同じ地域で長い時代に渡って棟札を見ることができるため、そこでの歴史や人々の願いを読みとるのに大変よろしいそうで、研究者の格好の題材になるそうです。


諏訪神社(何と格子戸に特別展のポスターが貼ってありました)

 では、実際にどのようなことを横川の棟札から読みとることができるのでしょうか。
 例えば、諏訪神社所蔵の天文六年(1538年)の棟札には社殿の補修を行った記録が記されていますが、その時に造営料を寄進したのが、吉田吉長とその妻・弟だったことが読みとれるそうで、吉田一族が当時の有力者であったことが分かるそうです。また、永正十六年(1519年)の棟札には、諏訪神社で毎年行われていた法華経の真読料を寄進したことが記されていますが、「真読」というのがミソで、これは法華経をじっくりと精読することであり、当時の人々の信仰の様子が分かるそうです。

 ほかにもいろいろな歴史的な事実や分かることを学芸員さんは話してくれましたが、何分にも知識の乏しい私には余りよく分からず、残念でした。しかし学芸員の遠藤さんは、1時間の予定を大幅に延長し、1時間30分も熱心にレクチャーしてくれました。しかしこのレクチャーを受けたことは、私にとって大変大きな収穫でした。棟札から横川の歴史を掘り起こそうとした歴史博物館の熱意にも拍手!


        レクチャーの様子

エピローグ〜横川に行ってみる? 
 さあ、ここまで勉強したら、実際に横川に行ってみたくなりますね。なりません?

 横川は小松野道の入り口ですので、古道と大いに関係があります。ただ横川の史跡を見たい場合は、県道交差点の信号機を南に入って観音温泉まで散策するのがよいと思います。往復2時間あれば十分でしょう。観音温泉の手前には、こんな所に?と思うような山の奥に食事処があるのですよ。お腹がすいても大丈夫ですね。
 ただし、神社の棟札を見ることはできるでしょうか、たぶん無理でしょう。寺社や石造物を探しながら澄んだ空気を吸うのが一番です。よろしかったら、ぜひご自分の足と目を働かせて散策してみてください。

                                             
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