葉

川端康成と蓮台寺温泉
  探訪2002年7月 
 
 宮脇俊三氏著『鉄道廃線跡を歩くY』の「南豆馬車鉄道(大沢口〜下田)」の項に、「大正14年(1925)頃には伊豆を逍遙していた若き日の川端康成もこれに乗り、自らの作品に馬鉄の情景を書き記している。」とあります。

 この一節を見てから、(一体、何という作品にその記述があるのだろう?)と長いこと思っていました。が、ある日、書店の郷土文学コーナーでその出典を見つけました。その本とは、川端康成著 中央公論文庫『伊豆の旅』。南豆馬車鉄道の情景が描かれているのは、その中の『南伊豆行』という話です。この話は、大正十五年二月に『文藝春秋』に掲載されたそうです。

 川端康成は何度か伊豆に足を運んでいるのですが、どうやら『伊豆の踊子』の続編の取材に訪れた折りの旅の様子を書き記しているようです。ただし、馬鉄が話の中心になっている訳ではなく、物語自体も長編ではありませんし、ただ旅の一部に馬鉄を利用したという、静かな描かれ方がされています。

中央公論文庫『伊豆の旅』


「湯ヶ野を出外れ、再び山に入れば、左に海見ゆ。下河津の浜なり。相模灘なり。沖に伊豆大島裾を霞に消して大いなる夢のごとくに浮ぶ。またトンネルを通る。」

 
戦前の湯ヶ野温泉
  戦前の河津町湯ヶ野温泉 踊り子が泊まった宿が左にあります     河津の町を俯瞰した景色です



  どうやら河津町の湯ヶ野から、いわゆる峰山に上り、逆川、須原を通って下田に入ったようです。

「下田近くなり河内温泉に入る。千人風呂、露天風呂なぞあるが、街道沿いの平凡な村落の間に宿屋が建交わっているので素通り。蓮台寺を右に眺め、右手の三四の小山の中何れかが下田富士かと迷っている間もなく橋を渡って下田に入る。」

戦前の河内温泉
    戦前の河内温泉 金谷旅館の全景と思われます

 向陽院まえの市道を通って街に入ったのでしょう。金谷旅館の風呂に関する記述があります。実際に風呂に入ったことはあったのでしょうか、なかったのでしょうか…。
 「橋」というのは、本郷橋の事かと思います。確かに右手には見上げるような城山、大段、恵比寿ヶ所、といった高い山があります。初めて来た旅人には、目につく高い山があればそれが有名な下田富士と思ってしまうのは道理というものです。

 この後、市内に入った康成は、南伊豆町に行って石廊崎で初日の出を拝もうと目論むのですが、風が強いことや案内人の話を上の空で聞いていたことによって断念し、バス会社の発着所に戻ってしまうのです。


「面倒臭くなり、一台仕立てて蓮台寺温泉に引返す。掛塚屋にて満員なりとことわられ、運転手に会津屋へ連れ込まれる。今では却て掛塚屋より待遇いいくらいなりと、運転手らしき言葉なり。」

掛塚屋のあたり
   旧掛塚屋の辺り 右奥は藤原山です

 馬車を仕立てて、ということは、丸ごと一台を貸し切ったということになりますので、裕福な旅だったと思われます。掛塚屋は現在営業していません。会津屋は、掛塚屋と道を挟んだ向かい側の川沿いにあります。

「蓮台寺は田圃の中にて、以前より風景気に入らない。柿崎の阿波久旅館へでも行った方がよかったと思う。夕飯を終えれば馬車の笛聞こゆ。疾風の中に飛出す。鉄道馬車にて下田に行く。馬車を下り下田に入るあたり、河口の岸に灯点々として情緒あり。足の向くままに町を歩けば、寂しい荒野に出てしまう。」

馬鉄の線路跡
 馬鉄の線路が通っていたところ 康成もここを通ったのでしょう

 確かに農村の山際にある温泉地なので、歓楽街のような景観は望めなかったでしょう。馬鉄の御者はラッパを持っており、障害物などを見ると豆腐売りのそれよろしく「ぷわーっ!」と吹いたそうですから、記述はその通りと言うことになります。寂しい荒野というのは、今の下田南高校の辺りかと思います。

「驚いて町に引き返し、でたらめに歩き廻る。「黒船」という雑誌社や下田クラブという洋食屋のある通りを何遍となく通る。…略…この大晦日の夜、寒風の中に海の月を見ていては狂人と思われそうなので、引返してまた町を歩く。毛糸の安手袋を買う。…略…鉄道馬車にて蓮台寺に帰る。家の中にいると、南伊豆の暖かさなり。」


 宿では、隣の部屋の客が芸者を呼んだが意地の悪いことを言うので芸者がへそを曲げてお腹が痛いと仮病を使い、あわてて客がご機嫌をとっている会話が聞こえた、などという一節があります。古い日本旅館では、隣の様子は筒抜けだったのでしょう。

蓮台寺の小径1 蓮台寺の小径2
  蓮台寺の小径 ここは始めに開かれた古道だそうです          同 ひっそりと佇む路地

 「一月一日 肩を揺り起さる。女中なり。九時なり。屠蘇、雑煮。
 石廊崎へ行く汽船、宿から電話で聞いて貰うと、今日も波が高くて出ないとのこと。そこで、南行の乗合自動車へ申込んで置いて貰う。十時の鉄道馬車を待つ間に、国宝の大日如来を拝観に行くつもりで歩いていると、馬車来り乗ってしまう。車掌の話−あまり大きい船が港に這入っていない。不景気のしるしなり。昨夜も大晦日、夜と言うに、稍行人繁きは伊勢町、横町のみにて他は灯の消えたるがごとし。−なぞと。」


 日付は正月になりました。康成は蓮台寺温泉を離れ、下賀茂や石廊崎などを見て回ろうとしたようですが、風が強く、断念したようです。その後下田に戻り、東海岸の道を戻って河津に行き、帰路についたようです。


「下田に着き、またまた自動車会社に駆けつける。四時の海岸線行が出発するところ。運転手、『今日は』と挨拶する。昨日蓮台寺へ貸しきりで行った運転手だ。直ぐに乗る。車山に登り、下田の港の全景を見る。船が皆日の丸の旗を掲げている。下河津に行くこの山道、海と山との眺めが美しい。久しぶりにて海の果ての紫と桃色との夕焼けを見る。浜橋まで五十分。六七町歩いて谷津温泉に行く。少しは宿屋らしい宿屋が点在しているので、元日の寝床を見いだしたと心強くなる。


 バスが山に登るというのは、赤間の旧道に入ってのことでしょうか。それとも上の山の辺りのことを指すのでしょうか。時代考証をしてみる必要がありますね。
 この後、康成はバスで天城峠を目指し、峠の茶屋が無くなっていることを気にしつつ、湯が島で記述を終えています。康成の足跡をたどって旧道巡りをするのも楽しいかもしれませんね。
                                             
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