葉

稲取の八百比丘尼像
 2008年3月16日   
 
八百比丘尼とは
 “八百比丘尼(やおびくに)”伝説という話が主として北陸若狭地方に伝わっているそうです。

 八百比丘尼とは、若い頃人魚の肉を食べたために歳をとらなくなり、長生きをしてしまった尼僧です。長生きしたために、肉親も家族も友達もみな亡くなってしまいます。自分だけが一人で生きて行かなくてはならなくなった悲しみに耐えようと、髪を落として尼僧になり、各地を旅しながら橋を架けたり貧しい人を助けたりして生きていったということです。
 八百歳になった時、比丘尼は若狭の地に戻り、洞窟に入定して戻ることがなかったといいます。今も残るその洞窟には、何本もの椿の木が植えてあるそうです。

 その八百比丘尼の像は伝説が伝わっている北陸地方に点在するといいますが、太平洋側の東伊豆町に、この八百比丘尼の石像があるのです。



 稲取港は東の船着き場の一角に祭壇があり、石像や石祠が祭ってあります。その中央にあるのが八百比丘尼の石像です。

 この石像は地元稲取では“せーのかみさん(サイの神)”として伝えられています。この写真を撮影した時、すぐ近くの家の人に聞いたのですが、「さいのかみさんだよ」と教えてくれました。祭壇の鳥居には「道祖神」と記してあります。

 しかし今から四十余年前、民俗学者の折口信夫氏がたまたま旅行で東伊豆町を訪れた時、この壊れかけた石像を見たそうです。氏は「右手に椿の枝、左手に藁草履を持っている。八百比丘尼の像に違いない。」と断定して、そのことを研究誌に投稿したそうです。



 折口氏は十年ほど空けて2度、稲取に来てこの像を見たそうでが、2度目に来た時は破壊が進んでおり、嘆いたそうです。どうやら子ども達が石をぶつけて石像を壊したらしいのですが、さすが漁師町のわんぱく共はやることが荒っぽいです。

 気の毒に、この石像は顔も両手も痛んで無くなっています。しかし数多くの石像を見てきた折口氏には、その形から、これが八百比丘尼の像であることを確信したのでしょう。


         基礎を含めた高さは100cmほど
 
 八百比丘尼は長寿の象徴として語り継がれ、信仰されているそうですが、一体いつ、誰がここに比丘尼の像を祀ったのでしょう。

 痛みかけた像には、近所の人が赤い頬被りとしきびの枝をあげてありました。それはこの像がサイの神であっても八百比丘尼の像であっても、稲取の人々に愛されていることを示していました。いつまでも人々の信仰を集め、この地で安住してほしいと願います。
                                             
トップ アイコン
トップ

葉