葉

宇津ノ谷明治トンネルを訪ねる
探索 2007年9月8日   
 
滝と隧道
 今回は「下田街道」2度目の伊豆半島を脱出しての探索です。(1回目は山梨県の旧大日影隧道の探訪でした)

 私がかねてから最も行きたかった伊豆以外の場所。それは静岡県内における箱根峠に次ぐ東海道の難所、静岡市の西にある宇津ノ谷峠です。
 そこには、平安時代から現代まで続く幾筋もの道があるといいます。旧東海道、明治の隧道、大正の隧道、そして昭和の隧道、平成の隧道…。それらの街道が、ひとつの山塊を越えるために谷を跨ぎ、峠を越え、山を穿ち、旅人の旅程を支えてきたのです。たとえ物見遊山の観光になってもいい。とにかく行きたかったです。深く考えるのはそれから。何か発見があれば、再びその地を訪れて探索しましょう。まずは宇津ノ谷に向かってハチ六号のキーを捻りました。

宇嶺の滝
 今回の随行者は、穴菌隊員ならぬ山岳瀑布撮影隊のHAL隊員です。
 彼は、富士市在住のアマチュアカメラマン。デジカメ片手に富士山の周りを這いずり回って四季折々の写真を撮っています。そのシャッターチャンスを狙う感性と忍耐力と鋭い勘は、鈴木も脱帽するものです。
 今回、氏は滝の撮影を目的として参加しす。かたや私は石造物や隧道を見に行きます。初めての撮影隊ですが、うまく折り合うでしょうかねー。ま、大丈夫でしょう。

 富士インター付近で待ち合わせて、私のハチ六号に同乗。一路東名高速をひた走り、藤枝インターを目指します。地理の面から言って、最初は滝巡りです。ちょうど台風の去った後なので、滝の水量が増えています。迫力も増すというものですね。HAL氏はそれを狙って、この日を千載一遇のチャンスとしているのですね。

 ハチ六号にはナビが付いていないので、頼りはHAL氏が持った地図と道路標識だけ。私も初めて運転する道なので、迷わないか心配でしたが、どうにか第一目的地の「宇嶺の滝」に辿り着きました。


          かなり山の奥深く運転してきました

特に駐車場はないので、道路の空いたスペースに車を停め、滝への歩道を3分ほど下ります。

滝は、なるほど台風の運んできた雨によって増水し、しぶきを上げて黒い頂点から滝壺へと白い軌跡を描いていました。カメラのレンズにもあっという間に水滴がついてしまいます。HAL隊員もしぶきで困っているでしょうに、撮影に集中しています。彼はこういう豪快な滝が好きなんだなー。


         落差は70mあるそうです

「宇嶺の滝」は、伊豆で言えば仁科の大滝ぐらいの規模でしょうか。晴天が続くともう少し水量は減ると思われました。


   「宇嶺の滝」だけ新しいプレートになっているのは、名の変更があったから?(邪推)

山深い里
 しかしさすが南アルプスのお膝元。山が壮大なスケールを持って迫ってきます。お茶畑も山の斜面をかなり上の方まで這い上がっていますね。伊豆では見られない風景です。


        実は車内がガソリン臭いハチ六号…どうにかして!

420mm相当の望遠ズームで谷の向こうのお茶畑を撮影してみまた。


        人々の生活の営みが見えるような茶畑です 

道端の石造物
 途中、古い石道標が立っているのを見ました。伊豆のそれとは文字の刻み方が違っています。土地柄が表れていて面白いですね。


      山奥の小さな集落の辻に立っている 道標でしょう


  「右 笹間上道 左 高根山道 神社ハ一里三町」と刻んであります

馬頭観音像群
 また、車道脇の所々には馬頭観音が立っていました。その数は、伊豆のそれとは比較にならないほど多いです。鈴木も歩けば馬頭観音に当たる、という感じでしょうか。
 その一つの銘を読むと、かつては木曽の方と交易があり、その関係で立てられたようなことが推測できました。山から切り出した木材を運ぶのに働いた馬の供養をしたのでしょうか。

 馬頭観音は、元来、魔物を退散させるのが役目なので、憤怒の表情をしています。しかし伊豆のそれらは柔らかい表情をしておられます。温暖な気候とのんびりした風土がそうさせているのでしょうか。
 ここ藤枝の馬頭観音は、基本的には怒りでしょうけどl、ちょっと困惑したような、笑顔ともとれそうな、複合的な表情をしておらおられます。この辺は石工さんの思いが込められているような気がしました。


      「憤怒の相」 きりっとしたよい表情をしておられます


   新旧の像が並んでいる 馬頭観音は土地土地で大事にされているようです


      馬頭を冠にいただき、観音様は何を思うのでしょうか

小仏隧道
 さて、宇嶺の滝から静岡市方面へと戻りつつ、次の滝へと移動しました。
 途中、近道をした時に「小仏隧道」をくぐりました。

 元は石巻のトンネルだったかもしれなませんが、ポータルはコンクリート吹きつけがなされ、坑内は金属で覆工されています。その意味ではオリジナリティが損なわれており、残念です。


      坑内は自動車のすれ違い不可! 昔の伊豆の隧道のようです

 トンネルの写真を撮っていると、近くでこんな機械を見つけました。“廃”の臭いがぷんぷんしています。

鉱山施設か?と思いましたが、どうやら山で切り出した木を降ろす空中索道の動力部のようです。


          初めは鉱山の空中索道の施設かと思ったけど

この後、この機械は道すがらいくつも見かけました。それらはどうやら山から切り出した木材緒を運搬するための空中索道の動力部だったようです。うん、鉱山のそれと似ています。かつては林業が盛んだったと言うことでしょう。


     2基あるということは、ここが木材の集積所だったということかな


               うーん、“廃”である

 さらに、運転しながら何か引かれるものがあって脇道に目をやると、こんな隧道もありました。現役の生活道路として使われている「宮の澤隧道 昭和25年3月竣工」です。


          昔は素堀のトンネルだったのでしょうか そんな気がします

白藤の滝
 HAL隊員の2つめのターゲットは、“白藤の滝”です。ここには、小滝から小滝まで、6つ7つの滝があるらしいです。
 渓流沿いの遊歩道を歩きながら、滝の写真を撮っていきました。シャッタースピードを1/60ぐらいに遅くしてシャッターを切ると水の流れがよく撮れることが分かりましたが、日向と日影の陰影が強すぎて、思った通りの写真を撮ることが難しかったです。


     光の入射角が撮影に影響するんですね

 遊歩道を10分ほど上ると、白藤の滝の中心部に至りました。沢に沿っていくつもの滝があるのですが、それらを撮影して歩くには、それ相当の装備が必要となりましょう。険しい岩場を登攀するので、とてもカメラ片手にハイキング気分で、という訳にはいきません。


   白藤の滝で一番見やすいところですが、足場は悪いです

更に上流の滝を目指したましたが、足場が悪く、危険なので諦めました。ミカン畑の最上部にもこの機械が設えてありました。


        この設備はミカンの収穫にも使われていたらしいです

いよいよ宇津ノ谷へ
 前半として計画した滝の撮影は済み、HAL隊員は満足げです。今度はいよいよ私の目的地である宇津ノ谷に向かいます。

 藤枝方面から静岡市方面に向かって走ると、新宇津ノ谷トンネル(平成時代の施工)の手前の「道の駅」から明治や大正期の宇津ノ谷に至るのですが、つい車の流れに乗ってしまい、平成の宇津ノ谷トンネルをくぐってしまいました。

順路が逆になってしまいましたが、静岡市側から大正トンネルをくぐって藤枝側に戻り、そこから明治隧道にアプローチすることにしました。

明治隧道の謎
 旧東海道に入ると、宇津ノ谷の宿の入り口に案内板があります。ここを左に入ると、明治時代のトンネルに至り、右に進むと大正時代に起工され昭和になって開通した“大正トンネル”に行きます。

 その案内板には、宇津ノ谷峠付近の略図が書いてあります。史跡や石造物なども散見され、なかなか見どころの多い事が分かりました。


      旧東海道の入り口 電線を地下に移せばいいのにー

 辺りの様子が分からないので、とりあえずは道なりに進みました。そのまま進むと、道は私たちを大正へと導きました。

大正隧道
 下の画像は、大正トンネルの藤枝側の坑門です。竣工したのは昭和時代ですがが、着工したのが大正時代なので、“大正トンネルと呼ばれているらしいです。明治トンネルを車でくぐろうと思ったのです、車止めによって通行はできないようになっていたので、徒歩でアプローチして撮影を済ませた後、引き返してきた時に撮影しました。

 大正15年に着工し、昭和になって完成したトンネルにしてはとても広いと思います。しかしポータルは所々で塗装が剥がれ、ちょっと痛々しい感じがします。


              宇津ノ谷大正隧道西側坑口

明治隧道へ
 ちょっと分かりにくいですが、大正トンネルを藤枝側に出て100mほど下ると、明治トンネルに向かう枝道があります。そちらは煉瓦風のタイル張りの道となっており、なかなか風情があります。廃道という感じはまったくしません。観光用として整備されているようです。

 私が行った時には自転車で来ていた高校生がエアガンとゴーグル、長袖の戦闘服で武装して、サバイバルゲームに興じていました。“廃”な雰囲気がサバイバルゲームに合っているのでしょうか。(しかし観光客スポットでやるかな〜)

 車止めは、宇津ノ谷峠に向かう旧東海道との分岐にあります。その横に車を停めて、徒歩で明治トンネル藤枝側坑門に行ってみました。

とてもよい雰囲気の旧道です。


   車を降りて歩いていくと、その先に明治隧道が黒い口を家開けていました

 扁額には垂れ幕?がかかっているので、文字はよく読めません。おそらくは「宇津ノ谷隧道」と記されているのでしょう。


          あの垂れ幕というかシートが邪魔〜!

坑内にはカンテラ風の照明がつけられ、歩くのには十分な照度を得ています。


          おお、向こう側の坑口が見える!

内部は小さい煉瓦でびっしりと覆工されています。


        いい雰囲気です 天城隧道とはまた違って…

坑内から藤枝側の坑口を見ました。静かで穏やかな、いい雰囲気です。


          坑内から坑門を見る景色がまたいいんです

 ここで、改めて案内板を見てみましょう。そこには大変興味深いことが書いてあります。

 よく見てください。それは、これです。


        この案内板には秘められた謎を示した部分があるのです

はっきり書いてあります。


えっ、幻のトンネル!?



        幻って、何・・・?

この案内板を見た時、何か間違えているか、重複して記述しているのかと思いました。それはひとえに私の勉強不足なのですが、何と明治トンネルは、2つあったようなのです。

説明しましょう。下の画像は、静岡市側の坑門まえに展示してあるパネルの案内です。

 それによると、この明治トンネルは明治9年に初めて掘削されたのですが、その時は内部でくの字に曲がった“曲がりトンネル”だったらしいのです。
 ではなぜ“くの字の明治トンネル”が幻となったのでしょうか。
 別の資料によると、最初の明治トンネルの静岡市側坑門には、掘削面の岩肌の荒い印象を弱めるように、岩肌に木製の庇(ひさし)をつけてあったらしいです。ところが、照明として設置されていたカンテラの火がその庇に燃え移り、火災になって、トンネルは通行できないようになってしまったそうです。
 その後、明治34年に2度目の掘削がなされ、今度は坑門から真っ直ぐに出口が見えるように直線の隧道が掘られたのです。


            幻って、そういう事だったのね…

ゆえに、“幻のトンネル”というのは、明治時代に最初に掘られたトンネルの東側坑道を意味するのです。

うーん、古道探索者なら、この幻のトンネルを見たいと思います! 果たしてその幻のトンネルはいまだに坑門を来る者に公開しているのでしょうか。それとも既に崩落などによってその空間を隠してしまっているのでしょうか…。それは次回の探索時に確かめるようにしましょう。


   静岡市側のスペースには身障者用駐車場しかないんですが、停めさせて頂きました

東側(静岡市側)坑門は、3日前に中部地方を襲った台風9号のために、倒れた竹林の急襲を受けていました。


          台風の爪痕が残る東側坑門

扁額は2つあります。下のはキーストーン(要)を兼ねているのでしょうか。何と書いてあるのかは…、あまりよく見えません。


           これらの煉瓦はどこで焼いたのでしょうか

煉瓦造りの細かな模様が美しいです。一体この煉瓦はどこから運んできたものでしょうか。近くに煉瓦窯を作って、そこで焼いたのでしょうか。この辺まで突っ込んだ資料があると興味深いのですが…。


            倒れた竹をくぐって撮影しました

観光客の姿は多くないですが、それでも私が訪れた時には、数組の見物客がいました。そのうちの一組は、外国人の家族でした。

この日本初の有料トンネルは、大人2厘、子供は1厘の通行料だったそうです。明治22年に東海道線が開通するまでの約13年間は、ただ一つの東西の荷車や馬車の通れる交通路でした。


          日本初の有料トンネルということです

丸子宿
 一人、心の中で再訪を誓い、旧道から丸子宿に下りて昼食を摂ることにしました。もちろん丸子と言えば、丁子屋ですね。


              茅葺き屋根が目印

 丁子屋に来たのは16年ぶりです。ここは自然署料理の専門店で、評判がいいようです。もちろん天然の自然薯ではないでしょうけど、店舗を拡大してもよい味が保たれているのが素晴らしいと思いました。セットメニューを頼んだら、お腹いっぱいになってしまいました。


          一人前3K円ちょっとだったかな

 通されたされた大広間には6割方がお客で埋まっていましたが、仲居さんは笑顔できびきびと動き、写真撮影も快く許してくれたので、好感が持てました。料理が出てくる時間も早いです。

 おしながきには、とろろ汁かけご飯の「丸子1,380円を基本にして、それぞれ一品料理が追加されていきます。「つたの細道 1,500円」、「本陣 2,000円」、「駿河 2,800円」、「府中 3,200円」、「百福とろろ 4,100円」、「満福とろろ 5,200円」などです。とろろご飯を楽しむのには一番安い1,380円ので十分だと思いました。

大鈩不動の滝(おおだたらふどうの滝)
 最後に訪れたのが、ここ、大鈩の滝です。鈩(たたら)というのは、古代の製鉄に用いられた空気の供給機、足踏みのふいごです。歌舞伎で手をぱーんと打って「おっとっとっとー」とやる時のあれを「鈩を踏む」といいます。また、歩いている時につまづいて「おーっとっとっと…」とする時も「鈩を踏む」といいます。

 丸子宿からすぐそばの渓流沿いに入って、車で走ること7、8分足らず。駐車場には観光客の姿がちらほらと見られました。
 こんなバイクも1台。私が欲しいバイクの一つ、ヤマハのランちゃんです。車検不要の250ccで、これ一台でオールマイティに使えそうですもん。


         ヤマハ ランツァ 最終型かニャ?

ここが不動の滝?
 しかし、来てみて驚きました。実質的に車道の行き止まりから近いところにある滝なのですが、私にとっては「暗い」「あやしい」「おどろおどろしい」の三拍子揃った場所でした。

 なぜって、暗くじめじめしたところに滝があり、夥しい数のお地蔵様が至る所に奉納してあるんです。霊感などは全く持ち合わせていない私だが、さすがにこの滝のロケーションには引いてしまいました。


    誰があげたか、夥しいお地蔵様が奉納されているのですが…、恐い!

さすがにこの滝は恐いでしょ!

 そんな中でも一心不乱にシャッターを押すHAL隊員。私の怯える姿など、アウトオブ眼中! あなたは平気なのか!?
この状況下で撮影に専念できるあなたを、私は尊敬します。

 とまあ、私はよい印象を持たなかったのですが、実はここは広く世に知られた滝であるらしいです。毎月28日には大鈩不動尊祭として朝市が行われ、参詣の沿道約1.5キロメートルにいっぱいの出店が並ぶそうです。そこでは四季折々の農作物や昔懐かしい食べ物や生活用品を買うことができるそうで、お地蔵さんに水をかけ自分の病気と同じ部分をさすり病気の身代わりを祈る人、絵馬に願いを託して奉納し祈る人など多くの人々で毎月大変な賑わいを見せるとか…。そうなんでしょうかねェ。恐いよー。

帰路に
 念願の宇津ノ谷トンネルは見たし、滝もいっぱい訪ねて、もう大満足の探訪でした。
 帰りは、静清バイパスの渋滞に辟易しながらも、由比蒲原の旧国一を走りながら「桜エビ丼食べたいねー」などと話して富士まで帰ってきました。

 次の伊豆半島脱出探索はどこになるでしょうか。楽しみであります。
                                             
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