葉

宇土金から滑川を目指す
失敗編 2005年1月3日   
 
 昨年7月、地元の古老に宇土金のヒトボシ地蔵様のお祭りに誘っていただき初めてその地を訪れた事は、すでに書きました。
 その際、「ここを下ると滑川に出るよ。」と教えられた峠があったので、今回はその峠から滑川に下りてみようと企てました。結局、事前調査が甘く、行くことができなかったのですが、失敗は成功の母。よろしければ覧ください。

 取り付きは宇土金の仏教美術館の先、秋葉神社常夜灯がある地点です。


     右手にある常夜灯が分かりますでしょうか

 ここから山に入り、初めは林道を進んで、最後の民家の手前を左にとって山道に入ります。


   郵便外交員のお兄さんが年賀状を配っていました

 道はこんな様子です。昨年秋の台風でまた荒れたのではないでしょうか。


       古道特有の荒れが見られます

 写真では分かりにくいですが、ここに分岐があり、右方向は、かつて大岩の上に秋葉山の祠が置かれていたという地点に繋がるそうです。


      これではとても秋葉さんの祠跡には行けますまい

 つづら折りの道はぐんぐん標高を上げていきます。日頃の運動不足がたたって、私は生あくびを連発。10分歩いては5分休憩、というていたらくさです。これで1月23日の河津−下田駅伝を走ることができるのでしょうか。いいえ、できますまい。練習しなくちゃ。

 
 ここがほとんど唯一下界が見える地点です。かつて炭焼きのために山の手入れをしていた頃は、どこからでもこうした景色が見えたそうなのですが…。


        宇土金から箕作の方面が見えます

 さて、道はなおもジグザグに登ります。途中で尾根を歩くところがあり、また山の左斜面を歩き、最後に尾根をまたいで右斜面を歩くようになります。そうなったら、ヒトボシ地蔵様は近いのです。
 

        天気がよくても暗い道です

 右斜面を歩く途中で、急に左に折れる地点があります。そこから1〜2分ほど南進しますと、小高い山頂に広場があって、2つのヒトボシ地蔵様が鎮座しています。お正月なのに、だれもお参りしなかったようです。お餅もお米も置いてありません。リュックからみかんを出して、置いておきました。お猿さんにとられちゃうかな?


       一人では行けないところですね、やはり…



     向かって右のお地蔵様には「嘉永六年…」の銘があります。高さは70cmと50cmぐらい。

 さて、ヒトボシ地蔵様は、「かつてここで灯を点して、沖を行く船から目印になるようにした。」というのが由来だそうです。「ヒトボシ=灯点し」なんですね。では、ここから海が見えるはずです。木立の間から南を見ますと、確かにお日様の光を反射して太平洋の海面が輝いています。


             いちおう海は見えるんです

 今は昼間なので明るいのですが、夜になるとヒトボシ地蔵様はここで二人ぼっちで淋しく過ごすのでしょうね。
 さて、ではいよいよ今回の目玉、滑川への道をたどることにしましょう。ヒトボシ地蔵様を後にして、元来た道へ戻ります。道なりに進みますと、ほどなく左手へ急角度で折れる道があります。そちらは仏教美術館の裏に出る道なので、帰りはそちらを通ることにしましょう。

 真っ直ぐ進みますと、すぐに峠のような所に出ます。目の前には、非常に大きな岩の固まりが見えます。


               山の神様が鎮座する大岩です

 その正面を少しだけ登りますと、石祠が2つ見えます。



 これが山の神様とのことです。左の新しい祠に「大正六年吉日 旧社改造ス」と銘があります。右の祠が古くなったので大正六年にこれを置いた、ということでしょう。そういえば、大賀茂にもこのような巨岩があり、そこに山の神様が祀られていました。こうした人の手によらない大きな物の存在に、昔の人は神が宿る神聖なる精神を見たのでしょう。

 さあ、これからいよいよ滑川への道へチャレンジです。峠特有の窪みのようになっている所を通り、西進します。あれ? 道はむしろ北を向いています。そのまま西に直下すると思っていたのに、ちょっと変…。でもそのまま進みます。どう探しても、ほかに道らしいところが見あたらないからです。


          滑川へ向かう峠なのですが…


      カメラを斜めに構えているわけではありませんよ。あしからず…


       こんな倒木が道をふさいでいます。おお、こわ…

 なかなか下に下りない道は大変に細く、左斜面を前へと進みます。滑り落ちないように靴のエッジを効かせて慎重に歩いていきます。(まだ道は下りないのかなあ…。)といぶかしく思いながら5分ほど進みますと、尾根をまたぐような地点に出ました。特に尾根方面(西)に道はないようなので、そのまま北に向きを変えます。ちょっとした明るい雑木林になり、山芋を掘った跡が見られます。ここまで道具を持って掘りに来たのでしょうか。すごい意欲です。穴が深いので、きっと立派なイモがあったのでしょう。そういえば今シーズンは一度も山芋掘りをしていません。今年は掘りたいなぁ…。


         明るい雑木林です。 山芋あるかな?

 それにしてもこの道はどうでしょう。このままでは、宇土金の北に出てしまうのではないでしょうか。これが前回聞いた、「上(かみ)の道」なのではないでしょうか。

 そうこうしているうち、古い空き瓶が散らかっている所を通りました。右手には、やはり峠のようになっている分岐があります。ちょっと覗いてみましたが、森が暗く、道が下に続いているようないないような…。
 これは、帰ってから1/1万の地図を見たところ、宇土金の北の外れ、鈴木造園(稲梓小学校の高学年マラソンコースの折り返し地点になっているお宅)の奥につながる道のようです。ということは、ここが「上の道」ですね。

     古い空き瓶が散乱していて…、     そのすぐ右手に東に下りるらしき道があります

 さあさあ、道はいっこうに標高を下げる気配がなく、どんどん北進します。おまけに踏み跡が消えかかり、まるで獣道のようです。

 一カ所だけ眺望がきくところがありました。ちゃんと滑川の洞に入っているようです。でもこのままでは、ずいぶん北に行くのではないでしょうか。それとも全然違う道なのでしょうか。分からなくなってきました。


           昔は茅場だったのでしょうか

 茅場のようになっている地点を過ぎて前を見ましたが、どうも道が怪しいので、しかたなく引き返すことにしました。事前に地図を(といっても1/2万5千の地図にはこの道はないのですが)見てくればよかったと後悔することしきり。またはもっと知っている人に聞いてから来ればよかったです。甘かった…。

 後で地図を見て分かったことなのですが、市建設課の1/1万の地図には、「上の道」へ下りる地点から尾根筋を北に登り、そのまま滑川のかなり北に下りる道が記載されていました。今回の探索では、かなり奥まで来たようです。次回は、滑川の方から入ってみることにしましょう。


   確かに滑川の洞に入っているようです この日はらいおんさんもこの奥を探索されていたのでした

 さて帰りは、山の神様とヒトボシ地蔵様の間にある峠から「下の道」を下り、達磨大師に下りました。途中、道を間違えて下りてしまいましたが、その下で合流点がありましたので、結局は行けたのかもしれません。

 達磨大師では、多くの善男善女がお参りをしていました。売店は賑わっていましたが、達磨の持ち込み供養を受け付けているお兄さんは客がなく、一人ぽつんと立って震えていました。かわいそうに…。(ここでちょうど知っているウオーキング愛好家の人たちに会ったのですが、滑川に下りる道は、それこそ知っている人に連れて行ってもらわないと無理、との事でした。うーん、次回はぜひリベンジします。滑川側から入ればそれができそうです。行ってみよう!)


          参拝客で賑わう達磨大師の境内です

                                             
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