前回、荻乗さんと古峠から中険業峠を目指した際、その近くにあるという中険業峰と「御料地」と彫られた石標を探したのですが、どうしても見つけることができませんでした。雪の積もった中とは言え、あれだけ探してもないのですから、何か大事な見誤りがあるのだと思いました。
地図を見ていますと、歩き回った山頂の西に、もう一つのピークがあるのに気づきました。しかもそこには898mという測量点が示されています。もしかしてここに石標があるのかもしれないと推測し、荻さんを置いて一人、天城に入ることにしました。
5月の連休2日目、2日(日)の朝、夕べの酒酔いチャットのせいで寝坊してしまい、午前7時にやっと家を出ました。
車で大川端キャンプ場まで行き、そこから二本杉峠を目指します。
峠まではかつて25分で登れたものの、今は体力も落ちているので、思うように登れません。休み休み登って35分で峠に到着。ハリスウオークで賑わった峠には誰もいず、全く静かでした。
そこから河津方面へ数分歩き、旧天城峠と称される、お地蔵さまのある地点まで行きました。ここから稜線に取り付いて、中険業峰と石標を目指すのです。
峠の地蔵様は静かに旅人を待っていました
お地蔵さまの背中を見て山肌に取り付きます。すると、あれれ? これは道があるではありませんか。明らかに人為によるU字形の道があるのです。それは踏み跡というような痕跡ではなく、立派に生活に供された道でありました。
荻さんの話に寄りますと、河津側から登って中険業峠に達した後は、こちらの地蔵様まで稜線伝いに歩き、二本杉峠へ至ってから大川端へ下りたと言うことです。まさにこの道はその節を裏付けることとなりました。
さて、地図で見るとそう遠くはない898mのピークには、そろそろ到達するはずです。おや、前方にひときわこんもりと高くなった地点があります。あそこが頂でしょうか。稜線を渡る風は思いの外強く、寂しさもひとしおです。でも、探している石標があるかと思うと、そんな気持ちも吹き飛んでしまうのです。
さあ、やってきました。どうやら山頂のようです。そこに石標は…?

いよいよ見えました 898mのピークのようです
と緊張して登り詰めますと…

ありました! 小さな石標がちゃんと私を待っていたのです。やはりここにあったんですねえ。

四角柱のそれには、4面に文字が彫ってあり、それぞれ「御料地字境」「萩乗入」「本谷入」「本谷入」と読めます。高さは全体で30cmほど。土中に埋まっていたと思われる基部が10cmほど露出しています。
不思議なのは、河津の「荻の入川」という名に残された「荻」という字が「萩」と読めたことです。確かに似ていますが、誤字でしょうか。それとも二つの名が存在していたのでしょうか。この点については、後の調査が必要と思われました。お地蔵様の所からはわずかに10分ほどで来ることができます。案外近いのでした。
さて、ここからは次の懸案事項、中険業峠から大川端に降りられるのか、ということにチャレンジします。
『天城往来雑記』の著者、佐藤陸朗氏はかつて下ったことがあるそうで、ちゃんと道の痕跡も認められたそうです。これは自分でも確かめてみたいところなのです。

石標と東に続く尾根
尾根づたいに東に進みますと、前回来た時と違って雪がありませんので、ちょっと景色が違います。
おや? 石標のある地点から下ってみますと、何だか峠のような所に出ました。前回、自分たちで表示板を立てた中険業峠ではありません。石標があると見て探し回った、あのピークの手前にあたります。東と西の両方に、道とおぼしき跡が見られます。ここはもしかして峠道だったのでしょうか。あるいはここが本当の中険業峠なのでしょうか? 謎は深まります。

名もない峠の南側

同じく北側。ちゃんと踏み跡らしい痕跡が認められます
まあ、むかしは山仕事の人たちが多数入っていたでしょうから、そこかしこに地図にない道があっても不思議ではありません。次回、余裕があったら調べてみることにしましょう。
さて、中険業峠からの下りですが、道らしきものはないのでやや不安でした。でも行けないことはないだろうと下りることにしました。

あたりは緑にこけむした石に覆われた谷です。やはりここも沢がV字形にえぐられています。踏み跡は見られません。炭焼き釜の跡がないのに、無数の炭のかけらが落ちていました。

さて古峠から西に下りた時と同じように、沢の右岸を行くか左岸を行くか、判断が求められます。涸れた沢は大きな岩がむき出しになっているので、下ることはできません。滑落の危険があります。かといって山肌を巻くの危ないです。
でも、あれ? 数分下ると、道が見えました。あ、そうでした。ここには天城の稜線歩道があるのでした。古峠探索の時と同じように、中険業峠のすぐ下にも歩道があったのでした。

あれ、これは天城稜線歩道!
さて、ここから再び大川端を目指すわけですが、下を見下ろした時、(本当にここに道があったのだろうか。佐藤氏はここを下ったのか?)という思いが脳裏を駆けめぐりました。ちょっと見ただけでも、普通に下れる谷ではありません。遙か彼方に大川端からつながる林道が見えているのですが、これはちょっと行けるものではありません。ちょっと臆病風に取り付かれたのかもしれません。いわば敵前逃亡です。根性ないですね。ごめんなさい。

深い谷です。下りなかったけど
そのまま稜線歩道を二本杉峠まで歩き、大川端に下りました。
林道に出たところで、地図の地形を頼りに、ここに下りてくるはずだという地点へ行ってみました。

ひどい土石流の跡です。檜林を登っていけば、中険業峠まで行けるのでしょうか。それは、次回の課題にしましょう。
急告! 今回私が中険業峠と見ていたのは、その後の荻乗さん検証により、どうやら関係のない峠であることが分かりました。 本物の中険業峠は、私が「名もない峠」と呼んだそれであるようです。次回、そちらを探索してきます。こうご期待!(2004,5,19)
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