寺屋敷から古峠へ
前回の古峠探索では、峠の東側を下りるとどこに出るかという課題を先送りにしていました。今回は、地図や古老の話を元にして、懸案だった「寺屋敷」の位置を特定し、そこから沢筋を登って古峠を目指し、さらに尾根を西に進み、中険業峠を探索しようという計画を立てました。帰りは、案内板に記された中険業歩道を下ってこようという企てです。さあ、では再び古峠にご案内しましょう。
天城のエキスパート、荻乗さんのご案内によって車で林道に入り、前回会った土地の猟師に聞いた寺屋敷付近に歩いていきました。この辺りが唯一平らな部分があり、近くに沢もあるので飲料水を確保できた所であることから、ここに寺屋敷(慈眼院の前身)があると推測しました。
この辺が寺屋敷とのことですが…
さて、寺屋敷とおぼしき地点から沢に入り、踏み跡を探してひたすら登りました。沢を挟んで右岸に左岸に歩を進めます。右岸に渡ったところで、荻さんがU字状に掘れた道を発見! 確かにこれは人為的な造作が認められます。
確かに認められる踏み跡
炭焼き釜の跡
途中で、炭焼き釜の後を発見しました。こんな所にあるんですねえ、という感じです。が、ここで沢が2つに分かれています。方角からして左に進むのがよさそうなので、左に進みました。(後で荻さんから聞いた話ですが、ここにこそ「寺屋敷」という地名がついているそうです。ここが本物?)
立派な炭焼き釜の遺構です
さらに登っていきますと、道は徐々に荒れてきます。倒木が多く、沢も削れています。ふうふう言いながら登っていきますと、2つ目の炭焼き釜の跡を見つけました。ここには、捨てられたと思われる古い炭が残っていました。昭和の戦後まもなくまで使われていたのでしょうか。時代の流れを感じます。
2つ目の炭焼き釜跡。炭のかけらが落ちていました
さてここもまた沢筋が2つに分かれていますので、どちらに進むべきか迷いました。が、ここは天城の主が的確に判断し、右にルートをとることにしました。足元はガレて歩きにくく、見上げれば鬱蒼と茂る杉林…。ああ、本当に古峠にたどり着けるのでしょうか…。
が、そうして登っているうちに、何だか一度見た景色のように思われてきました。あれ? ここは? と思ってさらに登りますと、3つ目の炭焼き釜を発見。しかもこれは一度来た道! すぐ上にある、かつて古峠から下って見た炭焼き釜は、下から数えて4番目に当たりました。
こ、これはいつか見た景色! 古峠の下にある3つ目の炭焼き釜跡
古峠直下の炭焼き釜跡
さあ、これで今登ってきた沢筋は、寺屋敷から古峠に至る道をほぼ辿っていると言ってよいことになりました。ただし、沢には時として水が流れるので、荻さんの指摘では、実際に使われたルートはやや山肌を巻いていたかもしれないということです。
雪の古峠
秋に見つけた礎石はすっかり雪に覆われていました。あたりも、雪と白と土の黒とが絶妙のコントラストを描いていました。
西側に目をやると、木立の向こうに一面の雲海が広がっています。あれでは、沼津の辺りは雲の下になっているのではないでしょうか。なにしろずっと向こうの方にいきなり富士が裾野から立ち上がっているのですから…。
「古峠 2004年3月25日 荻と鈴が記す」の表示板を立ててきました
さて、ここからが今日のメインです。進路を西にとって古峯を目指し、そこから尾根を辿ってさらに西進。一旦下って中険業峠と、その西にあるという中険業峰を探すのです。
中険業峠
さて、荻さんの地図の見取りにより稜線を西に辿り、懐かしい古峰を過ぎて、一番低い地点を目指して雪を踏みしめました。辺りには野生動物の足跡が無数についています。これらは、シカやイノシシでしょうね。まだ新しいです。
辺りの地形を地図のそれと照合し、歩いた距離から裏付けをとって、どうやらここが中険業峠であろうという地点を特定しました。ばんざーい! ここが古峠の次に開かれて、二本杉峠の開通まで人々の旅に供された峠なんですね。前回の古峠探索に続いてすばらしい成果です。感無量とは。、このことを言うのでしょう。もう胸がいっぱいでありました。
ここがいにしえの中険業峠のようです
幻の石標
さて、この西に中険業峰があるそうです。そしてその頂には、「御料地」という石標が立っているそうです。さあ、これからその石標を探すことにしましょう。
獣の足跡に自分のそれを重ねるようにして西に進みますと、まもなく辺りはなだらかなピークになります。どうやらここが中険業峰のようです。
宮内庁によって立てられたという石標は、どこにあるのでしょうか。ここが一番高いよなあ〜、という所に見当をつけて、あちこち探しました。倒木の下に埋もれているかもしれないと木を起こしたり、雪の下の落ち葉に埋もれているかもしれないと雪を掘り返したりしました。が…、どこをどう探しても、石標は見つかりません。
しかたなく峠まで降り、荻さんが伊東市の佐藤さんに直接電話をして、その在処を尋ねてくれました。そのお話によると、やはり一番高い地点にあるというのです。
それで再び頂上に戻って、探しました。が、やはり結果は同じ。私の感じによると、どうも何か大切なことを見落としているような気がします。それが何かは分かりませんが、そうでもなければ、こんなに探しているのに見つからない訳はありません。
雪が溶けてからまた来ましょうか…、と荻さんと話し、中険業峠から林道分岐点を目指して下りることにしました。
中険業峯と思われるピーク 石標はどこに…?
崩れていた中険業歩道
峠からは南北に踏み跡があるはずなのですが、ちょっと見ただけでは分かりません。ここが本当に峠ならばそれがあるはずなのですが、内心、私は不安でありました。でも「とにかく下っていけば林道に出るはずです。」という荻さんの言葉に背を押され、沢筋を下ることにしました。
初めは何となく踏み跡が見て取れるように思いました。が、それもすぐに消え、沢を右岸に左岸にと渡りながら下るしかなくなりました。これはとても道とは言えません。きっと昔はやはり山肌を巻いて道がついていたに違いありません。
それにしても、この荒れようはどうでしょう。急斜面の細い沢を、おそらく大量の雨水が伝わって、深くえぐっています。とてもまともに辿ることはできません。荻さんは斜面を巻いて下っていきますが、あちらは山行に慣れているので、心配はありません。
滑落の恐怖と戦いながらひたすら下りていきますと、おお、これは打ち捨てられたワサビ田の跡ではありませんか。気の毒に、土石流によって一気に流されてしまったのでしょう。作業小屋まであるのに、復活不能と判断したのでしょうか…。
さてワサビ田跡からは、きちんとした道がついていました。それでも私には大変歩きにくく、谷川に落ちてしまわないかと足をがくがくさせ、へっぴり腰で歩きました。そんな私を見て、荻さんはきっと笑っていたに違いありません。
途中に、太郎杉の妹である「花子杉」があります。これもみごとな偉容を誇っていますね。目通しはどれくらいあるのでしょうか。
花子杉を見て感慨にふける荻さん
さて、ここまで来れば、もう確実に林道に出ます。分岐にある「中険業歩道」は、本当に中険業峠につながっていたのですね。

林道分岐点の様子です
今回の探索では中険業峰にあるという石標の存在が確認できませんでしたが、それを抜かしても、大きな成果がありました。なにしろ天城の秘密が1つ解き明かされたのですから…。
次回の天城探索は、ぜもう一度石標を探してみようと思います。だいたい所在の見当はつきました。それはどこかって?
報告をお楽しみに! |