葉

巨大石丁場跡に産業の盛衰を見る〜その1
探訪 2007年1月20日   
 
丁場ハンター現る!
 かつて建築材として用いられ、現在でも石塀などに見られる直方体の角石は、戦後間もなくまで、伊豆の特産品として大量に切り出されたという。

 切り出した土地の名を、石丁場という。それは江戸期から昭和まで長きに渡って稼働し、年間、実に数万本が関東方面やその他に出荷されたという。 遠くアメリカのワシントン独立記念公園に用いられているそれは、高馬から切り出された石であるとの調査報告が出ている。

 下田の石丁場については、各所で小規模なものは散見できるものの、規模の大きい丁場は山の薮や木立に隠され、私のように後から移り住んだ者にはその存在をうかがい知ることはできない。
 
 昨年、白浜の学習会で、佐々木先生と地元の方に敷根の石丁場に連れて行っていただいた。次々に現れる大小の石丁場。それはかつて各地の建築を支えた伊豆石を切り出す仕事が一大産業であったことを知る上で、十分な見学であった。
 しかし、敷根の石丁場は伊豆南部の大規模丁場のほんの一部であり、まだ他にも巨大丁場跡が存在するという。それは現在、土地の古老や所有者、あるいは近隣に暮らす者、そして佐々木先生のように研究している専門家だけが知るところになっているのが実情であろう。

 が、そんな中で、自らの勘と経験で、あるいは古老の話を聞いて山を探し歩き、巨大丁場を探し当てては果敢に潜入を試みるという“丁場ハンター”が実在することが判明した!

いざ、丸山へ
 仮にその丁場ハンターをS川隊長と呼ぼう。

 隊長の招集令状によって集められたのは、磯崎氏と私を含めて4人。他にどんな方々が来られるのかと思っていたら、何と、M田女史、M山氏である。あらら、お二人とも顔見知りの方々だ。世の中狭い。いや、隊長の顔が広いのか。この隊員で丸山の丁場を攻略する。後の南伊豆の丁場探索時には、他にどんなメンバーが集まるのだろう。
 しかし、丸山の石丁場なら、以前、佐々木先生や某村山氏と行ったことがある。それもかなりの規模を誇っていたが、それに匹敵する丁場があるというのだろうか。

 そういえば佐々木先生は先日、「実は下田で一、二を争う大きな石丁場をまだ紹介してないんだよ。」と仰っていた。隊長が連れて行ってくれるという石丁場は、もしかして佐々木先生の仰る丁場のことなのか。それならきっと大きいに違いない。私はまだ見ぬ丁場跡を前にして、心がはやるのをおさえることができなかった。
 
潜入せよ!
 集合は午前8時に県下田S合庁舎である。ところが、ちょうどこの日は次女が三島市でセンター試験を受ける日だった。「8時に待ち合わせを…。」とかみさんに伝えると、「またふらふら遊び歩いて!」と激怒された。しかたなく集合場所に足を運び、隊長以下、隊員の皆さんにご挨拶申し上げ、一旦帰宅。 午前9時に、娘と、付き添いで同行するかみさんを車で下田駅に送った。後の合流は磯氏と携帯で連絡を取り合うということにしたが、うまく合流できるだろうか。
 午前9時。駅からそのまま庁舎へ行くと、何とドンピシャ、みんながいる。聞くと、先に寝姿山の秘密のト○ネルを見てきたという。丁場はこれから行くというので、ラッキーであった。

 さあ、準備は整った。次女のセンター試験成功を祈りつつ、市道を丸山の方へ上がっていく。途中で資材置き場になっている丁場への道と分かれ、左に入る。おお、こっちだったんだ。下田に住んでいながら、下田の山のことはほとんど知らない私。隊員失格だな。


  わくわくドキドキしながら歩いていく

 やがて道は資材置き場となって一応の行き止まりとなる。その右、わずかな山肌の隙間に隊長は入っていく。そして人の背より高い、険しい崖を登って私達を呼ぶではないか。 この時、今回の任務がかなり危険なものであることにようやく気づいた。が、時既に遅かった…。


  おお、こんな所に資材置き場が  知らなかった


      この奥に石丁場が?! 意外な所だ  

 しかしその恐怖は、やがて巨大石丁場を目の当たりにして打ち震える隊員たちにはある種の高揚感を持って快感に変わった。まさかこれほどの丁場がまだ知られずに眠っていたとは!


    深い! 石を切り出した箇所の高低差は、ゆうに30mはある


          見上げるような高さだ これほどの規模とは…


    ここにもたくさんのコウモリ男爵が


           この部屋は弾薬庫? 


       「よーし、次行くぞ!」の隊長の声が丁場に響く  ひえ〜っ!

シイタケ殺人事件!?
 しかし丁場はここだけではなかった。隊長はなおも次の指令を出し、隊員を奥地に赴かせた。しかしそこには恐るべきトラップが仕掛けられていた。(隊長、知っていたんですか〜?)
 クヌギの倒木を乗り越える時、その枝に自然のものを偽装したシイタケが生えていた。そのシイタケに気を取られたM田女史がクヌギの枝に足を挟まれ、脱出不能になったのだ。
 このままでは寒さと飢えで命が危ない! と、女史を助けたのは、後続の磯氏であった。 磯崎氏、偉い!
 無事助け出され、「危うくシイタケ殺人事件になるところだった…。」とつぶやくM田女史。 私はこのシイタケが怪しい! と思ってポケットに採取。後に帰宅してラーメンに入れて食したが、異状は認められなかった。毒キノコでなくてよかった…。


   倒木がトラップになっている! 救出されたM女史と、悪いシイタケを退治する磯氏

潜入作戦敢行
 奥の丁場には、そう簡単に入ることはできなかった。隊長は用意してきたロープを傍らの木にくくりつけ、丁場に垂らした。このロープで下降開始!ひぇ〜、体重増加中の身にはきついよ〜。 メタボリックシンドロームを心配する以前に、こうして野外活動ができなくなっていること自体が問題だな。

 見上げると、はるか天上にそびえるようなオーバーハングが私達を圧倒している。まるで天空の城ラピュタが降臨したかのようだ。


            ラピュタの城が下りてきたかのようだ

横たわる影
 これから丁場に足を踏み入れようという、まさにその時、M女史が悲鳴を上げた。何と、先に潜入した隊長が、「ニャンコが息絶えてその体を横たえている。」と言う。何〜っ、ニャンコが?! 
 しかしそれはタヌキであった。丁場跡に落ちて逃げ道が探せず、息絶えたのだろうか。 哀れなタヌキは、ただの毛皮となって黒い影を横たえていた。救い出したかったけど…、ゴメンね。


       この巨大な空間には、中央右のロープを伝って下りてきた


        画像では見えないが、坑材を打ち込んだ穴や、石工の書いたらしき落書きがある

火薬庫?
 こちらの丁場は、先のそれよりも深く、大きい。2カ所、石を組んで壁を作った石室がある。石切職人たちは、なぜこのような隔離部屋を作ったのだろうか。隊長の判断によると、ここを弾薬庫として使っていたのだろう、ということだ。石を大まかに崩す時に爆薬を使ったのだろうか。


         地下部分にはいくつかの石室がある


         それにしてもこの規模には、絶句してしまう

脱出
 さて、ここでの任務を終えた一行は、脱出を試みることにした。行く時は難いが、帰りは易い。しかし気を緩めることはできない。 ロープを握る手に力が入る。

 一人の落伍者もなく無事に第一指令を全うした一行は、その足で背後にある丸山の丁場に行った。何だ、資材置き場となっている丁場は、すぐ裏だったんだ。


      すぐ裏に丸山の丁場がある 行こう!


      画像左手から来た  ここで「ある看板」を探したのだが、見つけられなかった


        廃材捨て場になっている丁場跡

 こちらには、石肌に「丸八丁場」と彫られている。所有者を示す証らしい。しかし資材や廃材が無造作に捨てられているのには残念な気持ちを禁じ得ない。歴史を物語る産業遺産なのに、何たる扱いか…。ま、私有地なら何も言えないが。

次なる指令
 さて、第一指令は完遂した。次なる指令は、「南伊豆のヤオハンに各自移動し、別隊と合流後、上賀茂の丁場を攻略せよ」である。新たな隊員とは、誰であろう。そして上賀茂の丁場とは、どんな規模なのか。次号を待て!
                                             
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