葉

潜入! 上賀茂の地下巨大石丁場
潜入 2007年1月14日
 
警告!
石丁場に立ち入ることは大きな危険を伴います
特に今回レポートした丁場は地下迷路になっている上、
地底湖への落とし穴もあります
絶対に単独での探索をしてはいけません!
(まして無断立ち入りだし…)
  
 
再集結せよ!
 丸山の石丁場を攻略した後、 「下賀茂のヤオハンにて非常食を購入し、再び集結せよ!」の命を受けた我々隊員は南伊豆に向かい、民間人のごった返すヤオハン店内のお総菜コーナーで弁当を徴用した。

 さて、新たなメンバーとはどんな猛者なのだろう。そういえばさっきから店内を不審な人物が闊歩している。ヤツか、奴らなのか!?

 そう、その通り、誰がメンバーなのか、実はすぐに分かった。お互い、リュックに帽子、長靴などを身につけ、脳天気に微笑んでいるからだ。もはや隊長に紹介されるまでもない。

「石丁場探索ですか?」 「いかにも!」 
「あれ〜、どこかでお会いしたような…。」 「あっ!!!」

そう、新たな隊員とは、元旦の八丁池初日の出ツアーで一緒だった、照姉さんと、K藤氏だったのだ。何と、何と〜っ! 再開を喜ぶ私達。 さらに、K藤氏の近くに居を構えるというDavid氏が加わり、ここに隊長以下8人(S川隊長、K藤氏、照姉さん、David氏、M田女史、M山氏、磯崎氏、私)の石丁場探索隊が結成された。

山中行軍開始!
 車を上賀茂の某空きスペースに置き、山に入る。ん? 隊長はどんなルートで私達を引率していくつもりなのだろう。こんな山の上の方にトロ線のある石丁場があるというのだろうか。



 山に踏入り、尾根を少し上がってから斜面をトラバースする。そうこうするうちに、大小の石丁場が次々を現れる。南伊豆はこんなに石丁場の多い地域だったんだ。目から鱗が落ちる思いである。



線路のある石丁場
 訝しく思いながらも、ひいひい言いながら着いていく。小雨はいっこうに止む気配がない。そうして山の中を30分も彷徨っただろうか。

 と、かなり下降したな、と思った地点で、突如、屋根の骨組みを残した作業所が下に見えた。赤茶色に錆びた多量の機械類が放置されている。 こ、これは!?


              下降開始〜! 

 これはかつてKAZU氏が単独で探索し、我が掲示板に投稿してくれた画像の場所であろうか。 隊員同士、手を取り合って崖を下り、作業所後に降り立つ。おびただしい量の大きなモーター、歯車、ウインチ、回転鋸などが、はるか昔にその唸りを止めて佇んでいる。









潜入せよ!
 そして、奥には、太いレールが数本、落盤を支える目的だろうか、丁場の跡に差し込まれている。



 しかし、あれれ? そこはごく浅く、とても奥に丁場が広がっているようには見えない。 機械類はたくさんあるとは言っても、こんな小さな丁場に隊長は我々を連れてきたかったのだろうか?

 が、戸惑う私達を促し、「荷物は次に入る者に託して、後から落としてもらうように!」と、隊長が次なる行動に出た。へっ!?

 何と、こんな穴から? と思われる坑口に、隊長自ら身を沈めたのだ! どうなる、私達!?



 半ばゴミ捨て場となっている坑口は、斜面を持って私達を迎えた。それはうむを言わさず、するすると私達を地底の奥へといざなったのだ。

地の底にて
 「まあ、狭いのは始めのうちだけだからさあ。」と、隊長の心強い言葉が闇に響く。本当のこの狭苦しい空間がやがて広がるというのだろうか。

 しかし、そんな心配を吹き飛ばすような驚くべき光景が、次々とフラッシュライトの先に浮かび上がってきた。



レ、レールだ! そしてトロッコも! 狂喜する磯崎氏。私も興奮を抑えることができない。まさに我が目を疑う遺物の数々が私達を静かに迎えていたのだ。


       うひょひょ〜、嬉しさで足が震えて動かないよ〜、の磯崎氏

 闇に延びるレール、広がる空間、そして墓標のように立ち並ぶ無数の角石…。ついさっきまで石工達が働いていたような感じだ。 しかしそれらは皆、一様に沈黙し、数十年の止まった時を示している。


     枕木は木製ではなく、レールに溶接された金属のそれである

先住者、発見さる!
 しかしこの深い地底にも、信じられないが先住者がいた! 入り口より約50mの地点に達した時、先に進入した隊長の目前で赤い目が光った。 すわ、ここで、一大捕り物が展開するのか?! しかし突然の珍入者に驚いた彼らの方が静かに闇の奥へ消えた。 (ああ、びっくりした。 獣の亡霊ではないよね。現に生きている生き物だよね!)


     タヌキか、はたまたハクビシンか…。どうやらファミリーのようである

 さらに歩を進める。途中、朽ちた支保工が黒くなって倒れているところはさすがに恐かった。支保工があるということは、地盤が弱いのだ。崩れないでよな〜。

 また、かなりの量の湧水が落ちている箇所があった。トタンを置いて水を受けているので、「カンカンカンカン・・・」と大きな音が響いている。まるでそこに地底河川が流れているかのようだ。

 そうこうして、もう50mは進んだだろう。奥に進むうちに、左右に分かれた枝道や、放置された工作機械が見られた。 まるで、ディズニーランドのアトラクションに乗って、レールの上を走りながら次々と現れるいろいろな仕掛けを見ているようだ。


        なおもレールは奥へと延びる

 途中、垂れ下がっているケーブルに引っかかりながらも奥へ進む。 (後ほど坑内からでた皆の上着が、片方だけ赤茶色に汚れていた。きっとこのケーブルについていた錆が付着したのだろう。) と、トロ線の延長上に丸い円盤があった。

「ターンテーブルだ!」と誰かが叫ぶ。 ほほう、なかなか風情があるではないか。 このターンテーブルの上でいったい何台のトロッコが何度向きを変えて重い石を運んだのだろう。 ちょいワクワクしてしまった。




 このターンテーブルを過ぎた辺りで線路の延長は終焉を迎えていた。 入り口からざっと100mはあるだろう。石室はなおも奥に展開している。いったいどこまでこの地下丁場は続いているのだろう。

 そしてこのウインチである。 隊長の情報によると、この石丁場は、江戸期の丁場を昭和になってさらに掘り進めたものだという。 一つの機械が石工何人分の働きをしたのだろうか。
 江戸期に入坑して働いていた石工や人夫の数に比べて、機械化が進んだ昭和期のそれはけっして多くはなかっただろう、というのが隊長の見解だ。 が、そんな思いを巡らす私などこれっぽっちも意に介さないように、目の前では石を切り出すことによってできた黒い空間と地底湖が大きな口を開けていた。


      幾重にも重なったワイヤーが丁場の深さを物語る

 しかしここで問題が発生した。地下丁場は地熱のためか、外よりも温かい。湿度もかなり高いようだ。そのことによって、デジカメのレンズが曇ってしまったのだ。 レンズの表を拭いても、曇りは全くとれない。どうやらレンズの中が結露したようだ。安いデジカメが安く売られている理由だ。 ここで掲載している丁場内部の写真は、そうした理由からしかたなく隊長の厚意に甘えてお借りしたものである。

 それにしても不思議だ。どの設備も、いや、この巨大石丁場全体が、作業の途中でいきなり放置されたような印象を与える。 これほどの重量物をこんな風に放置したままでもよいものなのだろうか。 それとも急な倒産によって事後処理ができないまま人々が去ったのだろうか。謎は大きい。



切り出しておきながら運び出されなかった無数の石は、まるで物言わぬ墓標のようであった。


   石工や人夫たちの無念の声が闇の奥から聞こえてくるようである

単独行動厳禁なり
 内部は枝道がいくつもあり、不用意に入り込むと、迷ってしまう。 おそらく枝道を合わせた坑道の総延長は、数千mに達するだろう。 決してメインルートに敷かれたレールを見失ってはいけない。 隊長もかつて2人でここに来た時、迷ったことがあるそうだ。 その時は仕方なく五感を研ぎ澄ませて風の流れを感じ取り、運良く入坑時とは違う出口を見つけて脱出したという。 恐るべし、隊長! じゃない、恐るべし! 地底巨大石丁場! である。

蒼き地底湖
 レールの終点付近には、いくつもの大きな石室がある。石室と言っても、石を切り出した跡が大きな部屋のようになっているのだ。 隊長の持つ大光量フラッシュによって照らし出されたそこには、蒼き水が深く湛えられていた。


      こんな大量の水がどこから湧いているというのだろう

と、気がつくと、奇妙な落書きが壁面にあった。 いつ頃書かれたものであろうか。



拡大してみる。



 「 紺屋 一筆申し上げます ホリャー サ バクチガ スキハ イヅ石 トラ ・ ・ 」 と読めるのだが、意味が分からない。 石工の口上だろうか?

 他にも、通路の脇に作業員と思われる数名の名を彫った跡が認められた。 



 おお、ようやくデジカメが丁場内部の温度と均衡が取れたらしく、撮影可能となった(でもそれは後で分かったことだ…)。

 およそ内部を見た後、信じられないことに隊長は「ここにて昼食を摂る!」と宣言した。 まさかこんな所で、と思っていた私は、レールの上に腰を下ろしたものの、ろくろく食べ物が喉を通らなかった。 (ほかのみんなは平気だったのかなあ…)


      レールのポイント部  私はここに腰を下ろして昼食を・・・


 地底人の昼食風景

 昼食の後、K藤氏の提案で、皆が持っている灯りを一斉に消してみよう、という試みをした。

「いくよ。 せえのおで・・・、はいっ!」

パチッ!(灯りを消す音)

「うわあ〜っ!」

 これは「闇」なんていうものではない。目の前から一切の空間がなくなった感じだ。しかもそれが体にべったりとまとわりついて、息苦しさすら覚える。 真っ暗闇というものがこんなに恐いものだとは思わなかった。

再び地上へ
 さて、もう地底に2時間はいたであろうか。隊長も隊員達も平然として枝道探索をしているが、私にはもうこの閉塞感は限界に近い。 「さて、そろそろ帰るか。」の隊長のひと言にほっと胸をなで下ろした。

 出口である。帰路は、往路よりも短かった。



 何度か斜面を滑りながら、這々の体で地底からはい出した。 外の空気の何と旨いこと。 無事に生還できたことを天に感謝したことはいうまでもない。

次なるターゲット
 しかし隊長の野望はここまでではなかった。さらに山中行軍を続けることにより、我々を別の石丁場へといざなうのであった。  足元には、まだレールが落ち葉の中から顔を覗かせていた。









地底丁場から脱出したその足で、我々は再び山中の人となった。歩く、歩く。薮を掻き分け、ひたすら歩く。
  


そして次なる丁場に到着した。



地底大浴場へようこそ
 次なる丁場に入るのはたやすかった。しかしやはりそこにも地下部分があり、入り組んだ通路を経て私達が見たものは、巨大地下浴場だった。


          ごていねいに奥には酒瓶まで置いてある


         しかも浴槽の中央には石のモニュメントが…

 あ、でもこちらの浴槽に入ったら、二度と出ることはできないな…。(恐)


       落ちたら這い上がることは不可能であろう

山神様か
 山中を彷徨う途中、麓の一角にこうした立派な祭祀史跡があった。丁場で財をなした地主が建てた山神様だろう、というのが隊長やM女史の見解だ。なるほど、他所では見られないほど大型の石祠が鎮座している。地元ではどのように伝えられているのだろうか。



そして今回最後に見る石丁場に辿り着いた。



 ここの丁場は内部に風呂桶状の石桶が設えてある。 うわさでは、これはかつて火葬場として用いられた石棺であるということだ。



無住のお寺は今
 下山すると、そこはお寺の裏だった。下から我々のことを訝しげな眼差しで見守る男性が上がってきた。
 「歴史的史跡の見学に来ました。」と任務を明らかにして挨拶をすると、男性は思いの外好意的に私達を迎えてくれて、お寺の話などをいろいろ聞かせてくれるのであった。
     立派な本堂と鐘楼を持つ寺である    「私は週2回来て管理をしているんだよ、ひひひ」

任務完了!
 この寺の管理を任されているという男性の話を聞き、さらなる町場の存在に関する情報を仕入れたことで、我々の今回の任務は完了した。 この寺もやはり石丁場を背負った場所にあるだけに、そこかしこに石造りの設備がある。「今でもよそからいい石を求めて彫刻家なんかが訪ねてくるよ。」という男性の言葉にも大いに頷けるのであった。

 下田や南伊豆から切り出された石は建築材として大いに活躍し、伊豆の産業として興隆を極めたが、やがてコンクリートに押されてすっかりその地位と役目を終えてしまった。巨大石丁場跡は、その人々の生活と経済を支えてきた一大産業の栄枯盛衰を私達に示す、まさに歴史の証人だったのだ。
                                             
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