葉

西本郷から高馬へ
今すぐ行ける身近な古道
探訪2001年8月18日   
 西本郷−高馬地図

 今回は、町に近い古道を紹介します。買い物に出かけた折りにちょっと寄ることができる道です。散歩にもよいかもしれません。
 西本郷や高馬に新道ができる前、あるいは区画整理がなされる前には、もちろん古い道がありました。大部分は宅地や工場や新道にとってかわられてしまいましたが、今でも名残は残っています。
 下田駅の方から西本郷の通りを北に進むことにしましょう。本来の道は、バス通りより西側を通っていたそうです。ネッツトヨタの角を西に入りますと、小山田公園があります。その辺りが古道だったようです。向かいの本郷公民館の北東に、廻国供養塔があります。少し風化が進んでいますが、表に「奉納大乗妙典供養□ 國家安穏 寛政八歳□春 願主善智」と読める銘があります。そして左側面に、何とお地蔵様が彫ってあります。これは珍しいです。ちょうど隣のお宅のおばあさんがおられたので、「この石塔はどんな由来があるのですか?」と伺いますと、「これは、安政の大津波の時に亡くなった人を供養する塔ですよ。あの地震の時には、この辺りまで船が打ち寄せられたそうですよ。」と教えてくれました。ただし、寛政八年は1796年で、安政の大津波は嘉永七年・1854年ですから、供養塔の意味合いは後から土地の人々によってつけられたのではないでしょうか。

廻国供養塔

 さて、お地蔵様に手を合わせ、一度公園の角まで戻ってから高馬方面に進みましょう。
 本郷橋の袂から150mほど行きますと、「稲荷前」というバス停があります。そこを左に入って、道なりに行きましょう。そこはもう古道です。


    古道は、バス停「稲荷前」から入ります


      山裾に向かってのびる古道

 道が山のふもとに迫って高くなったところの山側に、いくつかの石仏や石塔が集められています。
資料によりますと、石塔は、文化四年(1807年)八月吉日に諸国観音巡拝を記念して土地の人がて立てた供養塔で、「奉納 秩父西国板東 観世音菩薩供養塔」「維時文化四年丁卯天 八月吉日 豆州賀茂郡本郷村 願主治五七」と彫られているそうです。
 ほかには、天明五年(1785年)に立てられたお地蔵様と、年代不明の如意輪観音などだそうです。
 ここで珍しいのは、双体道祖神があることです。道祖神の研究家である吉川静雄氏がその著書の中で「伊豆には双体道祖神が少ない。」と書いています。それがこんなところにあるなんて…。吉川先生はご存じだったのでしょうか。
 

       如意輪観音・仏頭・地蔵・供養塔・双体神

 石仏群のある角を曲がると、古道と新道が遠望できるところがあります。時の流れを感じる景色ですね。


           道の風景「古道と新道」

 さて、そのまま歩いていきますと、じきに民家の庭にお地蔵様が見えてきます。そうしたら、いったん道の下をのぞいてみてください。道沿いの家の裏に、大きな宝篋印塔が見えるはずです。こちらは後でゆっくり見ることにしましょう。


        水上安全祈願のお地蔵様

 お地蔵様は、高さが1mちょっと。文政五年(1822年)に水上安全を願って立てられたそうです。この日はお盆あとのためでしょう、真新しい、赤いずきんを着せてありました。

 このお地蔵様のところで、道は新道と合流します。車道に下りて少し戻ってみましょう。さっき上から見た宝篋印塔が間近に見られます。高さは2mあるそうで、かなり大きな塔です。重厚な感じ、といえばよいでしょうか。立てられたのは室町時代だそうで、土地では「傾城塚(けいせいづか)」と呼ばれているそうです。
 すぐ隣には小さな石塔とお地蔵様が立っています。また、この辺りに「ゆく道もあかるし雪の一人旅 是月」と彫られた歌碑(文政2年・1819年)が建っているそうなのですが、今回は分かりませんでした。去年は場所が分かったのですが…。


           傾城塚と石塔と地蔵様

 さて、今回の古道探索はここまでです。15分間もあれば歩けるでしょう。でもちょっと古道の雰囲気を味わうにはよいコースだと思います。ここから車道をさらに歩いていきますと、高馬の反射炉跡(ただその名のバス停があるだけ)や地蔵様、竹麻神社などがありますので、足を伸ばすのもよいですよ。
                                             
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