葉

高根山から七曲がり峠へ 〜その2
探訪 2007年1月14日   
 
陥没地と坑口
 さて、高根鉱山である。 いや、ここはむしろ河津鉱山白浜鉱区かもしれない。

 寝姿山遊歩道のある地点に、陥没地がある。


          遊歩道のすぐ脇が陥没している


          縦坑だ、という人もいるが、陥没地だろう

 今日、見たかったもう一つのものは、この陥没地の近くにあるという坑道である。
 白浜の会のS々木さんの話によると、この陥没穴は白浜鉱山の縦坑であり、これに通じる坑道がその下方の水源地の奥にあるという。

 道下はアオキの茂った薮である。が、水源地はすぐに見つかった。


      この水源地のパイプはどこに導かれているのだろう


    水源から白浜側に道が続いているが、かつてのトロ道だろうか?

 ひょっとしてこの沢を遡ると先のソリがあった小屋に辿り着くのではないだろうか。

 しかし坑口らしきものは、ない。と、水源の北側にクローラ道がある。そちらだろうか。そこで、行ってみることにした。
 道跡ははっきりしており、なぜここにこんな道があるのだろう? と思うようなところだ。 が、道はずっと上まで延びているものの、坑口らしきものは見当たらない。そちらは諦めて、下りてまた探すことにした。しかし、やはり見つからない。

 さんざん探して、沢を少し下った時、狸か狢の穴を見つけた。


         タヌキかムジナの穴か? ごく小さい

 穴はごく小さいが、もしかしてどこかにつながっているかもしれない。しかしHPで紹介するには小さすぎるな…、と思っていたところ、その近くの奥にもう一つ、穴があるではないか。あ、あれなのか!?


      やっと見つけた坑口  陥没地の先、10mのところだ 灯台もと暗しであった


     陥没穴から流入した雨水が土砂を運び、埋めてしまったのだろう

 陥没地からどのくらい離れているのだろうか。そちらの方とはやや方向が違うようであるが、確かに坑口である。あちこち歩き回ったが、結局、陥没地を見て目と鼻の先にあったのだ。

 残念ながら土砂が流出して埋まっている。進入はできない。しかし陥没地とつながっていることは、ほぼ明らかである。

高根鉱山
 下田北高が旧制中学から新制高校に変わった頃、白浜の会の某氏は1年生として在籍していたという。
 当時は戦後の貧しい時代ではあったが、蛮カラというかのんびりしていたというか、今ではなかなかできないようなエピソードがあったようである。
 当時、白浜から北高に通っていた男子生徒は、諏訪の峠や七曲がり峠を越えて徒歩で通っていたそうだ。
 先輩の中には悪い人、いや面白い人がいて、下級生にわざと早引きをさせて、途中で畑から芋をかっぱらって芋鍋を作らせ、自分たちは鍋ができあがる頃に下校して、芋鍋に舌鼓を打つ、ということをしていたということだ。
 その芋鍋を作る場所が、高根鉱山のトロ線に屋根を掛けてあるところだったそうだ。つまり七曲がり峠の近くに鉱山とトロッコの線路があり、その線路のトロッコを収納したりスイッチバックしたりするところに屋根が掛けてあったというのだ。
 もちろん規模は小さいが、その話によると、トロッコを持つちょっとした鉱山があったということになる。

 寝姿山遊歩道から右に折れ、七曲がり峠を目指して歩く。 やがて左手に炭焼き窯の跡があり、その先に高根鉱山の坑口がある。


      寝姿山遊歩道から分岐して七曲がり峠方面を見る


          秘密の坑口

 坑口は石を組んで厳重に塞がれているが、近づくと生暖かい風が吹き出ている。どこかに通じているのだろう。ということは、かなり奥に深いのだろうか。

 デジカメをつけたモノポッドの脚を伸ばし、デジカメのセルフタイマーを10秒にセット。 坑口を塞いでいる岩の隙間に突っ込んで、内部を撮影した。レンズが湿気によって曇り、難儀したが、どうにか撮れたのが下の一枚である。


   坑口近くは広くなっており、そこから左右に分岐して奥に続いているようだ

 ただし、ここが「高根鉱山」という名であったかどうかは、分からない。この点は改めて検証して、分かり次第、訂正したいと思う。

七曲がり峠と秋葉神社跡
 鉱山跡からさらに歩を進めると、七曲がり峠に着く。右手の山の頂上には、かつて秋葉神社があった。今では礎石のみがその痕跡を示すのみであるが。
 その石鳥居の一部がまだ薮の中に立っている。そして土手の下に落ちている部分も見られる。秋葉神社は下の神明神社に合祀されたらしいが、遷祀するときに人々は鳥居を打ち捨てていったのだろうか。


 秋葉神社跡の石鳥居 この奥、100mほど山に登ると神社跡がある

寝小便地蔵様
 峠をそのまま下りると中村のトヨタカローラ下田店の近くに出る。峠を左(南)に行くと、丸山の石丁場方面につながるらしいが、その手前に、寝小便地蔵様がある。


   寝小便地蔵様 光背に銘はないが、つくばいに「暦」の字が読める

 いつもこのお地蔵様の写真を撮る時は逆光だ。冬しか来ないからだが、木漏れ日を直接デジカメのレンズに入るのを避けるのに気を遣う。
 かつては中村の人たちが子供達の寝小便が直るようにとここのお地蔵様にお参りをしたそうだが、今は道を歩く人もいないので、お参りする人は皆無だろう。お地蔵様は役目を終えてほっとしていることだろう。

七曲がりを行く
 峠からはつづら折りの山道が下っている。しかし倒木や崩落があるため、歩きにくい。竹の浸食も著しい。山は荒れている。
 畑の跡に踏み込んだり竹藪に入ったりして下る。かつてはここを村人や学生達が行き来し、山もきれいだったのだろう。


           道はひどく荒れている


         かつての畑は今、竹薮になっている

石丁場跡
 民家のあった跡だろうと思われる石垣が見られ始めると、左に石を切り出した跡がある。しかし規模はごく小さい。ここ中村には大小の石丁場がそれこそ無数にあり、かつては一大産業だったことが偲ばれる。しかし今は木々や薮に覆われ、あるいは民家の陰に隠れ、その実態をうかがい知ることは難しい。


         小さな石丁場の跡


       薮との格闘の末にようやく人家のあるところに出た


   まさに民家の裏だ が、回り道はある

帰着
 七曲がり峠を下って最初に辿り着くお宅には、猛犬がいる。今のところそのお宅の庭を通らないと市街地に出ないようだが、回り道もある。ここは猛犬君に気づかれないように、ひっそりと歩を進めるとしよう。
 
 帰宅したのは、出発して3時間後くらいだろうか。ちょっとは運動になったが、荷物が軽いので、負荷は少ない。もっと食事内容を考えて改善すると共に定期的に運動をしないといけないな。 
                                             
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