葉

諏訪から白浜へ
白浜の豆陽中学生が通学に使った学びの道
探訪2002年7月7日   
 
 これまで、豆陽中学生が通学に使った道を3つ(稲梓、大賀茂、七曲がり峠)紹介しましたが、今回はその第4回目、白浜の生徒さんが通った道を紹介します。
 私が北高に通っていた頃の生物の先生(すでにご退職)が、この道を通った最後の生徒であると伊豆新聞紙上で読んだことがあります。かの先生は、伊豆の野鳥の会のリーダーをされているそうで、その関係から新聞で紹介されていました。ですから、すでに通学路として利用されなくなって50年は経つでしょう。今は一部のハイカーかハンター、あるいは山仕事のおじいさんぐらいが利用している程度ではないでしょうか。
 この通学路については、白浜の郷土学習会の方にお話を伺ったことがあります。ちょうど五十数年前の学制の切り替え期に通学されていたというその方は、次のようなお話をしてくださいました。

「諏訪へ行く道は、中学への通学路でしたよ。板戸から来た仲間と長田から来た仲間が途中で合流して峠へ行くんです。豆陽中学の1年生は、朝、通学の仲間の先頭に立って、草の露を払っていくんですよ。朝露で草が濡れていますからね、後ろの上級生が露に濡れないようにするんです。まさに露払いですよ。だからズボンなんかがびしょびしょになる訳です。諏訪に下りますとね、“じゅうえもん”さん(屋号)という家で世話をしてくれていましてね、ここでわらじをぬいて、預けておいた杉げたに履き替えて学校に向かうんですよ。私は旧制中学の時代の豆陽中に入学して通っていたんですが、さあ卒業だと言う時になって制度が新制高校に切り替わりましてね。そのまま入学試験を受けたので、こんどは新高校1年生になったんです。だから同じ学校に6年間通ったことになります。高校1年生ですから、また露払いをやりましたよ。(笑)」
 
 さて、今回の出発地点は、稲生沢地区の河内地区、ハンディホームセンター近くの市道です。実は、ここから峠に入る諏訪地区に向かって、かつて橋があったそうなのです。(同じく、すぐ近くの向陽院から高根山登山道に向かっても橋が架かっていたようです。)古い地図や、稲生沢小学校にある古い航空写真で、それらの橋が確認することができます。


   ハンディ近くから峠方面を臨む

 さて、現在は橋がありませんので、いったん蓮台寺駅前の橋を渡って駅前を北に進み、100mほど進んで鉄道のガードをくぐります。すると諏訪と呼ばれる地区があります。ここの諏訪神社は土地の人々の信仰が厚く、秋のお祭りはかなり盛大に行われるようです。
 ガードをくぐって道なりに進んだ左に、供養塔があります。一見すると墓石のようですが、表に『明治七年 戌□夷則日建立 村田重右吉□』 『奉納 西國四國 秩父板東 □□供養塔』と刻銘があり、○の中に「重」の字が記された銘もあります。たぶん、この地に住む名士が各地の巡礼の旅を終えたところでこの供養塔を建てたのでしょう。当時の交通機関には、どのような手段があったのでしょうか。


         明治七年 廻国供養塔

 さあ、歩を進めましょう。民家がまばらになったところで徐々に左右の畑もなくなり、山道に入ります。雰囲気としては、いいですね。まさに古道という感じがします。


          古道の入り口

 ところがこの頃はすでに夏草が生い茂り、私は半ズボンで行ったことを悔やむこととなりました。おまけに雨上がりのためにヤブ蚊が多く、道の確認のためにちょっとでも立ち止まると、一斉攻撃を受けます。何しろ自分の周りに蚊柱が立つのですから…。

 しばらく歩きますと手作りの道しるべがあり、「左 高根山頂 右 白浜 道悪い」の表示があります。ははあ、これは高根山参道の途中にある道標につながってのかもしれません。高根山側から入るとすぐに道が消えてしまうのですが、こちらから行けば案外道が分かるかもしれません。次はぜひ行ってみることにします。


    「高根山頂 白浜(道悪い)」の表示あり

 道は、昼なお暗い森の中、南に向かって延びています。周りは鬱蒼とした檜や雑木が茂っていますので、太陽の光が分かりにくく、不安に駆られます。途中、東京電力の送電鉄塔に行く管理道があり、そちらを示すプラスチック製の道しるべがあります。そちらに入っていいところといけないところがあり、一度迷ってしまいました。また、沢に沿って登るようになっている分岐も、実は行き止まりになっていることがあり、下から登る難しさを感じます。やはり不案内な道は、知っている方から登ってアプローチし、峠から下る一方にした方が良さそうです。


       道の様子 暗いです

 さあ、もう鉄道ガードからここまでで40分は歩きました。道はつづらおりに登り、そろそろ空が明るくなってきました。そろそろ峠は近いのでしょうか。この日は帰りのことを考えて自転車を引いていきましたので、予想以上に時間がかかってしまいました。おまけに、足は自転車のスタンドにぶつかったり草で切ったりして血がにじんでいます。でもここまで来たら引き返す気にはなりません。引き返す勇気も大事なのですが、いざとなったら、自転車はここに置いて、後で取ることもできます。いいえ、新しい愛車をそんな目に遭わせることはできません。どんどん登っていくことにしましょう。

 そここうするうちに、おや、辺りが何だか記憶のある景色になってきました。峠でしょうか…? おお、まさに峠でした。お地蔵様もそこにおいででいらっしぃます。お正月と違って、何もお供え物はありませんでした。もう一つここに来る手前に、別のお地蔵様があると聞いたことがあるので探しながら来たのですが、とうとう見つかりませんでした。

           峠は切り通し                    天明二年(1782年)の銘あり 高さ50cmほど

 急な坂が続く道はここまでで、峠を越しますと、右は寝姿山ハイキングコース、左は高根山登山道につながります。それを示す道しるべが立っています。
 しかし、明治時代の地図を見ますと、ここからまっすぐ南に下りる道が記されています。確かに、そちらを見ますと暗い檜林の中に下りていく道があるようなのですが、怖くて下りる気になりません。この道の探索は、地元の方に聞いてからにすることにしましょう。

 この分岐を左に折れ、白浜に下ることにしました。まずは高根山の登山口を目指します。距離としては大したことはないのですが、夏草が生い茂り、歩きにくいことと言ったらありません。これは草刈りをしないといけませんね。しかし程なくして、急登の登山口に到着。ここから山頂までは、ふといロープをたどって登っていくのです。歩きにくいので、あまりお勧めはできません。ここから唯一、白浜の海が見えます。


       本日の相棒 MTBです

 さあ、このまま道を下ると白浜のいったいどこに出るのでしょうか。階段状の木道に難儀しながらも(自転車で行きましたので)、白浜側の高根山登山口に着きました。ここを通って豆陽中学生は通っていたのでしょうか? この地点でもかなり標高があります。おまけに道は右に左にくねっています。もしかしたら、人が歩くためのまっすぐ下りる道があったのかもしれません。これも地元の方に聞かなければ分かりませんね。
 道はどんどん下り、農道のようになって白浜の集落に入ります。途中で朽ちて放置された古いBMWを発見。これは昭和40年代の車ではないでしょうか。当時は外車の輸入が大変だったはず。天草で潤った白浜地区だからできたことでしょうか。


   古いBMW ノーズ部分に特徴があります

 そんなことを考えながら行きますと、やがて白浜小学校の校舎の屋根が見えました。ということは、この辺りは長田地区ということになるのでしょうか。ほぼ白浜地区の中心地ですね。なるほど、白浜−蓮台寺の通学路としては利用しやすかったかもしれません。
 さて道をどんどん下りますと、いきなり白浜プリンスの近くに出ました。目の前に国道が通っています。あっけなく下ってしまいました。


      白浜の国道に出ました

 この辺りには、昔、白浜中学校もあったそうです。今はトヨタの保養所が建っている場所です。あれっ、小学校はどこへ? どうやら学校の脇をかすめて下りてしまったようです。が、ここでそのまま帰ったのでは、物足りません。何か石造物を探したいものです。そこで、郵便局の前から細い市道に入りました。この道筋に、確かサイの神があると聞いていたのです。
 が、なかなかそれらしき祠はありません。自転車を押して登って行きますと、民宿「はやし」さんの前に道におじいさんがおられます。さっそく伺ってみますと、「サイの神だったら、ほらあの向こうのこんもりとした木の下にあるよ。神様って言ったって、ただ祠があるだけさ。あんたは何か調査で来ているのかい? え、趣味? ほうー。自転車で行くなら、あの部屋荘の角まで下って、細い道に入って進めば着くよ。昔はどんどん焼きと言って、その前で正月の飾りを燃やし、団子を焼いて食べたものだったが、今ではやらなくなったよ。」と教えてくれました。


   長田のサイの神 祠自体は新しいようです

 これで今回の探索は終わりですが、白浜から諏訪の峠に合流する道は3本ほどあったように古い地図にあります。諏訪の峠の南には、かの寝小便地蔵様がある「七曲がり峠」があります。峠道が通学路として使われなくなったのは、ほかの市道が整備され、自転車が徐々に普及してきたためだそうです。もっとも、戦時中はタイヤが配給制だったそうで、条件は厳しかったようです。

 帰りは自転車で市道白浜ー下田線を行きました。白浜には、ぜひ見てみたい石造物がたくさんあります。日詰の墓、サイの神、その他の神様…。なかなか資料が手に入りませんし、歩き回る機会もないので実現はしていませんが、いずれゆっくり探し回ってみたいものです。そうそう、帰りの切り通しのところで、古い石造りの倉庫がありました。これは伊豆石を使って建てられているのでしょうか。白浜には(下田市街にも)こんな石造りの倉庫がまだ散見できます。また、近くには知る人ぞ知る有名な甘味処もあります。ダイエット中でなければ寄ってみたいところですが、ぐっと我慢しました。

          切り通しと伊豆石の倉庫                  いつか寄ってみたい甘味所

 さあ、パソコンも直ったし、夏休みに休暇を取り、次はどこに行きましょうか。東浦路か下田街道かな。楽しみはつきません。
                                             
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