葉

宗太郎園地から河津七滝へ  
探訪2002年10月5日
宗太郎園地
 
この日はまだ晩夏といった季節でしたので、宗太郎園地の東屋は雑草に囲まれており、丸太椅子に腰を下ろす気になれませんでした。だらだらと続く下り道に足は重くなっていたのですが、言葉を交わすハイカーはいないし、足の多い虫も苦手なので、そのまま歩き続けることにしました。
 
 宗太郎園地には、樹齢百年以上の立派な杉が群生しています。これらの杉は、江戸時代に幕府の直轄地となっていたこの地の杉を地元の人たちが伐採する際に、杉を搬出した御礼にと植えた「御礼杉」の苗が育ってできた森です。太い幹の杉が立ち並ぶ間を真っ直ぐな林道が南に延びており、江戸時代の街道の様子をそのまま残しています。
 ところで、「園地」と聞くと何か遊園地でもありそうな響きですが、全くそんなことはなく、なだらかに広がる杉林と休憩用の東屋と水汲み場があるだけです。


             今にも殿様の乗った馬が走ってきそうです

 ここは時々、時代劇の舞台として使われます。新しいところですと、私の大好きな宮崎美子さんが出演した『雨あがる』のラストに近いシーンでも、殿様一行が馬を走らせていました。地元の人なら、一目でそれが分かるでしょう。自動車のつけた轍がちょっと写っていたのはご愛敬。当時も馬車は通っていたでしょうから、不自然ではありませぬ。

題目塔
 途中の大岩の上に、明治十年建立の題目塔が建っています。高さは1mほど。平成12年度下田市の中央公民館講座『この町のかたち』に参加して初めてこの道を歩いた時はこの念仏塔が見つからず、何度も行ったり来たりしたものです。結局その日は見つけることができず、みな首をひねりました。でもこの日はすぐに分かりました。何だか石造物に対する勘が冴えているようです。(ホント?)


          大岩の上の題目塔

地蔵菩薩供養塔
 次に現れる石造物は、道ばたの供養塔です。この塔は安永7年建立。側面にていねいな楷書で文章が彫り込んであり、読んでみると何となく意味が分かります。「東海道豆州賀茂郡天城山往還易旧路作新路唯到頂上往来衆無六道能化尊…」とあるのは、昔、天城の道を造った時に、旧道にあった地蔵様をこの場所に移した…、ということだそうです。でも、地蔵様はありません。「能化尊」という語が出てくるのは、二本杉峠に六趣能化尊があるのと関連があるのでしょうか。画像は、振り返って撮ったところです。


             地蔵菩薩供養塔

 杉並木の真っ直ぐな道を過ぎると、道は舗装路になります。右手では河津川の水が轟々と流れる音がしています。宗太郎園地では川幅もたいしたことがなかったのに、きっと、支流が合流しているので水量が増えているのでしょうね。

荒れ果てた下田街道「横引き」地区
 さて、宗太郎園地と中間業道との分岐から45分ほど歩きますと、道は3つに分かれます。左はすぐそばを通る国道バス停に行く車道。右は、急な階段を下りて七滝巡りへ行く道です。下田街道は、その七滝巡りに行く道を10mほど入ったところで真っ直ぐ進むように分岐し、緩やかに下っていきます。地元の皆さんは、この道を「横引き」と呼んでられるそうです。

 2年前につれてきて貰った時は、そちらには行かず、わざわざ急な遊歩道を入っていったので、なぜそうしたのか不思議だったのですが、今回、自分で未知の下田街道を歩いて、その訳が分かりました。本来の下田街道は、踏み跡さえありますが、ひどく荒れていて、廃道同然だったのです。まず、おびただしいビニル込みや粗大ゴミが散乱しており、景観が悪いです。道の両側には木の枝が張り出しており、歩きにくい事この上ありません。おまけにクモの巣は至る所に張っているし、雨に洗われて斜面が削られ、道幅が極端に狭いです。ただかすかな踏み跡と、道に平行して電柱が立っていることから、そこが道だと分かるのです。


       これが下田街道? 荒れ果てています。

 分岐から難儀して歩くこと15分。七滝巡りの遊歩道から来る水路の点検道と合流した時には、ほっと胸をなで下ろしました。

亡牛塔
 その合流点が梨本の河津七滝大駐車場上の集落の北端になるのですが、舗装路に出てすぐの左に、石造物群があります。その一番右の石柱が亡牛塔で、「如是畜生発菩提心 吉祥海雲亡牛塔 宝暦十三年六月十七日建」の刻銘があります。きっと仕事に使ってかわいがっていた牛が死んだのを供養するために立てたのでしょう。中央の二基は墓石だそうで、左の石塔は大日如来、その左が丸彫りの石仏です。この辺りに点在していた石塔を何かの機会に集め、祭壇を作って祀ったのでしょうね。


梨本三叉路の石造物群
 亡牛塔から歩くこと数分。右に七滝の大駐車場が見え隠れする頃になりますと、民家も多くなります。その先の三叉路の南側に石造物が並んでいます。やはりこの辺りにあった石造物を集めたようで、さまざまな神仏があります。刻銘や資料に寄りますと、「牛頭天王」「地蔵」「大日如来」などです。一番左の丸彫りのお地蔵様は、手に索を持っています。年の初めに疫病神を捕まえるという道祖神のような願いが込められているのでしょうか。
 また、浮彫単立像のお地蔵様の光背は道標となっており、「右天城街道 左山道 稲葉平七」という銘があります。ここから先、小鍋峠までの下田街道沿いには、実にたくさんの石造物があり、それらを探索すると楽しいです。私は密かにこのルートを「石造物街道」と呼んでいます。


         左から石塔・石仏・大日如来・廻国塔(中央)・道標銘・牛塔天王

 石造物群にそっと手を合わせ、三叉路南に下りますと、すぐに七滝の大駐車場に出ます。ベンチがあり食事やおみやげ物屋もありますので、休憩するのにはうってつけです。この日私はここにたどり着いたのがちょうど正午でしたので、おにぎりを食べ、250円也のソフトクリームを売店で買って一休みしました。でもちょっとソフトクリームは胃にもたれました。おいしかったのですが…。

 次回は、ここから河津七滝ループ橋の下を通って梨本に至る“石造物街道”をご案内します。石祠、大日如来、馬頭観音、道祖神…。石造物マニアにはたまらない魅力のある道だと思います。(そんな人いるのか?)
                                             
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