先に磯崎さんと白浜から縄地へ通じる東浦路を歩き、縄地金山の跡を探索した後で、帰路につきました。帰り際にお話を伺ったご婦人から「そこに鉱山住宅がありますよ。」と教えていただいたのです。が、その時は時間がなかったので、旧道を歩いて帰った私たち。でも、その住宅跡はすでに訪れていました。
かの地は所有者と管理者がはっきりしているので、本来は載せるべきでないのでしょうけど…、特別編ということで、自己の責任において載せます。これによって営利を目論むものではありませんので、削除依頼があれば即刻消します。
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もはや何も言いますまい。 かつてここを訪れた海さんの話によりますと、部屋の壁に「残念無念…」という落書きがあったそうです。昭和43年に鉱山が閉ざされた時に、ここを去る人が刻んだのでしょう。家族棟と思われるこの住宅には、子どもの持ち物や落書きが多数見られたのでした。酒瓶もたくさん落ちています。 きっと労働した後で酒を酌み交わしたんでしょうね。当時の隆盛ぶりは夢の後。 ここに暮らしていた人たちは、今どこにいるのでしょう。
ところで、皆さんは縄地金山にまつわる言い伝えをご存じでしょう。あの大久保長安が慶長時代に徳川幕府にそむいて大量の金を隠したという話…。 何でも、お寺の庭に植えてある木に日の出がかかるときに影の伸びる先を掘ると金塊を掘り当てられるとか…。
いえ、ここでお話しするのは違うことです。
この地はあちこちに坑道や空気抜きのための縦坑があり、やたらに山に入ると、それに落っこちて命を落とすというのです。
実際にここで発生した山火事を消すために消防団が招集されたものの、縦穴に落ちるのを懸念して誰も山に入らず、結局山火事は三日三晩燃え続けたとか…。
また、河津在勤時代には、こんな話も聞きました。
曰く、山芋掘りに出かけたおじいさんがいくら経っても帰ってこなかった話。
また、犬を連れて散歩に出かけたというおじいさんの、こんな話を聞いたことがあります。
「夕方、犬を連れて散歩にでかけたおじいさんがいた。鉱山の跡を歩いている時、犬が誤って縦坑に落ちてしまった。 穴を覗いてみても、底は見えない。 『くうん、くうん。』と声はするが、姿は見えない。もちろん深い穴なので、助ける術もない。仕方なくおじいさんは家に帰り、毎日犬に与えるエサや水を持って、穴に通った。見えない愛犬に向かって、餌を投げ入れ、水を流し込んだのだ。 そうしていた初めの頃は元気な犬の声が聞こえたが、そのうちその声は弱々しくなり、とうとう聞こえなくなってしまった。おじいさんは、悲嘆に暮れ、自宅に戻ったと…。」
ということです。 いかにも本当らしい話です。まったくなかった訳ではないでしょうね。今回ご紹介した縦穴にもそうした人や犬の亡骸が眠っているかもしれません。 あ、いえ、そんなことは決してないでしょう。あくまでフィクションということでご理解ください。
ところで、以前河津の林写真館にお邪魔した時、坑口の写真を撮って河津の絵はがきに載せたことがある、と伺いました。 発売元は郵便局だというので、すぐさま局に行ってみましたが、残念ながらストックはないそうで、今はその発行されたことを覚えている人さえ少なくなったそうです。 どこかに残っていないでしょうかねぇ、その絵はがき。。 ちなみに、撮ったのは、今回行った場所ではなく、江戸期に開かれた「大名坑」だそうです。
「大名坑」…、農協ストアーの後ろの竹藪の中にあるそうなのですが…。ぜひ行ってみたいものです。 |
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