葉

下大沢から相玉へ〜その2
探索 2008年3月23日   
 
峠を越えて
 そして再びやってきました。下大沢と相玉を隔てる、いえ、結ぶ峠です。



庚申様が早春の木漏れ日を浴びて輝いておられました。



“石頭さん”の背後に回り込むようにして、峠を越えます。ここから道はどのように相玉まで続いているのでしょうか。下り道であることは分かりますが、さて道自体が残っているのでしょうか。関心は尽きません。



歩き始める
 道は初め、杉林の中を等高線に沿うようにして続いていきます。



道、消える
 しかしすぐにアオキの木が左右に茂り始めました。と思うと、踏み跡が消えました。あれれ…。


           何だか道の先が怪しくなりました


                 うっ、道はどこへ?


                このアオキの薮をどう進む?


            赤い実だけが緑の中で色づいています

道は上に登っているのか下に降りているのか分からないのですが、同じような水平を保って歩いていきました。そしてアオキの茂る灌木地帯を無理矢理突破すると、道が復活しました。これなら行けそうです。


                まだアップダウンはありません 

この通り、杉林の中で明らかになった道が続いています。


                踏み跡は割とはっきりしています


            でも何だかちょっと道が細くなってきたような…

 左(北西)に下る斜面を道は進んでいます。一部に踏み跡が細くなったところがあり、あまり人が歩かない状況が見えます。もう何年も道作りをしていないのでしょう。


      んんん、何だか道が怪しくなってきました ここでいいの〜?

峠を出て10分ほど歩いた頃、目の前に窪んだ稜線が現れましました。小さな峠のようになっているようです。


                 峠に出たような感じです

 ここで峠を越えて向こう側へ歩いていきたくなりましたが、どうもたくさんの倒木が折り重なっており、荒れ果てた山しか見えません。


         道があるような、ないような… いえ、道はありません

杉木立の間から、遠く相玉の里が見えました。


            あ、あれは相玉の大正セントラルホテルの辺り

 峠を越えては行けないようなので、地図を見ました。すると、道はここで90度左に転回し、稜線を辿るようにして下っているようです。ここで進路を見誤ると大変です。“迷いの倒木地帯”に踏み込んで、泣きが入ることは間違いありません。挙げ句の果ては探索意欲を失い、失意のうちに帰路を探すことになるでしょう。

地図に従って、稜線を行くことにしました。10mほど行きますと、ちゃんと道がありました。


               道です こっちでよいのです


            手前から左に下り、右に曲がって降りています

 下り始めてすぐに、鼻の頭のようになった小高い丘があります。何か山神様でも祀りたくなるようなところですので、それらしいものがあるか探しました。しかし…、何もなかったです。祀った跡も見られませんでした。


         何かありそうでしたが、祠の残骸さえありませんでした

“鼻の頭”からは下り道になっています。辺りは杉の木立。でも花粉は飛散し終えたようで、花粉症の私にもつらくはありません。


            花粉は飛んでいないようでした ホッ

ご覧ください。この部分、道はU字形に窪んで、右から左へと下っています。


               明らかに道があります 嬉しいなー

 稜線が緩やかに幅を広げた辺りに、人工物がありました。脚立ですが、何に使ったのでしょうか。 その後、また稜線は幅が狭くなりました。道は明らかに残っており、私を相玉の里へと導いています。


                枝打ちの作業に使ったのかな

道はこのように尾根を行きますので、迷うことはないと思います。


                 U字形の窪みがそのまま道であります

 杉林を下りきると、今度は竹林の中を通ることになりました。風に揺られて竹同士がぶつかるのでしょう、時々「カコーン」と音が鳴っています。ちょっと恐いかも。


          竹藪の中を道は下っていきます 竹取物語を思い出します

 地形からしてしかたがないとはいえ、道は下る一方です。ということは、帰りはここを登ってくるんですね…。3月16日の30kmウォークで痛めた足はだいぶよくなっていますが、痛みはまだ残っています。今回はちょっと辛い探索になっています。

 道は細尾根を1本の線になったり、竹藪の中をつづら折りになったりして下っていきます。思いのほか多彩な表情を見せるこの道を、昔の人はどんな事情や思いを背負って行き来したのでしょうか。

峠から30分ほど下った頃、道が2つに分かれました。地図に記された道は右でしょうけど、では左へ行くとどこへ出るのでしょうか。


              おっと、左から合流する道があります

左から来る道の先を見ると、西に向かって開かれている様子が見えました。一体どこに通じているのでしょう。


          はっきりした道がついています どこへ行く道かな

 枝道のことは今後の課題にするとして、本道の先を追いましょう。雑木林と言うには成長しすぎた森の中を行きます。


             ちゃんと道がついています 安心します

こんな尾根道もあります。分かりやすい道になっていますね。




              迷うことはないでしょう、この道なら

 標高がだいぶ下がり、そろそろ里が近いような感じになってきました。
 すると道はU字型に窪んだ形になりました。と、もう一本、左側に平行して延びる道が現れたではありませんか。あれれ? 同じ道でしょうか。それとも分岐して他の洞につながる道でしょうか。


          左側に現れたもう一本の道 どちらが本当の道なのでしょう

今回、そちらの道の行く先は確かめませんでした。あるいは畑道かも知れませんが、 いずれ確かめてみることにしましょう。

 さて、道は傾斜がいよいよきつくなりました。里も近いと思います。 と、下の方にやや広くなった道が見えました。砂防ダム建設のためのクローラ道のような感じです。里に下りたのでしょうか。


          道の窪みが大きくなりました 里に近い感じです


            おお、クローラ道が見えました 里は近い!

その道まで降りて見回すと、おお、砂防ダムが見えます。


         人工物である金網が見えました その先には集落が!

え?あれは、相玉の神明神社ではありませんか。そうかー、ここに出るんだったんですね。


               相玉の神明神社ではありませんか

 私は、稲梓勤務時代の同僚の家がある蓮徳寺の洞に出るとばかり思っていたので、驚いてしまいました。地図を信用していなかったわけではありませんが、意外や意外、という思いでした。


           式内社と石標に書いてあります すごいかも

古道の出口はここです。道標なんぞはなかったのでしょうか。


               県道に出ました

県道に出て左右を見ました。おふくろまんじゅうのお店が200mほど先に見えます。買いに行きたかったのですが、ガマンしました。メタボ対策のため…。


           旨いおふくろまんじゅうの店が見えます

 神社裏の沢の対岸には、古い墓石がたくさん並んでいます。古くから人が住んできた土地であるようです。

 神社の石段まで来ますと、向かいのお宅に御主人がおられました。沢越しに神社の名前などを尋ねてみました。

「その神社の名前ですか。その石(鳥井脇にある石標です)に書いてあると思うけど、字がはっきりしなくて読めないからね…。

私らは普通に『お宮さん』と呼んでいますよ。一つの集落に一つの神社があるでしょ。それを特に○○神社とは呼ばないで、お宮さんと呼ぶんですよ。」

「あなたはどこから来たですか? え、本郷…。下大沢を越えてきたですか。それはそれは…。何でまたそんな道を歩いているんですか。変わった趣味ですね。」

「横川にあるお寺
(太梅寺ですね)には、大沢に結構檀家がいるそうですよ。峠を通って、行き来したんでしょうね。」

「今じゃ、その道を歩くのは猟師しかいないでしょう。時々、猟師が『犬がいなくなったよ。大沢にでも出ちゃったかな。』と言っています。」

道路脇に設置された標識には、このお宮さんを「相玉天神」と記してありました。


         天神様ですね 伊勢神宮系と思われます
   

    うーん、辛うじてところどころ読めるだけです


         神社の境内から見た相玉の景色です まだ春らしくないですね

下大沢の峠を出発して、40分ほどで相玉に着きました。人々はここから松崎往還を通って、箕作や松崎に行き来したのでしょう。下大沢から相玉への道は、今でも十分に歩けるように残っていました。惜しむらくは、今は猟師しか利用していないということです。下大沢の人たちも、もう通らないのでしょうか。淋しく思いました。

                                             
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