葉

 下田富士に登る
   探訪2002年9月21日  
 
 今まで、近くにありながらなかなか訪れることのなかった遠い山、下田富士に登ってきました。秋の遠足の目的地として子どもたちから行ってみたいという声があったので、下見に行ってきたのです。
 登山口(というより下田浅間神社の参道入り口)は、駅の西、ガソリンスタンドのある交差点です。伊豆石か、と思われる石段を登りますと、すぐ左に淡島明神が鎮座しています。これは、下田−大賀茂の古道沿いにある三猿さまの境内から、事情があって移されたそうです。女人の神様ということです。
 
       下田富士浅間神社参道入り口                  伊豆石の階段と鳥居

 さて、石段を登ること数分、中の段とも言える平らなところに、社があります。何と、その横には龍爪神社が並んでいるではありませんか! これは初めて知りました。もちろん静岡や松崎の龍爪さんと関連があるのでしょうね。調べてみる価値はありますね。境内は、今掃き清めたようにきれいになっています。何しろ竹箒の跡が残っているのですから。


      中腹の境内 左が龍爪神社

 社の裏に回ってさらに登ります。ここからは石段ではなく、山道を行くのです。どんどん標高は上がりますが、眺望は開けません。途中、東側が切り立った細い尾根を行くところがあります。落ちたら大変なことになりそうです。唯一、敷根方面が見えるところがありました。南に鍋田、北に大賀茂方面を望むことができます。山々の間に宅地が開けているのを見ますと、本当に伊豆は山と海の間に人々が住まっているんだなあ、と思います。



 さて、程なくして山頂に着きます。登り初めて20分もあればつくでしょう。山頂にはやはり鳥居と社があります。その社の隣に立て札があり、「その昔、ペリーが来航した時、乗組員がここに登り、傍らの木に『1854…』と落書きを彫り込んだ木があった…。」と記してあります。
  ペリー艦隊乗組員の落書きの史実を伝える立て札                       山頂の社

 山頂の広さはテニスコート半分もありません。傍らの石灯籠には、宝永(1704〜)の年号が読めます。かなり古い灯籠ですね。肝心の眺望の方ですが、山頂と言ってもほとんど下界を望むことはできません。昔はよく見えたかもしれませんが、今は雑木が鬱蒼と茂っています。
 今回の探訪は以上です。最後に、既にご存じでしょうが、下田富士の伝説について触れます。
「富士山と下田富士とは姉妹であった。しかし遠く離れていたため、妹である美しい富士山は、妹をよく見ようと思ってどんどん高くなっていった。一方、あまり美しくなかった妹の下田富士は、恥ずかしがって見られまいと身を低くした。それで姉妹でありながら高さが違ってしまった。」
 日本全国に「○○富士」という山が存在しているので、このような伝説は他にもあるかもしれませんね。


           寝姿山から望む下田富士
  
                                             
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