葉

白浜マンガン鉱山跡を探す
探索 2007年1月3日   
 
情報に感謝!
 サイトを開設していると、いろいろな識者の方々が目に留めてくれて、情報を寄せてくださる。ありがたいことである。

 ある日、ヤマセミ様が河津鉱山の絵葉書写真を掲示板に投稿してくださった。氏は、古い絵葉書の写真を通して下田市の歴史を見つめるというユニークな視点で研究を積んでおられる。その氏の正体は謎である(私もまだお会いしたことはない)が、その実は実行力に富む科学サイエンティスト、もとい、家庭菜園ティストであられるようだ。

 そのヤマセミ氏の資料をきっかけにして、自らの頭脳レーダーと足とであっという間に現地探索をしてしまうのが、KAZU氏である。お二人がそろえば鬼に金棒。私はこのところ、お二人の後を追って歩いているに過ぎない。

いざ出発
 1月3日、お二人の活動に触発された私は、正月休みにすっかり鈍ってしまった体にむち打ち、白浜マンガン鉱山の探索に出かけることにした。

 今回は、バイクや車と言った軟弱な移動手段は使わず、この足で歩いていくことにしよう。少しはカロリー摂取過多を改善しないと、命に関わる。

 出かけに、大事なものを居間に忘れた。デジカメだ。K子さんにとってもらおうと、靴を履いたまま膝で居間まで這っていって「デジカメ、取って。」頼むと、「ぎゃっ、不審者かと思った。」と、帽子とサングラスをつけた私に言った。おまけに「デジカメ? ええっと、あ、踏んじゃった。」と、その太い足で踏んづけてから取ってくれた。

 そこは一応礼を言って、出発した。まあ、セルフタイマーの使い方すら知らない持ち主では、それもしかたないか…。

峠を越えて
 寝姿橋を渡り、ハックドラッグを右に見て、総合庁舎の前を登っていく。ちらほらと見える石切場の跡や昭和30年代の香りがする住宅地をかすめ、市道を目指す。


  正面は寝姿山。 そこにもカリ鉱山跡があるという


  ヤマネコ発見、じゃなくて昼寝ネコでした


   丸山住宅から市道にいく間道。  ちょい不気味

 かつてはジムニーで上れたという間道をてくてく歩く。やがて赤間から来る市道に出る。

 峠の地蔵様には、ちゃんと新年のお飾りが供えてあった。


          文政年間に立てられたお地蔵様

 寝姿山から高根山へ行くハイキングコースが交差する地点で右折。寝姿山方面へと進む。風が強く、木々を揺らして淋しげな音を立てている。


          案内板のところを右に入る

 ここを歩くのは、久しぶりだ。(こんな所だったかなあ…。)と、昔の記憶を思い出しながら歩く。ここには、ぜひ今回確かめたいものがあるのだ。


        どこか淋しさの漂う道である

 と、5,6分歩くと、寝姿山林道に出てしまった。あれれれー? あれがないよ? 通り過ぎちゃったんだな。慌てて、来た道を戻る。あ、あった。これが見たかったのだ。


        明らかに坑口である



 昔、私はこれがゴミ捨ての穴かホームレスの人の住まいかと思っていた。寒さよけのブルーシート、断熱材代わりの発泡スチロール板、飲料水を溜めるペットボトル、そして酒瓶。
 しかし今、これが鉱山の試掘跡だとはっきり分かる。

 内部は浅いが、手前側にはっきりと通路が残っている。試掘にしてもある程度は鉱石を運び出したので、このように道を作ったのだろう。どこへ運び出したかは謎であるが…。

 それにしても、記憶ではもっと大きな穴だったはずだが…。いつの間にか想像をふくらませていたのだろうか。いわゆる「幻滅の錯覚」というものだろうか…。

 写真を撮り、再び寝姿山林道へ出て、市道側へと歩く。この北側斜面に、マンガン鉱山の施設があったのだ。はっきりした位置は分からないが、今日はその遺構を探し当て、この目で見るのだ。


       寝姿山林道の白浜側を見たところ

 寝姿山林道は、市道からしばらくはコンクリートで舗装されている。その舗装が途切れる辺りの下を覗くと、石を敷き詰めたもう一本の道が見える。かつて「あの道は鉱山の石を運ぶトロッコ道の跡だよ。」と聞いたことがある。ということは、その先を探せば鉱区に当たるはずである。


        今回はここを降りていった

降下開始
 トロ線跡だよ、と人に聞いた道の延長線上に見当をつけてガードレールを越え、降下を開始する。傾斜は30°ぐらいか。大きな岩や倒木、そして飛来ゴミの転がる森である。
 と、すぐに踏み跡らしきU字型の窪みが目に入った。これは、どこからか導かれた道ではないか?
 
 その先を辿っていくと、何やら大岩の下にありそうだ。倒木を避け、反対側から回り込むと、何とそこには坑口があった!


        これは坑口ではないか?!

あったたーっ! じゃない、あったあったーっ!

 しかしこれは試掘跡のようである。周囲には露頭が散見できるので、他に坑口がないか探してみたが、発見は叶わなかった。


       奥行きがごく浅い。 試掘跡であろう

 降下再開。斜めに獣道のような細い踏み跡がついているので、それを辿るようにして降りていく。風はますます強まり、木々を揺らして淋しく鳴る。

 そろそろ山の中腹かと思われる辺りで、道跡らしき水平なところに出た。これは一体何の跡だろう。

水平道に遭遇
 とりあえず西に向かって歩いてみる。そちらに行けば、寝姿山林道下にある道筋と通じると思ったからだ。

 しかしそれは大きく外れていた。何と薮から出た私の目に飛び込んできたのは、寝姿山林道そのものであり、それもかなり下の方であった。


       ありゃりゃ、こんなところに出ちゃった

 これでは、林道下の道跡が鉱山に通じる道ではないことを示していることになる。道は他にあったのだ。林道下の水平道は、きっと林道を作る時の作業道だったのではないだろうか。

 私は再び森に戻り、道跡を東に辿ることにした。 と、古い石垣があり、道が下方に延びている。しかしそのまま水平に東に延びる道もある。これは一体どういうことだろう。

 とりあえず水平道を辿っていく。元の幅は車一台分ぐらいであろう。現在は人が一人歩けるだけの踏み跡がついている。しかし踏み跡がついていると言うことは、誰かが今も歩いていると言うことだろう。ハンターだろうか。この先に畑などはないと思われるが…。


          水平道の跡を発見!

 スイッチバック地点の辺りに一つ、白い碍子が落ちていた。この地に電力を供給していた施設があったことの証明に他ならないだろう。これはこの先に何かある!


   白い碍子がここが道であったことを示している

 やがて、明らかに人の手によって山肌を切り崩して拡張した形跡のある部分を通過した。これは…、必ずこの先に何かがあるに違いない。クルのか、キテいるのか!?


    踏み跡がある。 このまま進めーっ!

 すると、道はいっそう広くなり、右手山側に突如石垣が出現した!
 クルのか、あれがクルのか! ここが鉱山の遺構なのか!?


        い、石垣だーっ!

 早く気持ちを抑え、一歩一歩、進む。おお、道幅が一気に広がった。そして出現した石垣。その先に何かある! ツタに覆われた建造物だ!

 おおう、キ、キターッ!


       
遂に見つけたコンクリート遺構。 これは何だろう?!


    
   その横にあるこれは、沈殿槽だろうか?

 そこにあったのは、幾段かの石垣、コンクリート製の塔、同じく水槽、つぶれた坑口、そして廃棄されたズリであった。


      これは潰れた坑口に続く石橋である


  石橋の先にこの潰れた坑口がある


     この高い石垣を回り込んで上に登っていく

 ヤマセミ氏の投稿画像には、建物が一棟、はっきり写っている。その建物はどこにあったのだろうか。そして、他に坑道はなかったのだろうか。


            これは沈殿池だろうか。  深さは2mほどある

 どうやら放置されたズリの様子からすると、この鉱山のほとんどは露天掘りだったように感じた。上下2段ある石垣広場を歩き回ってみたところ、坑口はわずかに一つ。それも潰失されている。他には、斜面に放置された多量のズリ。


         こんなズリが至るところにある

 そしてこれはどうだ。ズリの近くで見つけた古いタイプのガラス片と碍子である。ここに電力装置を備えた建物があったことはもはや否めない。


   建物があったと思われる敷地の下の土手にあった

 そにしてもここの森は深い。どこか高いところに登って辺りの様子を俯瞰することはできないので、一向に遺構群の全体を眺め掴むことはできない。
 沈殿池は、一目見ればそこに水を湛えてあったことが分かる。では、謎のコンクリート製の塔は何なのだろう。おそらくは、石垣の上の採掘現場から降ろされた鉱石をトロッコに積み込むための施設、すなわちホッパーが設置されていたのではないだろうか。

 この下にはテニスコートがあるはずである。しかしその周囲は猛烈な薮のはず。ここからも森が深いので、下降は断念し、来た道を戻った。

スイッチバック地点?
 水平道を元来た方に辿る。すると、一段下に道が刻まれている所に出た。先ほどもここは通ったが、一体何なのだろう。

 よく見ると、石垣が組んである。そこから北に道らしい跡はない。引き返す形で下に向かう道跡はある。とすると、鉱山から来た道はここでスイッチバックして下方に向かっているのだろうか。この先は白浜の里だ。いずれそちらも辿ってみなければなるまい(って、すぐに行けばいいのに…)。


  右向こう奥が鉱山跡。手前で折れて左下に下るらしき道跡がある

 寝姿山林道との接点は、ここである。市道から入って最初の右カーブだ。


       ガードレールの切れ目を入って降りると水平跡に至る

 ここで法面をよじ登り、一旦市道に出た。この後、テニスコートからのアプローチを確かめてみることにしよう。

謎の坑口
 途中、竹藪の奥に別の坑口がある。


      この左手の竹藪を入る

 これは鉱山の坑道であろうか、それとも防空壕だろうか。


        入り口は土砂で狭くなっている

 坑道か防空壕かの見分け方がある。S隊長の見解によると、入り口から中に真っ直ぐ掘り進めてあるのが坑道。なぜなら鉱石を運び出しやすいようにだ。一方、入り口からカーブして掘るのが防空壕。外からの爆風が中に入りにくいようにするためだ。


  岩壁でなく土壁になっているところからすると、坑道ではないのかも

 となると、この穴はどちらだろう。どちらかというと防空壕のような形だ。入ってみたいところであるが、やめた。関心のある貴兄は、今すぐにでも入っていただきたい。入り口は土砂で埋まって狭くなっているが、這いつくばれば入れるだろう。ただし、入ってすぐの突き当たりで巨大ゲジゲジが壁にへばりついて侵入者を待っていることを付け加えておく。

 さて、テニスコートである。白浜の会で鉱山が話題になった時、地元の人が「今はテニスコートになっている所の際に穴があってさ、子供の頃、入ったことがあるよ。結構深かったと覚えているよ。」と話した会員がいた。その穴はきっとマンガン鉱山の一部ではないだろうか。


  右手向こうの山の中腹に鉱山跡がある

 KAZU氏はテニスコート脇の畑から山肌を登り、鉱山跡とトロ線跡に至った、と聞いた。が、氏はこの薮のどこから登ったというのだろう。私はとても行けない…。彼は超人か。


  ここを入っていくなんて、ムリムリ!

 今回の探索は、以上である。次回は、今日訪ねた鉱区の東、高根山遊歩道に近いところにあるという坑口を探してみたい。

正月飾り
 市道と寝姿山林道が分岐する所の少し高いところに、大正年間に立てられた馬頭観音の石塔がある。ここを歩く時には必ず拝むようにしているのだが、この日はちゃんと正月のお飾りがしてあった。どこの誰かは分からないが、ここに立てられていることを忘れずにいるのだろう。とうに馬などを使役に用いる時代ではなくなっているのに。



下田八幡神社
 銀行でお金をおろした後(手数料として105円取られた、ちっきショー)、八幡神社に寄った。初詣客は既にちらほらとしか見えない。しかし境内で巫女さんがおみくじを売っていて、拝殿では神主さんがカップルの横で祝詞をあげていた。
 その様子を見ながら二礼二拍一礼。百円をお賽銭にあげて私が祈ったのは、もちろん次女の学校合格である。この冬休みは部屋に缶詰になって試験勉強をしている。精神的にあまり強い子ではないから、心配だ。何とかこの苦境を乗りきってほしいと願うばかりである。



とうきゅう前の駅前交差点は、たくさんの人と車が往来していた。普段からこんなにぎわいがあればよいのだが…。


                                             
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