葉

大方川流域に蓮台寺鉱山のトロ軌道跡を探す
探訪2006年2月11日
 
 実は「蓮台寺鉱山」という名前は、ない。正しくは「河津鉱山 蓮台寺鉱区」というらしい。鉱山の運営会社は何度か変わったが、元々は縄地のある河津に鉱山を開いた会社が蓮台寺や須崎にも鉱脈を見つけて開いたことから、一括して河津鉱山と呼ばれていたためらしい。

 もっとも、その名は一般的に「蓮台寺鉱山」で通用しているので、ここでも「蓮台寺鉱山」と呼ぶ。
 その蓮台寺鉱山は、天神神社横を入った所にある「1区」と、大沢口周辺にある「2区」から成る。

河津鉱山蓮台寺鉱区
 下の写真は、平成13年蓮台寺区発行「蓮台寺のあゆみ」に掲載された大方坑入り口付近の一枚である。ものすごい鉱石とズリ(残滓=精製しても採算のとれない、品位の低い鉱石)の量である。今回は、この辺りでトロッコ線路の跡がないかと、探索するのである。


 大方川方面を写した写真 中央の折り目が泣かせる (『20世紀の蓮台寺』より無断転載)

 誘ってくれたのは、トロッコに多大な関心を持って探索しておられるisonyonさん。ありがたいことである。
 午前7時45分。少々遅刻して大沢口へ到着すると、すでにisonyonさんは待っておられた。ごめんなさ〜い。

鶴ヶ峰の山神社
 まずは目の前の鶴ヶ峰に鎮座する山神社に参拝しながら、境内の崩壊の様子を見に行こうということにした。


  バス回し場の奥 かつてここには手選鉱場や坑夫用の風呂などがあったらしい


一段高いところに上がると、山神社への鳥居と、急な石段がある

 「あれ? 鳥居が新しくなってる。」とisoさんの声。前回来られた時には、倒れていたそうだ。鳥居の根元には、お金が供えてあった。



 鉱山が稼働していた時代には、守り神として月に一度は誰もが参拝したそうだ。その際、絶対にこの中で口笛を吹いてはならない、という不文律があったらしい。坑道を支えているのは犬の神様なので、口笛を吹くと犬の気が散るので坑道の安全を守ることができなくなるから、という理由だそうだ。なるほど頷ける。迷信ではない。安全な操業を祈る素朴な坑夫たちの素朴な願いであろう。

 さてisoさんはぐんぐんと急な石段を登っていく。運動不足の私にはこたえる急登だ。


     行きはよいよい、帰りは恐い 坂が急だからネ

 ふうふう言いながら5分弱で山神社に到着。なるほど境内の一部が自然木ごと崩壊していて、倒れかけた木々がワイヤーで別の木に結んである。地割れの部分に雨水が染み込んだら、どんどん崩落は進むだろう。難しいところだ。


           下大沢側に崩れようとしている

 拝殿の扉を開けると、正月に管理会社の人たちが初詣をしたと思われる形跡があった。が、床に目を引く小さなものが。何と、小鳥がことりと落ちて横たわっているのだ。かわいそうに、何のきっかけかで迷い込んで出られなくなり、とうとう息絶えたのだろう。何という名の鳥かは知らないが、スズメくらいの茶色い小鳥だ。


     供物も一つ落ちていたので、祭壇に乗せておいた

 手に取ると、もともと軽い体は乾いていて、さらに軽くなっている。ビーズ玉のように小さいはずの目は、すでに溶けたのか、失われていた。しかたなく、境内に葬っておいた。

 さて蓮台寺方面に目をやると、眼下には蓮台寺側に沿った集落と、かつて機械選鉱場があった場所が見える。朝日が逆光となって、少々見にくい。


           眼下には、蓮台寺側の集落が見える


          今は資材置き場となっている機械選鉱場跡


 これが現役時のそれ 賀茂地区に供給される電力の半分を消費していたとも聞いた

 機械選鉱場跡には、何やらコンクリートの基礎や廃材やらが見える。ブルーシートをかけられた資材なども見え、何かの仕事に供用されているようだ。しかし選鉱場が稼働していた当時の建物やインクラインなどの存在はうかがい知れない。なにしろ木が生い茂って、すごいことになっているのだ。

 しかしそこへの立ち入りは許可されていない。これから行く機会はあるだろうか。ないだろうな。無断立ち入り禁止だから。でもレールなんかが残っていたらすごいな〜。

トロッコ軌道跡探しにGO!
 気を取り直して、というより、しかたなく山神社を後にした。それにしても、急傾斜の石段を下りる時にはたいへん恐かった。年をとったら参拝は難しいだろう。転げ落ちる危険があるから。

 神社を降りたところにある空き地は、かつて手選鉱場や鉱夫の風呂などがあった場所と聞いている。また、川向こうの猿食坑へとつながる橋があり、トロッコ線路が伸びていたそうだ。

 isonyonさんの先導により、そちらへ行ってみると、コンクリートの沈殿池?みたいのがある。でも小さいものなので、別の施設かもしれない。何だかお風呂のようにも思えるのだが…。ほかにも、対岸に渡るトロ線路の橋脚のような遺構も見られた。


 山神様の下、現在は住宅地になっている裏手にもトロ軌道があった

大方坑跡へ
 バスの回し場から共同浴場の方へ行くと、川がある。大方川というらしい。ということは、ここを入る一帯は「大方坑」と言うのだろうか。すでにisoさんはいくつかの坑口を見つけておられるので、今日はそれらを紹介してもらおうと思っているのだ。


           冒頭の白黒写真はこの一帯を撮影した一枚

 住宅の並ぶ坂を上ると、まもなく左手にズリ捨て場が見えてくる。isoさんは、そこに着目。ズリを捨てていたなら、そのズリを運んできたトロッコ線路があったはず、と読んだのだ。こういう勘を、「鉱山レーダー」と言う。(かどうかは、分からない)

 「ほら、あそこ…。」と指された指の先には、おお、たしかに山肌を水平に削った細道のような形跡が認められる。どうしよう、行ってみようか。行くしかないね。GO!GO! トロ線路の探索へ!


     画像中央部に山肌を削って線路を通した跡が見える(よね?) 

 えいやっと登ってみると、どうだろう、間違いなく線路があったと思われる形跡が認められる。人間1人が通るのにやっとの幅だが、トロッコが通るだけなら十分ということだろう。


   トロ軌道跡は、川沿いの住宅地の上をぐるりと巡っている

 線路跡は、山肌をぐるっと巡って、猿食坑の方へ延びている。そちらまで行ってみたが、あれ? 途中で軌道跡は途絶えてしまている。下には下大沢に上る道と民家が見える。軌道跡は、崩落してしまったのだろうか。猿食坑までつながらないと鉱石を選鉱場へ運ぶことはできないはずなのだが…。

 しかたなく戻ることにした。と、線路の終点と思うところに、埋まった坑口があるように見える。それともインクラインのあった溝だろうか。


   トロ線路の終点らしい 坑道があったのかインクラインにつながっていたのか…

 が、isoさんの目はまだ上を見つめている。この上に何が? と思って聞いてみると、「まだ坑口があるはず。」と仰る。さすがトロッコハンター。 常人の私には想像もしないところに目を向けておられる。

 ズリでできた斜面をえいやっと登り詰めると、おお、そこには平らな所があるではないか。


      イ、インディジョーンズ現る!?

レールがある!
 なおもハンターはズリの上を進む。こちらも倒木は目立つ。眼下には保守小屋のような建物が見える。下田温泉の源泉となっている坑道もここだ。

 と、isonyonさんがここで歓声を上げた。


      鉱山関係の建物のように見えるのだが…

「あっ、線路だ!」

見ると、おお、これはトロッコの線路。すごい発見だ。ここに線路が通っていたんだ! 

 どうやらisyonyonさんは、山肌に付けられた水平な段差に着目してられるらしい。水平な段差、それがすなわちトロッコ線路が敷かれていたところという観点なのだ。


    ちぎったように放置されていたトロッコ線路

 見つけた線路はジョイントの部分から1m足らずの長さで、大きな力を加えてちぎられたような形状をしている。持ってみると、案外重い。いい鉄は重い、と聞いたことがあるが、そうなのだろうか。

またまたレールが
 そろそろ沢に降りようかとするところで、またまたisoさんがレールをハケーン! 彼のレーダーは冴えまくりだ。
 今度のレールは、地面に埋もれた形で見つかった。かつてはそのままここに敷かれていたのだろう。ということは、このレールの指し示す先には坑口と坑道があるということになる! ワクワク!
 

  2つ目のレールは、地中から一部露出している形で見つかった


        ほぼ現役時の施設場所と同じだろう

 ここでいったん沢沿いの道に降りる。
「この向こうに坑口がありますよ。」という言葉に促され、砂防ダムまで降りて行ってみる。わずかに水の流れる沢を渡ると、確かにそこには古い石と新しめのブロックで封印された坑口があった。


       電気式トロッコ牽引車が入れそうなほど大きめである

「ここから平らな道が延びているんだけど、途中で途切れてるんです。」と、これまでの探索の結果を語ってくれた。古い写真に写っているトロ線路は、ここから出ていると思われる。長い年月によって崩れてしまったのだろうか。

「あちらにも坑口があります。」と仰るので見てみると、何と砂防ダムの脇にも大きな坑口が見える。あれ? しかもブロックに窓が開けてあるぞ。見に行こう。


        下田温泉の源泉のすぐ上にある坑道入り口

「中は暖かいはずですよ。」と言われて近づいてみると、うっ、中から生暖かい風が出ている。近くにあるのが温泉の源泉なのだから、もしかして中でつながっているかもしれない。思い切って中を覗くと、奥に掘り下げてあるような様子だ。(デジカメを突っ込んで写真撮影を試みたが、水蒸気が白く写り込んでしまった。)


   坑道内部の様子 下方に掘られている


 こちらが下田温泉の源泉の一つ 入るとすぐに地下に30mほど石段を降りていく

 さて、isoさん持参の地図を見ると、ここから大方川の奥にもまだ坑口がある、と読める。もちろん、「行ってみましょう」ということになった。

 沢を登っていくと、いつの間にか道は消えた。isoさんも前回の探索ではここで引き返したとのこと。そこを構わず登っていく。

ズリに誘われて
 「坑口があるのは、左の沢のはずです。」
 そう仰るので、行ってみた。足元には、山道にあるはずのない、割った花崗岩がたくさん落ちている。つい最近人の手とハンマーによって割られたような感じだ。きっと鉱山マニアが入っているに違いない。誘われるようにして奥へ踏み入る。


  割ったばかりのズリがたくさんある!

と、ここでまたisonyonさんの歓声が! 

「あったどーっ!」

isoさんの鉱山レーダーは、感度抜群だ!


       人の背と同じぐらいの高さをもつ坑口

 この辺りは昔は山田だったような感じで、なだらかな地形になっている。そのやや高いところに一つの坑口があった。

 と、見ると、離れたところにも何やらありそうな感じ。行ってみると、おお、別の坑口発見。


              おお、ここにも!


            そして、少し離れたところにもある!


    塞がれた隙間からカメラを突っ込んでシャッターを押したが、うまく写らない

 さらに、上に行ってみることにした。何しろ足元には、真っ白なズリがごろごろしているのだ。これらがあり続ける間は、辿っていきたくなってしまうのだ。

新たなる存在の予感
 坑口はほかにもあった。縦坑に土を盛って塞いだような所もある。しかし断層なのだろうか、山肌ごと滑り落ちそうになっているようにも見える所もある。坑口にしては向きが変だ。同じような形状の横穴が、もう一つ私の背後にある。が、足元の土はふわふわしており、危険を感じたので引き返した。


                この横穴は何だろう?!

 不思議な横穴に疑問を抱きつつなおも沢を遡ると、踏み跡が復活した。右手には炭焼き窯の跡がはっきり見て取れる。その前を小径が大沢方面に続いているのだ。


     炭焼き窯の跡  すぐ前に小径があり、左は大沢方面 右は蓮台寺方面に行く

 と、ここでまたまた大発見。私が自然発生した椎茸に気を取られている間に、isoさんが線路発見! ええっ!? こんな奥にも線路が来ていたの?

 辺りは崩落が見られ、足元も不安定だ。確かにトロ線路らしき鉄材がある。しかし半分は側溝の鉄材として使用されているような感じもする。


  これ、椎茸ですよね…


          この線路は鋼材として使われたような感じだ


             こちらの線路は敷設されていたように見える
 
 そういえば4年ほど前に蓮台寺のたばこ屋のご主人に話を聞いた時、「馬鉄の線路は取り外された後、大沢に運ばれて、橋を作る時の鉄材になった。」と伺ったことがある。それに近いのかもしれない。しかしここまでレール探しに躍起になっていると、横たわった朽木までがレールに見えてしまう。困ったものだ…。

最大の発見
 この上はどうなっているのだろう。そう思って崩れかけた竹林をよじ登ってみると、そこにはまた平らなトロ跡のような小径があった。しかもここには「危険 立ち入り禁止」の立て札と鉄柱および有刺鉄線が張られている。ここだけなぜ? と、私たちの目に飛び込んできたのは、崩れかけた横穴と、向こう側に見える空だった。こ、これは…。


             あ、あの割れ目は何!?

「もしかしてトロッコ線路のトンネルだったのかもしれない。」

えっ、そ、そんな…。もしそれが本当だったら、「山行が」ばりの大発見だ。そうなのだろうか。もっと辺りをよく見て、検証してみよう。

 トンネル内部は、土が平らにならしたように固めてある。 床面にコンクリート片のような石板も落ちている。
「トンネルを削ったノミの跡があれば、(これがトンネルであることが)決定的なんですけどね。」とisoさんが仰る。うーん、ノミ跡は…、近くに行ってみないと分からないな。


         こんなところで隧道に出くわすとは…

 そのトンネルから出たトロ軌道跡は、側溝とともに弧を描いて竹藪の中に入っていく。そして崩落地点の下をくぐり抜け、山肌にぶつかっている。そこには…、果たして土で塞がれたとおぼしき坑口の存在を見ることができたのだ。


            坑口が多量の土砂で埋もれている


            何やら縦坑を塞いだところもあった

幻のトロッコ隧道
 つまり下から上がってきた線路跡はこのトンネルで最後の坑口につながり、中から鉱石を下へと運び出したのだ。

 このトロ隧道の話は誰からも聞いたことがなかった。もちろん鉱山の仕事に携わっていた人たちからもだ。封印された話だったのか、それともそんなの当たり前のことなので誰も話さなかったのか…。なにしろトロ軌道はあちこちに敷き巡らされていたからだ。

軌道跡か
 ここで沢を登るのはやめて、この軌道跡を下へたどることにした。奥にはもう跡がないことから、下りる方へと歩いたのだ。(ここで1人で奥に歩いていく中年男性とニアミス。ハンターのような服を着ているが。手ぶらだった。大沢に行くのかな?)
 若干の下り傾斜を持ち、先ほど見た横穴を経由して、軌道跡は標高を下げる。坑口が3つほどある広い地点で水平に戻り、沢筋から離れて選鉱場方面へと延びている。


             明らかに軌道跡と見て取れる

 そちらの方へ、どんどん歩を進めるisoさん。

 しかし少し行くと、軌道跡は山肌の崩落によって途切れ、その向こうには軌道跡がつながっているようには見られない。不思議だ。ここからインクラインで下げたか、そのまま落としていたということだろうか。

果たして隧道の真相は 
 帰り道は意外と早かった。土で埋まった砂防ダムがすぐに見え、その向こうには民家の屋根が午前の太陽光を跳ね返していた。今見てきたトロッコ線路の隧道は、本当に存在したのだろうか。あれは幻ではなかったのか。 

 真相は分からない。関係者に聞けば分かるだろう。でも、今はこのままにしておこう。河津鉱山蓮台寺区にも、東北地方森林軌道張りのトロ隧道があったのだ。それは私の胸の中にしまっておこう。今はそれが一番いい。

 今回の探索での収穫に満足し、大沢口のバス待合所で祝杯を上げていると(isonyonさんは缶紅茶、私は缶ココア)、10時28分発の下田バスが滑り込んできた。ご婦人二人連れのお客が私たちに「乗らないの?」というような眼差しを向けてステップを上がった。



まとめ
 今回訪ねた鉱山跡は、蓮台寺鉱山のごく一部である。このほかにも、於花沢坑、檜沢坑、猿食坑、藤ヶ坑などの鉱脈があり、それぞれ無数の坑道や縦坑を持っているのだ。 

 そういえば今から32年前、下田北高のある先生が授業中にこう仰った。

「君たち、この蓮台寺には昔鉱山があって、山に入るとあちこちに縦坑が開いている。だからやたらに山に入ってはいけないよ。落ちると危険なだけでなく、中に有毒ガスが溜まっていると死んでしまうからね。」

 その当時、山岳部員だった私は、仲間と戯れであちこちの山に入り、道なき道をよじ登って小ピークを極める、という遊びをしていた。そんな折りにこの先生の話を聞いて、ぞっとして仲間と目を見合わせたものだった。

 操業をやめてから数十年経つ蓮台寺鉱山であるが、今でもズリを採集に来るマニアは絶えないという。しかし、ジャパンエナジーという会社が管理している土地であるので、むやみに迷惑をかける行動は慎まなければならない。特に、坑道に入り込んだり封印のブロックを崩したりするなどの行動は厳禁である。幻の隧道が本当であるかどうかは、いいではないか。私たちが見たのは、確かにここで稼働していた鉱山の残像なのだから。



付記「河津鉱山のあゆみ」(蓮台寺在住 T氏の資料による)
 
大正三年三月 久原鉱業株式会社より、大松鉱山、蓮台寺鉱山、須崎鉱山を買収する。日本鉱業(株)日立鉱山の支山となり、静岡県賀茂郡下河津村谷津に事務所を設ける。
大正四年三月 静岡県賀茂郡稲生澤村に事務所を移す。
昭和七年三月 小松野鉱山を買収する。(賀茂郡南中村一条)
昭和十一年三月 河津鉱山事務所新築
昭和十三年四月 機械選鉱場新設工事開始
昭和十六年三月 機械選鉱場竣工
昭和十六年四月 大松支山、小松野支山閉山
昭和十八年三月 機械選鉱場にて蛍石の精錬を実施す。金鉱整備にて金銀採掘は中止。 満俺鉱、銅鉱石のみ  少量を採掘する。
昭和十八年七月 南豆馬車鉄道株式会(馬鉄による鉱石運搬)休止
昭和二十年八月 終戦
昭和二十一年三月 金銀鉱、珪酸鉱、満俺鉱、銅鉱、テルル金鉱の採掘開始。
昭和二十七年九月 金銀品位低下により、鉱量減少にて操業を縮小。
昭和三十四年三月 河津鉱山閉山
                   
                                             
トップ アイコン
トップ
葉