葉

東伊豆町大川に江戸城築城石の石切場を探す〜3
探索 2009年1月12日   
 
石工の生活
 山中で採石に従事していた石工達は、山の中に小屋掛けして寝泊まりし、昼間は屋外に出て採石の作業に当たったそうです。石工の給料は米の支給だったそうです。刻んだ矢穴の入るだけの米が支給されたそうで、たくさんの矢穴を開ければ開けるだけたくさんの米がもらえたそうです。ではいったい一人の石工が一日のどれくらいの矢穴を開けられたかといいますと、実験をした最近の石工さんの記録によりますと、一日三升の米が入る容積の穴を開けることができたそうです。

 一方、仕事はこれだけの重量のある石を切り出す危険な作業です。打撲や擦過傷、骨折はもちろん、落石による圧死に見舞われる石工も少なくなかったのではないでしょうか。大川にはこの谷戸山の沢には赤い水が流れていた、という伝承があるそうです。それはもちろん怪我をした石工達の血でしょう。
 








最大級の角石
 谷戸山の西斜面をかけずり回り、たくさんの石を見ました。お城の石垣の端に積むための"角石"、間に入れるための"間石"などが多数見られます。斜面を登っていくと、あ、あそこに石がある、おっ、あっちにもあると、まるでお宝を見つけたような気分になって、一人笑ってしまいました。きっと端で見る人がいれば、奇人に映ったことでしょう。でもたくさんの石を見ているうち、まるで自分が江戸時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。史跡探索というのは楽しいものです。

こうした石探しの極みに見たのは、林道の終点にある角石でした。



見つけた時は本当に驚きました。大きさが1,4m×1,2m×3,2mぐらいある、大きな築城用の角石です。



きれいに形が整えられているので、湊まで運び出すばかりになっていたものと思います。

大きさをご覧いただくために、比較として日帰り用のリュックを置いてみました。







画像に写っている道は軽トラが一台通れるくらいの舗装林道ですが、元は修羅と呼ばれるソリに石を載せて運び出すソリ道(修羅道)ということです。昭和の後期に東伊豆町は別荘地の開発が盛んに行われたのですが、この地が開発の波に呑まれることがなく本当によかったと思います。



角位置の圧地点から林道を下る道々、林の中を見ながら歩きました。山を登りながら山中で見た中小の規模の石に比べて数十倍もある石が、たくさん見られました。何というダイナミックな築城石群でしょう。まさに息を飲む光景でした。





下の画像の石をご覧ください。丸石にくさびを打ち込んで角石に切り出す作業をそのまま伝えています。







 この谷には沢水が流れています。角石の近くに水の湧き出ている泉があり、取水のためのパイプが取り付けてありました。石を切り出していた時代は、人夫たちの研ぐ米によってこの沢の水が白く濁ったと言われています。このようにたくさんの石を見ているうち、胸がいっぱいになりました。



渡辺家の角石
 最後に、町道を奥に進んだ所にある「町指定史跡 渡辺家の角石」を見に行きました。ちゃんと町の史跡である旨が明示されていますが、個人宅の裏で草やゴミに埋もれるようにしてあったので、残念に思いました。




                「史跡 角石」の標識





大川の三島神社
 それからは大川の港と三島神社に寄りました。三島神社の参道脇にも角石が展示してあります。その脇にはサイの神さまが安置してあります。神社の拝殿には、石田半兵衛(誰?)作と伝えられる見事な彫刻が施されています。



 ところで、嘉永七年三月に黒船を追って下田に行くため東浦路を急いでいた吉田松陰先生は、下田入りする前夜にここ大川で一泊しています。急ぎの旅でしたので、もしかしたらこの三島神社の社殿に泊まったのかもしれません。

神社の敷地に展示してある角石はもともとここにあった石ではなく、よそから運んできた石です。



これが石田半兵衛作の彫刻です。確かに見事な細工です。





石を積み出した湊
 大川の港は、西風を避けられる地形にありますので、海面は凪いで静かでした。その湊の海底には、船に積み込むのに失敗して沈んだ築城石がいくつか沈んでいるそうです。道でも海でも、一度落とした石は「落石→落城」に通じるため、拾って使うことはしなかったそうです。大名から採石現場の石工には「石の取り扱いにはできるだけ注意を払い、決して落とすことがないように」というお達しが何度もされたと、他所に残る古文書に記載があるそうです。


      切り出された石は向こうに見える湊で石船に載せられたそうです

 たくさんの石工達が入って多くの築城石を切り出したのは、もはや今は昔の物語です。でも大川地内にのこるこれらの築城石と石切場は、いつまでも語り継いでいかなければならないと感慨深く思うのでした。 参考文献『東伊豆町の築城石 東伊豆町教育委員会 平成5年』 『石垣が語る江戸城 野中和夫編 同成社 2007年3月』
                                             
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