葉

大仁金山は今〜その3
探索 2008年1月19日   
 
大仁金山再訪
 夏に訪ねた大仁金山跡には、まだ行っていないところがあった。それは、インクライン跡を下った所から北に入った地点にあるという山神社、および金山碑である。

 冬となって草木が葉の勢いを失った1月中旬、一人で大仁金山跡を訪ねた。今回は車のまま墓地の前を過ぎて資材置き場の奥へ進んだ。辺りに人はいない。


          前回はこの辺りまでしか来なかった

どこに山神と石碑があるのだろう。

廃屋
 とりあえず、前回訪ねた火葬場跡のような建物に行ってみた。 廃材を踏みしめて近づく。夏よりもよく見える。ほとんど崩壊した建物の中には、灰色のロッカーや椅子などが朽ちて残っている。事務所跡だろうか。やはり建物奥にある煉瓦製の門壁が気になる。


       不気味である とても建物内部立ち入ることはできない


             この門扉が非常に気になるのだが

前回の探訪から今日まで、特にここが火葬場跡だという情報は得ていないが、やはり鉱山の事務所でもあったのだろうか。

1つめの慰霊碑
 続いて小さな慰霊碑と抗口を見に行く。抗口へは、ちゃんと簡易的な木の橋が架けられている。お参りや巡視に来る人がいるのだろうか。  抗口はコンクリートブロックで固く閉ざされている。中を窺い知る術はない。


          水路を渡る木橋がはっきり見える


  渡ることを想定して架けられているのだからしてその先には…


         灌木の中にひっそりと小さな慰霊碑がある


              かたく閉ざされた坑口

 元の小道に戻り、何気なく奥を見ると、おや、神社の鳥居や参道らしき石段が見えているではないか。
 前回来た時にはとにかく木が生い茂っており、どこに山神があるか知れなかった。 それが今、こんな近くにあったのか、というほどすぐそこに見え隠れしているのだ。


          何と、鳥居がすぐそこに見えるではないか


         鳥居と社殿が見える こんな近くにあったんだー 

 軽い緊張感を覚えながら、周囲の様子を見つつ、鳥居に近づく。 まず初めに目についたのは、幟を立てるための支柱だった。


           高さ150cmほど

参道を挟んで2本立っている。この柱が最後に幟を支えたのはいつのことだったのだろう。


     ツルが絡んでおり、近づくのにも難儀する

それを参道を挟んで、石碑が藪の中に立っている。 彫ってある文字は「大仁金山開祖 大久保岩見守長安之碑」か。


       見上げるような高いところにある 石碑自体の高さは2mほどか

ふと見ると、その基礎部分の下方に抗口が閉ざされたままひっそりと佇んでいる。ここが大仁金山の江戸期の坑道だろうか。 トロッコが出入りするような幅員はなく、人が一人か二人かろうじてすれ違うことができるか、という狭隘な坑口である。


     石碑の下の低い位置に、隠れるようにして坑口がある 坑内は狭そうだ

 続いて大きな石碑が建っているのが見えた。 こちらは、大仁金山の歴史が刻んであるようだ。


      最も大きい石碑がこれである 「大仁鑛山之碑」 高さ2.5mほど


      右から読むように文字を彫ってある 「大仁鑛山之碑

 全文を読むことはとてもできないので(意味もあまりよく分からないし)、概要だけ分かった気になって、次に進んだ。 正面には、崩れかけた石段が見える。そちらは最後に登るとして、その前に、右手にある石碑を見てみよう。


     常夜灯が「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる“妖怪ポスト”みたいだ


       傍らの手水舎もかなり老朽化している 悲しい…


         参道の右の沢に慰霊碑や常夜灯や祠がある

2つめの慰霊碑
 ちょっと不思議な感じである。そこだけが一つの魂かオーラを持った空間となっている。


    常夜灯、慰霊碑がある 岩屋に収められていたのは位牌だったのか?

高さ2mぐらいの石碑の表には、「慰霊碑」とある。となると、奥にあるガラスの嵌められた岩屋は、位牌置き場か。 慰霊碑の裏には、殉職した抗夫さんたちの10人の氏名が刻まれている。


          小さな扉の奥には何が・・・?


       自然石を利用して作った感じだ


     刻まれているのは、10名の殉職した人たちの氏名と命日だろう


   これは比較的新しい方の常夜灯である(高さ2m強)

社殿へ
 いよいよ山神社への石段を登る。坑夫さんたちも管理者の人たちも、かつては採鉱や選鉱の業務が無事に行われることを願って、幾度となくこの階段を上ったことだろう。しかし今は訪れる人はなく、荒れるに任されている。


        崩れ落ちかけている石段 もともと傾斜はかなり急である

転落しないように気をつけながら、石段を登ってみた。中腹の部分がかなり崩れている。石段の割れ目に足が嵌ったら、怪我をしてしまいそうだ。

やっと境内に立った。


             社殿は思ったより小さかった

 社殿は思ったより小さかった。格子戸の中を見ると、さらに小さな拝殿が納められていた。 傍らには、太鼓や小槌などが置かれている。関係の業者らしき社名が記名されているところを見ると、鉱山の関連業者が奉納したのだろう。


        沢山の五円玉があげられている

格子戸の隙間にカメラのレンズを嵌め込むようにして撮影してみた。


    ご神体を納めた木祠に、太鼓、打ち出の小槌、お餅などが見えた

 境内から下を見下ろす。石段の一番上には、なんとキャンディーの包み紙と、たばこの吸い殻が捨ててある。ほとんど廃社になった山神社とはいえ、境内にゴミを放置するとは・・・。ここでタバコを吸った輩は、いつかズリ山の露と消えるであろう。もちろんこれらのゴミは回収してきた。


           境内から参道を見下ろしたところ

 車に戻る時、何らかの機械が唸りを上げる倉庫の手前に、老人がいた。山芋堀の男性か、と思ったが、手にしている道具が違うので、植木の管理者かと思った。特に彼とは交差することなく、私は車に乗り込んだ。


          右手の倉庫から機械の音が聞こえている

 今見てきたように、大仁金山の守護神である山神社は、選鉱場のちょうど裏手に当たる山の中腹にあった。その所在位置は、江戸の慶長時代に開かれた旧鉱区がそこにあったことを示唆していると、私は見た。

となると、次なる課題は、ずばり、江戸期の鉱区を探索することであろう。

 しかしその探索までには少し時間をおこう。大仁金山跡はあまりに疲れた姿をしている。

もしかしたら、旧鉱区の坑道群はこのまま山に飲み込まれて、永遠にその姿を隠してしまうかも知れない。 それもまた鉱山の辿る運命の有りようである。そんなことを思って、山神社を後にした。 
                                             
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