中央本線の思い出
昭和51年4月から55年3月まで、私は山梨県甲府市で暮らしていた。
住まいのあった甲府駅北口からは、南口へと中央本線を越える人車共用の跨線橋が渡っていた。橋を渡りながら駅構内を見下ろすと、引き込み線や留置線が幾重にも分岐、収束しているのが見えた。跨線橋の歩道は松本側(西側)にのみ設置されていたので、夕方には松本方面に延びる何条もの線路が夕日を反射して赤く輝いていた。夕日の残映に輝く幾重もの架線や線路を目で追うと、その先には夕焼けに赤く染まった北アルプスの山並みが見えた。アルバイトからの帰り、その線路を見るたびにこのまま電車に飛び乗ってどこかに行きたい衝動に駆られた。しかし元々小心者の私には、そんな冒険は4年間の間、つい1度さえできないのであった。
その後、就職して職員旅行などで各地を訪ねるようになり、活動範囲も広がった。地元伊豆で探索活動などを始めると、興味は徐々に広がり、古道や隧道を探索するようになった。
いよいよ県外探索へ
2007年、とうとう伊豆を飛び出し、探索の範囲を広げた。まず行きたかったのは、もちろん若い頃に見た中央本線である。旧隧道を調査し、潜入するのだ。今回の探索は、「下田街道」初の県外探索である。
中央本線とは
旧国鉄は、明治期の富国強兵策を、鉄道網の充実という面で後押しした。それまで官鉄や私鉄として運行されていた各地の路線を買収、統合しながら徐々に鉄道網を発達させていったのだ。
中央本線は、東京都千代田区の東京駅から新宿駅、甲府駅、塩尻駅を経由して、愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)である。
路線距離(営業キロ)は、東京−名古屋 全長424.6km。
1903年(明治36年)2月1日に大月 - 初鹿野間(18.19km)延伸開業。同じく笹子駅、初鹿野駅(現在の甲斐大和駅)開業。
6月11日に初鹿野− 甲府間(27.04km)延伸開業。塩山駅、日下部駅(現在の山梨市駅)、石和駅(現在の石和温泉駅)、甲府駅が開業。
1913年(大正2年)4月1日に初鹿野−塩山間に大日影信号所開設。
4月8日に大日影信号所を駅に格上げし、勝沼駅(現在の勝沼ぶどう郷駅)開業。
1968年(昭和43年)1月30日 - 山梨市
- 別田間複線化というような歴史を刻んできた。
我、潜入ス
今回潜入するのは、甲州市勝沼にある「旧大日影トンネル」である。
旧大日影トンネルは、明治36年に中央線の開通に合わせて作られたトンネルで、複線化されてからは下り専用トンネルとして使われていたが、平成9年に新トンネルができてそちらが供用されるようになってからは廃トンネルとなり、封鎖されている。明治期に作られただけあって、手作りの赤煉瓦で覆工してあるらしい。明治の産業遺産をこの目で確かめるのだ。さあ、行こう!
下の画像は、遠方より勝沼駅を偵察した時の1枚である。中央の赤い屋根が、旧勝沼駅の「勝沼ぶどう郷駅」である。旧大日影トンネルは駅の東方に位置する。幸い、人目にもつきにくそうだ。では丘を降り、谷を越えてトンネルに潜入開始だ。

「勝沼ぶどうの丘」から勝沼ぶどう郷駅と旧大日影トンネルを遠望、偵察する
勝沼ぶどう郷駅前の交番に駐在さんの姿はない。どうやら出かけているらしい。チャンス! 駅構内をかすめ、何とか隧道を探し当てた。と、新線がすぐ隣を走っている。「ゴーーーー…」という音が徐々に大きくなってきたと思ったら、写真の貨物列車を牽引する機関車がゆっくり姿を現した! ヒーッ!
旧トンネルのすぐ横を新トンネルが通っている
ちょっと待て、よく見ると旧トンネルは封鎖が解かれており、ウエルカム状態である。いいのか、いいのんか、入っても?!
私は明け放れたその扉に向かって足早に駆けていった。
・・・・・・
なあんて、ここまではフィクションです。
え、
だって、
旧大日影トンネルは、
2007年8月から、一般に開放されているもん。
ゴメンね
同級生達と
2007年9月9日(日)。故郷の同級生達総勢9人で、甲斐路へ旅行にでかけた。幼稚園から同じ学舎に育った幼なじみ。成人してからは共に消防団活動をしてきた仲間だ。
勝沼の“ぶどうの丘”でワインの試飲などを楽しんでいると、売店にパンフレットが置いてある。手に取ると、「勝沼駅の東にある旧大日影トンネルを整備して、昼間のみ通り抜けられるように開放している」とある。
同級生達にそのことを言うと、「せっかく来たのだから、行ってみよう!」と思わぬ賛同を得ることができ、トンネルを訪ねることにした。

「勝沼ぶどうの丘」 売店はもちろん、ホテルやレストランもある

こんなワインが試飲できる おいしそう〜
「ぶどうの丘」で、台風9号のために傷ついたピオーネを安めの値段でしこたま買い込んだ一行は、車で谷を降り、再び丘を登って勝沼ぶどう郷駅に向かった。
勝沼ぶどう郷駅から
旧大日影トンネルは、延長1,367.80m。起工明治30年(1897年)、貫通明治35年(1902年)、開通明治36年(1903年)、電化昭和6年(1931年)、複線化昭和43年(下り専用トンネルとなる)。平成9年に廃トンネルとなっていたが、その後、甲州市がJRから払い下げを受け、貴重な産業遺構として保存すると共に観光施設として設備を充実させ、平成19年3月に整備工事が完成、同8月一般に開放した。通り抜けるのに要する時間は、約30分。何と、人が歩いて通り抜けて良いのだ。途中、一定の間隔でインターフォンを設置するなど、安全対策を施してある。一部の携帯電話も通じるという。しかし煉瓦作りの旧トンネルはもちろん、その前後の煉瓦作りの雨水路や河川隧道なども残されているらしい。トンネルの壁や天井には、蒸気機関車時代の煤が付着しており、時々落ちてくることがあるらしい。いいぞー。

ひっそりとしている「勝沼ぶどう郷駅」 無人駅?
初めて来た土地では、パンフレットを見てもすぐに土地の様子が分からない。勝沼ぶどう郷駅は難なく位置が分かったが、旧トンネルの場所は案内が良くなくて、散々道に迷ってしまった。
結局、駅と駅前交番の間を東に進んで、鉄道公園の中を抜けていくとトンネルにアプローチできることが分かった。

電気機関車EF64−18 昭和41年製造 平成17年引退
公園からは案内板があるので、すぐに旧トンネルの位置は分かった。

鉄道公園から階段を上がって線路へと向かう
9人の仲間のうち、“ トンネルウォーキング
”に参加したのは、加藤氏、渡辺氏、山西氏、そして私の4人である。山西氏は歩く気はなかったのに、トンネル探しを手伝ううちに残りの仲間が乗る車に置いてきぼりにされ、しかたなく同行することになった。お気の毒である。

ここだったんだ! 分かりにくい所にある

トンネルについての説明板があちこちにある
実はこのように旧トンネルはこうして開放されている。

JR貨物EH200形電気機関車 愛称「ECO POWER
ブルーサンダー」が出てきた
坑門は馬蹄形のアーチを描いている。なるほど赤煉瓦造りの明治トンネルだ。もちろんレールはトンネルの前後で途切れて、他とは繋がっていない。しかし内部には蒸気機関車時代から平成7年まで使われていたレールがそのまま敷設されているということだ。

「写真はいいから、早く着いてきなよ」と渡辺氏 あまりトンネルには関心がないようだ…
いよいよ入坑
坑内に足を踏み入れると、夏なのに、涼しい! トンネル独特の冷気が漂っている。
どんどん歩いていってしまう仲間から遅れて、写真を撮りながら進んだ。あー、三脚か、せめて一脚を持ってくるべきだった。なにしろ持ってきたのは、コンパクトデジカメだ。しかも手持ち。暗いトンネルでは思うように写真が撮れない。まさかこんなところで隧道歩きができるとは思っていなかったのが敗因だ。
トンネル内には、雰囲気をこわさないように上手に説明板がつけられている。

建築のために何枚の赤煉瓦を使ったことだろう
トンネルに入り、振り返って撮影した。カバーを掛けられて線路上にあるのは、足漕ぎ動力のトロッコだ。観光用か?

動かしていないように見えた観光用トロッコ
坑内に入ると、光量不足のために、こんなにブレブレになってしまう。

壁面にはこのように現役当時の表示が残されている。これは坑門から140mということかな。

こういうのが残っている、というのがいいよネ
坑内には、保線作業員のための待避所が36ある。一部は写真展示のスペースとして利用されている。なかなかうまい演出であると思う。

雰囲気いいですね〜
これは坑内に2つあるという大待避所。展示パネルと共にベンチが置いてある。

腰かけて休みたかったけど、時間ナシ!
ちょうど中央地点に来た。この表示板はずいぶん煤けていたが、蒸気機関車が通っていた当時のものだろうか。「出口」って当時から書いてあったの? 不思議だ。

これは現役当時の表示板? すごく煤けているように見えるけど
なお、坑内の表示に「25/1000」と書かれたのがあった。これは、1000m進むと25m上る(または下る)という傾斜を表している。この旧大日影トンネルは、25/1000の勾配で勝沼ぶどう郷駅の方に下っていることになる。ということは、反対側の深澤トンネル側から勝沼側に抜ける方が歩くのに楽、ということになる。
中央地点を過ぎ、深沢側の出口に近づくと、軌道内に水路が造られている。湧水を集めて排水しているそうだ。これは当時からの施設で、これもトンネル掘削時に練られたアイデアだという。
水路には水が流れている
煉瓦は三重構造で覆工されており、その厚みは63cmという。震度7の地震がきても壊れないと診断されているそうだ。恐るべし、明治の産業建築。
深沢側の出口だ
通り抜けるのに要する時間は、普通に歩いて30分とのことだが、写真を撮りながら歩いたので、40分ぐらいはかかったかもしれない。
先に歩いていった仲間と、車で先回りして待っていた仲間が、出口の向こうの旧深沢トンネル内に設けられたワインカーブでガイドさんの話を聞いていた。何と、夏でも気温14℃というトンネル内の条件を利用して、ワインの貯蔵庫を作り、そこに一般の希望者から預かったワインを有料で保管しているという。これもまた上手な利用法だとは思う。

深沢側から出ると鉄橋を渡り、旧深沢トンネルに向かう
深沢側(新宿側)の坑口だ。向こうに見えるのは「旧深沢トンネル」。やはり赤煉瓦巻きの明治トンネルだ。ワインカーブとして利用されているので、入坑や通り抜けはできない。管理人さんに頼めば内部を見学することはできる。

ワインカーブになっている旧深沢トンネルが向こうに見える
深沢側の鉄橋から下を見ると、同じように煉瓦造りの河川隧道が見えた。トンネルを通すに当たって変更した河川を通す水路トンネルだ。これもまた希有な産業遺構として保存をしているらしい。

あの水路トンネルもまた明治の産業遺構だ
これが深沢側の坑門である。扁額が今の観光用のに取り替えられているのが惜しい。

旧大日影トンネル深沢側出口
斜め上から撮影したかったが、何しろ待ちくたびれた車組の仲間が「早く、早く」と急かすので、納得いくまで撮影することができなかった。残念。ちなみに、左のご婦人の行く先には、ワインカーブ管理所と、観光案内所、トイレなどの施設が入った建物がある。
しかし施設は充実しているものの、ここまで来る自動車道が分かりにくいそうで、開放して以来、多い時で1日200人ぐらいの見学客が来るそうだが、100人いればそのうちの50人は口を揃えて「分かりにくい所にあるねー。もっと案内表示をしっかり作ってほしい」と苦情を言うそうだ。この点は今後の改良が待たれるところだ。でも私としてはあまりたくさんの人に来て欲しくないナー。静かな方がいいじゃん。

斜め上にある車道から写真を撮りたかった また行こうかな〜
トンネルから出ると、仲間が他のツアー客に混じってワインカーブに入っていくのが見えた。私も慌てて後を追う。
何千本も貯蔵することのできるワインカーブは、開業して間もなく、すぐに予約で埋まってしまったそうだ。有料なのにすごいなあ。

常駐の管理人兼ガイドさん(女性)から話を聞く
気温は確かに低いが、湿気があるので、換気扇が大きな音を立てて回っている。

ひんやりとしているワインカーブに数万本のワイン 保管するだけで飲まないのかな
エピソード
トンネルを出た後、渡辺氏がこう言った。
「トンネルを歩きながら、線路はほかと繋がっていないと分かっているのに、いつ機関車が走ってくるかとドキドキしていたよ。」
人間の心理は面白いものである。
ご案内
・大日影トンネル遊歩道 利用案内
【通行時間】 9:00〜15:00(年末年始休業)15:00には閉門
【注意事項】 ●トンネル内は走らない ●全面禁煙 ●ゴミ捨て禁止 ●落書き禁止
●トンネル内の器具などに傷をつけない ●水路に注意
●レールと歩道の間の段差に注意
●歩道上の障害物に注意 ●ペットを連れての通行禁止
【通行料】 ●無料
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