葉

天城湯ヶ島町・青羽根の龍爪神社を訪ねる
須原の龍爪さんと小杉原の龍爪神社、そして青羽根の龍爪神社  
今つながる点と線 
 
 沼津方面に車で出かける時、天城湯ヶ島町で気になるところがありました。それは、龍爪神社参道。天城湯ヶ島町を通りますと、農協青羽根支所の隣に立派な鳥居があり、「龍爪神社」と記した大きな石塔(道標)が立っているのです。もちろんこれは私が古道に関心を持ち始めてから気づいたことなのですが、きっと須原の龍爪さんや小杉原の龍爪神社と同じ流れをくむ神社に違いありません。『龍爪』とは、数ある神社の中でも、珍しい名前なのです。また、それにもまして『青羽根』という地名は珍しいです。きらきら光るトンボの透き通った四枚の羽根を想像してしまうのですが、どんな由来があってそのような地名がつけられたのでしょうか…。そういえば、東京には『赤羽』という地名がありますね。青と赤…、何か共通点があるのかもしれません。

 そんな疑問が頭の中に渦巻いていた頃、ふとしたきっかけで一筋の光明が差し込みました。
 7月の下旬、職場の子どもたちを連れて天城湯ヶ島町の大川端キャンプ場に行った時のことです。昼食のお弁当を作って届けていただいた『天城湯ヶ島町 森島米店』さんのご主人に、思い切って「青羽根というのは珍しい地名ですね。どんな由来があるのですか?」と尋ねたところ、その由来について、ていねいに教えていただいたのです。 そのお話とは…? まずは記録をご覧ください。後ほどご案内しますので。

 国道414号線で天城トンネルを越え、道なりに進んでいきますと、『出口の黒飴』で有名な『出口』の交差点に差し掛かります。左(西)に進むと西伊豆方面に行く道です。ここを直進して100mほど行ったところの左に、森島米店さんがあります。おいしいお米やそばを売っていますので、おみやげに最適です。(森島米店さんはホームページをお持ちです。お店の名で検索するとすぐに出ますよ。)

 龍爪神社参道入り口は、さらに400m進んだところの左にあります。道が緩やかな下りになりますと信号機があり、その手前左に農協青羽根支所があります。その信号機のまさに袂に鳥居と道標があるのです。さて車はどこに停めましょうか。私が訪ねた時は休日でしたから農協にちょっとお邪魔していきました。 


         龍爪神社参道入り口

 鳥居の前の大きな道標には、『龍爪神社 是従十町』と記してあります。『町』とは距離の単位で、一町は六十間=約109mということです。ですから、かの神社はここから1km90m歩いたところにある、ということになりますね。
 さて、参道入り口の鳥居をくぐり、坂道を登っていきます。すると、左にすぐ神社があります。はじめはここが龍爪神社かな?聞いていたより近いなあ…、と思ったのですが、こちらは青埴(あおはに)神社でした。この「青埴」こそが「青羽根」の地名の由来ではないかということです。


     龍爪神社の参道と青埴神社の鳥居

 さて、ちょっと青埴神社に寄っていきましょう。境内に入ってすぐの左手に、小さな丸彫単座像の道祖神が鎮座しています。高さは50cmほど。旧下田街道の傍らに立っていたのをここに移したらしいと、県教委発行『下田街道』に記されています。


          青埴神社の道祖神

 この神社の下の家でご主人が植木の手入れをしていたので、話を伺ってみました。そのお話では、

「龍爪神社?もっとずっと上だよ。山の上にあるよ。どんな人がお参りに来るかって?どんな人がって言ってもなあ…。弾よけの神様?そんなことを言っても、誰にも分からないだろうよ。」

とのことでした。全く素っ気ない口振りでしたので、それ以上は聞かずに歩き出しました。またすぐに道を下ってきたご婦人に会いましたので、

「龍爪神社に行きたいのですが、ここを登っていってよろしいでしょうか?」

と訪ねますと、

「おやまあ、本当に行くのですか。山の上にあるんですよ。10分以上かかりますね。」

とていねいに教えてくださいました。
 さあ、では道を登っていくことにしましょう。

 急な上り道は、青埴神社の前から徐々に細くなります。神社の脇を通り過ぎて左に曲がり、少し行くと、人が一人歩けるほどの幅になり、コンクリート舗装が途切れます。辺りは竹林や杉林、あるいは畑です。国道を行く車の音も聞こえなくなり、野良仕事をする人にも会いません。


          トトロの出そうな道

 一旦視界が開けますと、今日は雲一つない晴天。山の緑と空の青の対比が鮮やかです。彼岸花の咲く野道の向こうに、石柱が立っています。近寄ってみると、道標でした。「左 龍爪神社」と彫ってあります。立てられた年代は記されてないようです。

       彼岸花の咲く参道                       「左 龍爪神社」の道標

 この道標の前を左に折れ、道なりに進んでいきます。今度は一転してヒノキ林の中を登っていきます。かなり急な上りですが、ちゃんと土の道がありますので、松崎町小杉原の龍爪神社のそれよりは歩きやすいです。でも、普通の靴では歩きにくいです。少なくとも運動靴を履いていきたいところです。



 ふもとから歩くこと13分、いよいよ登り詰めたかと思うところに、まず木製の鳥居が見えました。どうやら龍爪神社に着いたようです。

 境内は、おお、かなり広いではありませんか。お祭りの行事を開くには十分です。この神社がにぎわっていた頃は、ここで数々の行事が行われていたのでしょうね。

 境内に入ってすぐの左手には、一体の舟形光背を持つお地蔵様がありました。刻銘が摩滅して読めませんので由来は分かりませんが、手は合掌しており、頭の上に細長い冠のようなものが載っています。もしかしたらこれはお馬さんの顔かもしれません。ということは、馬頭観音でしょうか。そういえば、昔は戦役に馬を連れていったでしょうから、亡くなった馬を供養する馬頭観音が立てられているのは不思議なことではありません。

            龍爪神社の社殿                             馬頭観音でしょうか

 境内を奥に進みますと、本社があります。青埴神社のそれよりずっと小さいです。でも小杉原の龍爪神社よりは大きいですね。手を合わせ、お賽銭を入れて、中を拝見しました。ご神体は、お札のようです。行事に使われたとおぼしき木の長いすがあります。社の右には、寄進者の名前を彫った石碑があります。

 おや、社の裏に奥宮がありますね。行ってみましょう。石段を登りますと、鍵の外れた小さな祠がありました。脇の石碑には、明治二十七、八年の戦没者のお名前が彫ってありました。忠魂碑なのでしょう。


     明治の戦没者を祀ったらしき奥の院

 また、傍らの碑には、「龍爪の 神に祈れば ひ□□の あぶみ矢玉は 中よけ□□し 明治三十年 山田平作」 と彫ってあります。□は字の知識不足のため読めないのですが、「龍爪様にお参りすれば弾は当たらないよ。ありがたいな。」というような意味の文が刻んであるのではないでしょうか。そっと手を合わせ、この地を去ることにしました。
 
 さて、山を下りて森島米店さんにお邪魔しました。これから配達に行かれるというご主人は、私のことを覚えていてくださり、地名の由来などについて話してくださいました。そのお話によりますと、

「青埴神社は、その昔この地で埴輪が出土したので、それを祀って神社を建てたそうです。青というのは、たぶんその埴輪が青みがかっていたからでしょう。青埴が変化して青羽根になったそうです。龍爪神社は、近くにある子安神社から分祠し、戦争に行く人を守る神様として祀られたそうです。」

とのことでした。国道脇の鳥居そばの石碑などに刻まれているのは、いずれも明治の年号です。日清・日露の戦争が起こり、出征した父や夫が無事に帰還できるよう、建立されたのでしょう。私の推測では、『龍爪』という名からして、やはり本宮は静岡市の竜爪山穂積神社にあるのではないかと思われます。なぜ竜爪山が弾よけのご加護があるのかは、当地の伝説を紐解いてみないと分かりません。それは次の課題としましょう。できればこの青羽根地区でもっとゆっくり神社についての由来を聞きたいものです。

 さて、次回の古道探訪ですが、伊豆の龍爪神社のルーツ、静岡市竜爪山を登ってみたいと思います。私が25年前に訪れた時、穂積神社は、朽ちてつぶれていました。今は再建され、参道には茶屋もあるそうです。近年のウオーキングブームにより、竜爪山は登山入門者のルートになっているそうですので、きっと行けるでしょう。

では、またどうぞアクセスしてくださいね。
                                             
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