葉
韮山に道祖神を探す   
 
 蛇ヶ橋を越えた下田街道は、三島大社から韮山の成願就院の辺りまで、ほぼ現在の国道をたどるように通っていたようです。

 昭和34年に襲来した伊勢湾台風は、伊豆地方に壊滅的な被害を与えました。韮山の辺りは特にひどかったようです。私が子どもの頃、子供会のバス旅行でこの辺りを通りますと、ガイドさんが、その台風でどのくらい水位が上がったかを示す土蔵の壁が見られると、アナウンスしたものでした。まだ当時は洪水のシミが残った蔵があったのです。

荒木神社(韮山町原木)
 蛇ヶ橋から道なりに2kmほど南下しますと、左に荒木神社があります。住宅の間にひっそりと入り口の鳥居があります。さっそく寄ってみましょう。
 荒木神社は、『延喜式』神名帳の正四位上「あらきの明神」にあたり、かつては「茨城神社」「鞍掛神社」とも呼ばれたそうです。「鞍掛神社」というのは、伊豆に配流中の源頼朝が参拝するごとに馬の鞍を鳥居前の神木に掛けたことに由来するらしいです。

 境内には、常夜灯や道祖神などの石造物、潅漑工事の記念碑、忠魂碑、そして何と戦時中の砲弾が安置してあります。また、右内神社と同じように、沢山の神様が祀られています。見ると、「八坂神社・熊野神社・秋葉神社・道祖神社・水神社・三珠神社・産霊神社」と銘があります。

「道祖神社」というのは道祖神と関わりがあるのでしょうか。調べる課題ができてしまいました。

         道祖神と石祠                          数々の神様

道祖神・道標(韮山町原木)
 荒木神社前の、信号のある三叉路には、道祖神と供養塔と大正時代の道標があります。日当たりが良いためか、道祖神はお顔が風化しています。


       道祖神と供養塔と道標

八坂神社の道祖神(韮山町四日市)
 さらに南に進みますと、伊豆箱根鉄道韮山駅方面に行く道との変則交差点があります。
その左、八坂神社の境内を背にして、道祖神が鎮座しています。この神様は車の中から見ることができますので、信号待ちに当たったら見てください。高さは75cm、保存は割と良い方です。
この画像を撮った時はあいにく消火栓の標識が影を落としておりまして、暗くなってしまいました。残念…。



成願就院(韮山町寺家)
 この辺りは、門を構え、奥に深い敷地を持つ家々が多いです。きっと旧家や古くからの農家なのでしょう。歴史を感じます。

 寺家という字の地域の西方に、文治五年(1189)に北条時政が建てた成願就院というお寺があります。一説によりますと、北条早雲に急襲された足利茶々丸は北方の堀越御所からこの地に逃れて自害した、と伝えられているそうです。茶々丸の墓ということになりますね。

境内には、北条時政や足利茶々丸の墓があるそうです。ということは、もう一つの墓ということになりますね。(拝観料が必要なので、この日は入りませんでした。せこい…。)



鎌倉街道
 寺の東方約50mのところに、鎌倉街道と呼ばれる旧道があります。幅や約2mほど。鎌倉時代に開かれた道でしょうね。今度時間のある時にゆっくり訪ねてきます。

道祖神(韮山町中条)
 成願就院から国道に戻って南に進みますと、道が緩やかに東に折れるところがあります。
そのカーブの外側に店を構えた大型靴店の裏に、丸彫単座像の道祖神が鎮座しています。この辺りの道祖神は、だいたい丸彫単座像です。隣に、高さ2mほどの唯念名号塔と、供養塔2基も立っています。この辺の路地が古い下田街道だったのでしょうか。



 ここから先、古川を渡りますと、道はやがて伊豆長岡駅のある韮山町の中心地に入ります。

南条・本村
 さあ、韮山町で私が一番好きなところ、南条を訪ねることにしましょう。中条から古川を渡って商店街を通り、駅前、ガストなどを通過しますと、脇にガソリンスタンドのある信号があります。下田街道は現在の道よりも東に位置していたそうですが、ここは下田方面と東海岸の多賀(熱海市)との分岐に当たります。江戸時代は、大きく曲がる狩野川の流れを利用して渡船が営まれ、水運の発達に伴う物資集散の地としてに賑わったそうです。
 この辺りも狩野川台風の被害が大きく、吉川静夫氏著『伊豆のサイの神』によりますと、ここの辻近くで貴重なサイの神が流されて失われたそうです。
 
観音堂横の石仏群
 ガソリンスタンドの信号を左折して踏切を渡り、またじきに右折しますと、そこが下田街道です。この辺りは拡幅があまりされておらず、昔の面影を残しているそうです。

 さて、左手に山が迫り、右手に線路や国道が見え始めますと、一時停止の標識のある三叉路に出ます。そこの左手、山の方(東)に入る坂道があります。ここを登っていきますと、私のお気に入り、横山坂があります。
 坂の上り口に、今は使われていないような集会所があります。ここが南条の観音堂で、その奥に石仏群があります。

 ここから先、横山坂を越えて宗光寺に至る横山坂は、天城山以北第一の難所といわれ、交通に大きな障害をもたらしていたそうです。なるほど、ここは狩野川と山の間を国道と旧道、それに伊豆箱根鉄道の線路が狭い土地に並行して通っています。


   手前から旧道、線路、国道、狩野川

  観音堂の横には、横山坂で行き倒れた人たちが埋葬されていたと言われ、江戸期の供養塔や馬頭観音、庚申塔、石仏(無縁さんか)などがたくさん建てられ、供養がなされてきたそうです。その数は実に二十数基。如意輪観音や延命地蔵尊塔などもあります。
 そしていよいよ道は横山坂に向かっていくのです。

      南条観音堂横の石仏群                       天城以北第一の難所 横山坂
                                             
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