葉

万蔵山カリ鉱山の実体に迫る
探索 2007年1月28日   
 
万蔵山寝姿山

 この驚きと感動を、どう言い表せばよいのだろう。

 伊豆にはたくさんの鉱山跡がある。もちろん、毎日その姿を見ている寝姿山=万蔵山…。下り伊豆急電車がわが家の前を通り過ぎる間に「その姿は女性が寝そべる姿に似ているため、寝姿山と…」と説明されるその山にも鉱山があった、と聞いたことはある。(もっとも、女性の姿に見えるのは伊豆急線側から見た時ではなく、柿崎の方から見た時であるが)

 また、ズリ探しの鉱石マニアがそこを訪れて、珍しい石を採取したことをHPに記載している例もある。

 そのHPには「二酸化マンガン鉱物 『ラムスデル鉱』の結晶が採集できる日本唯一の産地」、また「ここの流紋岩はカリウムを多量に含み、昔、カリウムを目的に採掘された こともあるそう」、そして「寝姿山の産地は、観光城 下田城上手の住宅裏の山中にある、採石場跡。カリウムに富んだ、紫灰色の流紋岩中の割れ目に、いわゆる二酸化マンガン鉱を産する。」と記載されている。
 なるほど、鉱石を研究している人たちの調査結果は分かった。カリ鉱石として採取されていたことも確かなようだ。しかし、それを鉱山の存在と結びつけるにはあまりに資料が少ない。当時の様子を語る人も会ったことがない。だから万蔵山鉱山については、実体がまるで霧に包まれたようにはっきりしないのだ。

 だが、またまた “歩く不思議発見レーダー” KAZU氏から貴重な情報が寄せられた。

>ところがまたしても、散歩途中にとんでもない遺構を発見したみたいです
>MZO山インクライン 標高差65m 斜面120m 斜度30°
>上部には、仁科同様のプラットホーム・機械室基礎部が残っておりました
>上部駅右手には試掘坑も・・・

 な、何だって?! MO山って、万蔵山、すなわち寝姿山の別名だよね(あ、バラしていいのか?!)。 それって、確か肥料の原料にするカリを採取していた戦時中の鉱山のことだよね。 その寝姿山にインクライン跡が?! しかも仁科鉱山のそれと同様の? プラットホームと機械室基礎部? えええっ!?

 この情報は、にわかには信じることができなかった。なぜなら、下田の歴史調べに関わる誰だって、そんな話はしていなかったからだ(いや、ただ一人、白浜のSs木さんだけはこの遺構の存在に言及していたが、インクライン跡とは認識されていないようだった)。KAZU氏は何か見間違いをしているのではないだろうか? と最初は思った。
 しかし、あのKAZU氏が間違いをするはずがない。では行ってみよう、MO山=寝姿山へ! 

灯台もと暗し
 メールで聞いたその場所は、何と、これまで何度も探索した、観光下田城上を通り過ぎたところの旧ホテル上の水平筋から目と鼻の先にあった。

 そう、これまでここには何度か来ている。南北に延びる水平筋。それはトロ線跡と噂されていた。またそこでズリ捨て場のようにおよそ大きさの揃った石塊が無数に転がっている斜面も確認している。しかもその南では、謎のトン○ルやレールの断片も存在している。
 が、その北側については、そこに何かがあるかもしれないなどということはまるで考えていなかった。だって、そちらには道路の建設によって掘削された急斜面が見えるだけだから。 うーん、これは大きな不覚かも…。

鉱山レーダー発動中!
 午前8時、さっそく磯氏の携帯に連絡を入れる。と、驚くべき返事が来た。 磯氏は今まさにその場所にいて、探索をしていると言うではないか! そして偶然の一致なのか、そのインクライン跡を見てきたばかりだと言う。 うーん、磯氏の鉱山レーダーは感度抜群。 置いて行かれたのは私だけだぁ〜。

 ちょうどこの日はS川隊長と高根鉱山を見に行く約束をしてあった。 よい機会なので、隊長には直接、旧ホテルの上まで来てもらうことにした。
 一足先に私だけ磯氏と合流。 磯氏は市街へ用事を済ませに行く途中、旧道を車で走っていると何となく呼び覚まされるものがあってここに降り立った、という。恐るべし磯氏の鉱山レーダー!
 とりあえず磯氏と該当場所に行ってみると、おお、確かに堅牢な石垣を組んで作られた台形のレール基盤が見られる。 こんなところにこんな施設跡があったなんて…。気づかなかったのは一笑の、いや一生の不覚である。 旧ホテル上の水平筋にばかり目を奪われていた。 鉱石はてっきりそこから下方に降ろされただけだった、と信じ込んでいたのだ。 ああ、自分の鈍さが悲しい…。

必然の集結
 午前8時55分。 予定より5分早く、隊長も到着。そして私達は合流した。しかし、さらなる偶然というか奇跡というか、用事へと向かうために歩き始めた磯氏を見送ろうとしていた時、背後で停まる車のエンジン音が聞こえた。声をかけてきたドライバーは、何という偶然、いやこれはもう必然であろう。情報を寄せてくれた当のKAZU氏であった。これほど4人を引きつけて止まぬ万蔵山カリ鉱山。そこからは強いオーラが発せられているのだろう。

 しかし、KAZU氏は別の場所に探索に行くという。 ならば、と、隊長と私はインクライン跡に足を踏み入れた。 

 インクラインとは、鉱山の採掘場所から鉱石を運び降ろすためのケーブルカーの施設である。 先行視察したKAZU氏のGPSデータによると、この寝姿山インクラインの規模は、標高差65m 斜面120m、斜度30°とのことである。


   旧ホテル上の市道から見た麓駅付近  こんな所にインクラインがあったとは…

 今でも丈夫そうな石垣がレール敷設面の両脇をがっちり固めている(レールは既にない)。両脇の窪みは、排水溝であろうか。幅は約5m。ここにレールが敷かれ、トロッコが上下していたと考えると、(こんな所にねぇ…)と感慨を深くしないわけにはいかない。


      右は擁壁 中央は排水溝 左がレール敷設面となる

遡行開始!
 では、インクライン跡を遡上してみよう。

 レール敷設面には、すでにたくさんの雑木が生えている。特に底部から2/3のあたりの薮はすごい。 こんな時は隊長の鉈が活躍する。私もそろそろ装備を考えないといけない。


           登攀開始! あたりの様子を見ながら登る


         途中の激薮の部分  雑木やツルが茂っている


          レール敷設面にはバラストが残っている

プラットフォーム出現!
 藪や木立のために、下からインクラインの最上部は見えない。
 100mほどを15分ぐらいかけてゆっくり登ったであろうか。 突如としてコンクリート製のプラットホームが現れた。 これか! 見まごう事なきプラットフォーム。ああ、やはりここにはインクラインがあったのだ! 


        仁科鉱山インクラインをそのまま小規模にしたような造りだ

 ホームは2つあったようだ。 やはり仁科鉱山と同様、動力機械か制動装置が据え付けられていたと思われる基礎がある。本当にKAZU氏の言うように、これは仁科鉱山のインクライン跡のミニチュア版のようだ。


       これはトロッコに鉱石を積み込んだ場所か

露天掘り そして試掘跡
 山頂駅の周辺は露天掘りがされていたのだろう。かなりの平坦地が広がっている。

 そしてこの坑道もあった。 試掘跡のようである。





 インクライン跡とは少し方向を違えて延びる排水溝も見られた。


          インクラインの下る方向と少し角度を変えて南を向く排水路

 駅の背後に回ってみた。 こちらにもだいぶ山肌を削った跡がある。しかしその先に採掘の跡はなかった。

 黒い蛇腹を持つパイプが尾根に延びているが、これはテレビ電波の中継塔に延びる通信線だろう、と隊長が判断した。電力供給のためのケーブルならもっと太くて丈夫な線にするからだそうだ。なるほど。

下降 そして次なる施設跡へ
 隊長にモデルになってもらった。インクラインの傾斜は、かくの通りである。



 旧ホテル北側の山肌で見つけたインクライン。 その麓駅は現市道と接している。そして旧ホテルの南側の山肌にも水平道があり、ズリが確認されている。つまり、この一帯はカリ鉱石の採掘場所だったということができるのである。

 では、採掘した鉱石はどこへどうやって運んだのか。

 実は、観光「下田城」の近くに謎のトン○ルがあり、やはり鉱石の運搬に供せられたとの情報がある。また、昭和40年代まで、下田湾黒船ホテル近くに鉱石積み出しのための桟橋跡が残っていた、という話と写真が残っている。しかしそれらの話と施設跡は、まだ一つのものと関連づけることはできない。

 一方、カリ鉱石を原料とした肥料工場が丸山にあった、という話ある。まてよ、丸山? それならこの旧ホテルのすぐ下に位置する。もしかしてインクラインと旧ホテル上の水平道から掘り出された鉱石は、そのまま丸山に現市道を横切って運ばれたのではないだろうか。それなら最短距離で運搬することができる。

謎のコンクリート遺構
 旧ホテルの脇から、道下をのぞき込んでみる。すると、不法投棄されたゴミの間に、何とコンクリート製の基礎のような塊が見えるではないか!


         市道脇の空き地から下を見下ろすと、これが見える


          旧市道の橋脚だろうか

 一体このコンクリート塊は何の基礎として用いられたのであろうか。
 あたりをくまなく探していた隊長が声を上げた。

「これは旧道の一部だったんじゃないかなあ。ホテルのある場所に橋を架けて道を通したのかもしれないよ。」

 確かに、昭和40年代までガードレールの役目を与えられていたタイプのコンクリートのブロックが見られる。現在の道を付け替えるまでは一段低いところを市道が通っていたのだろうか。


     これは橋台だろうか 上にのる隊長の姿を参考にして大きさを見てほしい


      昭和40年代まで使われていたタイプのガードレール? だ

ホッパーなのか?!
 なおも下降する。すると、今度はやはりプラットホームかホッパーの機能を持つと思われるコンクリートの施設跡が見られた。


         丸山住宅の方に向かって鉱石を落としていたのか

 さらに下ると、もうそこには丸山住宅の一を視界にとらえることができた。丸山にあった肥料工場は、終戦前に敵機の爆撃を受けて炎上、消滅したと聞いている。その後に丸山住宅が建設されたのだ。ここに住宅があって然りなのである。



 つまりここまでの話と探索結果を総合すると、こうなる。

 市道に沿った旧ホテル付近の寝姿山=万蔵山には、露天掘りのカリ鉱山があった。最上部の露天採掘場所からはインクラインで鉱石を降ろし、旧ホテル上の鉱区からはそのまま水平道を使ってホテル脇まで降ろした。

 その後、鉱石は市道と立体交差して降ろされ、そこからホッパーによって真下のカリ工場へと降ろされた。いかがだろうか。

 謎のベールに包まれている万蔵山カリ鉱山。 今回はその実体の一端をこの目で見ることができた。身近な小探索ではあったが、想像を越えた発見がそこにはあった。 今後は、識者や資料を当たって裏をとることに目標を置こう。まだ私(達)の知らない下田の歴史がどこかに隠されているに違いない。

                                             
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