葉

梨本から湯ヶ野へ
探訪2002年10月5日   
 
河津七滝
 駐車場の上で牛頭天王などの石造物を見た後は、大駐車場に下りて一休み。気になるそば屋も傍らで暖簾を出していますが別の機会にして、今回は足を先に進めます。もちろん、河津七滝巡りをしてもいいですね。せっかく来たのですから。ただし一番大きな、上から数えて七つ目の大滝は某旅館の私有地となっているそうで、せっかく階段を下りて見に行っても、遠くから眺めることしかできません。いちおう展望所はあります。もちろんお金を払えばもっと間近で見られるそうです。

 いったん牛頭天王のある三叉路に戻り、道なりに歩きます。民家の間を通って、間もなくバス通りに出ますと、向こうに威容を誇る河津七滝ループ橋が見えます。この辺りはループ橋建設に伴ってだいぶ地形が変わったため、下田街道は消えたり現在の道に吸収されたりして、ほとんど古道の面影はありません。あえて歩くなら、ループ橋が近づいてきた辺りで車道の右側にある金網を目印にし、車道から外れ、金網に沿って続くコンクリートの側溝の蓋のある細い道を行きます。ここが街道の名残だそうです。金網に沿って歩道状の道を行きますと、道が左右に分かれています。右は行き止まりですので、左に進みます。するとその道はループ橋の下でまたすぐに車道に戻ってしまいます。まったく風情のない所です。
 

 右のガードレールの切れ目が下田街道の入り口です

 しかたなく少しバス通りを行きましょう。次の街道の入り口は、民宿「青木の坂」の立っている三叉路です。そこを右に下るように入り、南下します。やがて道は左上の高いところに国道を見上げるようにして進みます。左は田圃や住宅地、右手は河津川に落ちる断崖となっています。


        下田街道の入り口 その2

石仏街道
「青木の坂」から入って梨本の宿に至るこの道を、私は密かに「石造物街道」と呼んでいます。それほどに、路傍に数々の石造物を見ることができるのです。石祠、宝篋印塔、大日如来石柱、馬頭観音、廻国塔、供養塔、念仏塔、題目塔など、それぞれかけた願いは違いますが、どれも歴史の中でひっそりと続けられた人々の営為の様子を確かに残していると言ってよいでしょう。


        街道の下り

石祠
 「青木の坂」から入って左手に田圃を見ながら歩きますと、石祠が二つ並んでいます。由来は分かりませんが、サイの神か道祖神か…、そんな由来があるのでしょうか。


     道祖神でしょうか

石祠
 しばらく下っていきますと、左の田圃の続きの木立の下に、石祠が3つ立っているのが見えます。資料『下田街道』によりますと、右のは「稲荷」でもとは個人の屋敷神だったのが大正震災後ここに移されたそうです。真ん中のは「阿闍利神(あじゃりしん)」(どんな神様?)で、左のは由来不明だそうです。


      何の神様かな?

石仏群
 
これはすごい! と声を上げたくなるような石仏群が祭壇にたくさん並んでいます。その数、実に20基余り。見ると、大日如来が多く、供養塔や地蔵も混じっています。この辺りの道路工事をする際にここに集められたそうで、破損した塔も見られます。ちなみに、その上にそびえるケヤキの木の根元にも石祠があります。画像で分かりますか?


  振り返って見た石造物群 木の下にも石祠があります

関戸播磨守吉信の墓
 稲梓では有名な深根城主関戸播磨守吉信ですが、そのお墓の一つがここにあります。茶々丸の墓は宝篋印塔ですが、この播磨守の墓も同じ塔です。こちらの方が小さいですが、風化や盗難から守るために頑丈に作られた祠に納められており、保存状態は良好です。


       祠の中には宝篋印塔が

水草の墓
 吉信の墓からまたしばらく行きますと、左にアオキの大木が見えてきます。その近辺は個人の墓所になっており、根元に石祠と並んで崩れた宝篋印塔があります。これが曾我物語で知られた工藤祐経の祖母に当たる水草の墓と伝えられているそうです。曾我物語についてはまったく知りませんので、後日調べてみることにします。


     
左が水草の墓だそうです

大日如来
 さらに進みますと、道はいっそう落ち込むような下り坂になります。その向こうにコンクリート製の大沢橋が見える辺りの右に、上に上がる石段があり、いくつかの石造物が安置されています。
 木々の根元の暗くひっそりとしたところに、馬頭観音、大日如来、お地蔵様などが並んでいます。日当たりが悪いことでかえって保存がよく、苔むしていますがいい雰囲気で立っています。


        坂の上の馬頭観音

大日如来・観音菩薩
 大沢橋を渡りますと、道は竹藪の間を行く平坦なコンクリート道となります。前方が明るく開けた所の左手の畑の上に、石塔が建っています。
 銘として表に「大日如来 観音菩薩」と彫ってあり、「如是畜生…」と側面にあります。こちらも農耕作業に使っていた牛馬を弔うための塔なのでしょう。

道祖神
 その大日如来から間もない右に、木造の小祠があり、中に木祠が納めてあります。これはこの辺りでは珍しい木製の道祖神です。天城や河津以南の道祖神は石祠が多い中で、これは異色の神です。中に昭和五年の棟札があり、「奉造立道祖大神」「横瀬組中」と記されているそうです。
 いよいよ道は里に近づき、まもなく梨本の宿にたどり着きます。ハリスや松平定信一行の泊まった宿場は目の前です。

          珍しい木祠の道祖神

梨本
 左から流れてくる支流を橋で渡りますと、そこは梨本の宿です。江戸時代の面影を残す石垣が立つこの集落は、落ち葉を燃やす煙がたなびき、ひっそりと何軒かの民宿が立っています。
 下田街道はここでいったん現国道に出、すぐに右にそれて国道の一つ下を南に進むようになります。
今回は、この辺りで重要な歴史を持つ慈眼院に寄りますので、車に気をつけながら国道を下ることにします。


        梨本の集落へ入る道

慈眼院
 広い国道が真っ直ぐ下り、左に大きくカーブをする左に、慈眼院があります。
 ここは安政四年(1857年=明治維新の11年前)にハリスの一行が江戸に上がる時に宿として泊まった寺で、それを伝える案内板が立っています。
 ここの境内には、道標や廻国塔などが立っているそうですが、墓石があちこちにあるので、案内してくれる人がいないと分かりません。和尚さんに会えるとよいのですが…。

  
                  慈眼院の境内
                                             
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