葉

宇土金から滑川への古道に再チャレン
そして道は…
   探訪2005年1月9日
 
 正月3日に宇土金から滑川を目指して歩いたものの、ヒトボシ地蔵様から先はどうも不明で、しかたなく引き返してきました。 かなり奥まで進んだと思うのですが、どうも市役所の1/1万の地図にある道筋は微妙に違うし、このままでは何とも気持ちが良くないので、3連休となった成人の日スペシャルウイークの初日に、今度は滑川側から歩くことにしました。これなら、きっと道は分かりやすいに違いありません。

 取り付きは、地図で確認してあります。滑川の洞に入って、常夜灯のある分岐を右に入り、S字カーブの出口辺りから山に入るのです。前回歩いたルートを地図で見る限り、うまくいけば意外と短い距離でこの前引き返した地点に出ると思うのです。

 さて、稲梓小学校の前の道を北進し、北湯ヶ野を奥に進みます。
 途中、産業廃棄物処理場の前に下へ下りる道があり、傍らに明治三十年建立の常夜灯が立っています。躯体に「庚申燈」とあります。「庚申塔」でも「常夜燈」でもないところが変わっていますね。今回のルートでは、滑川側に見られる石造物は、これのみと思います。


   わかりやすいところだと思います ここを右へ下ります


   明治三十年十一月吉日建立 発起人の銘あり

 さて、道なりに進み、S字カーブの所に来ました。が、あれ? 山道の入り口らしきところが見あたりません。
(おかしいな…?)と思いながら、一旦素通りし、奥の集落に進みました。その先にに大きなお宅が見えます。こんな時は、土地の人に伺うのが一番です。今回も尋ねてみましょう。そうやってこれまで何度助けられたことか…。

 そのうち、思い出しました。こちらは、かつて稲梓小学校に赴任した時、新任の挨拶に伺ったお宅です。確かおじいさんが市の教育委員をされていたような…。それとも区長さんだったかな。


   奥に見えるお宅で道を尋ねました(古道は赤い車のある所から)

 失礼を承知でお庭におじゃましますと、ちょうど庭にご主人がおられたので、事情を話して道を教えてもらいました。

私:「失礼します。この辺りから山道に入ってヒトボシ地蔵の脇を通り、宇土金の達磨大師に繋がる道を歩きに来たのですが、どこに入り口があるのか、教えていただけますか?」

ご主人:「え? 宇土金? ああ、行けるよ。うーん、ちょっと急いでいるんだけど、いいよ、教えてやるよ。ちょっと待ってて。」

 ご主人は、そばの作業棟からカレンダーのメモ用紙を持ってきて、軽トラの荷台で地図を書きながら教えてくれました。ありがたいことです。

ご主人:「入り口は、ほら、今上がってきたところに石組みがあっただろう? そこが宅地のようになっているんだけど、その奥から入るんだよ。行けないように見えるけど、茅が刈ってあるから、行けるよ。(そうだったんですね。道理で車道から見えない訳です。)

 宇土金までの半島を地図に書くとさ、(サササッとボールペンを紙の上で走らせて…)ここが稲梓小学校。ここが達磨大師。達磨大師のすぐ横からも来られるけど、本当の道はこちらの火の見櫓のある所だよ。(そうですね。私も前回はそこから入りました。)

 間に、こう尾根があって、所々に枝尾根があるけどね。初めは真っ直ぐ登っていくんだ。すると途中で、分かりにくいけど横道があるから、そちらに入って少しずつ尾根に近づくように登っていくよ。ここで一度尾根に出ると、下に下りる道があるよ。そちらに下りると、宇土金の一番奥に繋がっているよ。」

私:「鈴木造園のところですね。」

ご主人:「何だ、よく知ってるじゃ。 そうだよ。で、そちらには下りずに東に進むと、ここで尾根をまたいで反対側に出る。するとここにあるのがヒトボシ地蔵さ。ちょっと高くなっている所にあるよ。その手前の尾根を南に横切ると、ジグザグの悪い道だけど達磨大師に出るのさ。」

私:「はい、全体像がよく分かりました。ありがとうございます。」

ご主人:「でも何しに行くの?」

私:「古い道を歩いて、デジカメで写真を撮っているんです。」
ご主人「…………。」 (←変な男、という表情)

 その時、作業棟(台所?)の中でポテトサラダ(?)を作っていたお母様が私に気づき、「猟師がいんじゃねんけ?」と心配してくれました。

ご主人:「鉄砲打ちが山に入っているけど、数は少ないだろうよ。でも気をつけて行きなよ。」
ご主人も気遣ってくれます。

  それにしてもこの方は、大変詳しく知っておられます。ヒトボシ地蔵様や上の道、中の道など、普通の人は知らないのではないでしょうか。 見ると、軽トラに無線のアンテナが立っています。奥では、複数の犬の吠え声がします。きっと猟師をしておられるのでしょう。まさに道を尋ねるに相応しい人に聞けて、ラッキーでした。

 教えてもらった山道の入り口に車を置き、さあいよいよ歩くことにしましょう。ドライビングシューズをゴム長靴に履き替えて…と。(が、ここでいただいた手書きの地図を、うかつにも車の中に置いてきてしまったのです。それが後々になって探索の障害になろうとは…。)

 元は屋敷が建っていたと思われる敷地は、茅に覆われていますが、確かに人が歩けるように刈り払われた所があります。ちょっと分かりにくかったですが、入って左手の一段高い所に登りますと、沢の奥に伸びる踏み跡が見つかりました。

 

        古道の入り口はこの左手です

 道は、涸れ沢の右岸を登っていきます。周囲の山肌はヒノキ林で、伐採作業をした跡が見られます。途中で道は左岸に渡りました。


       道は荒れていますが、踏み跡ははっきりしています


炭焼き釜の跡も見られました。


         右の崩れた辺りが炭焼き釜の跡です


      まだ始めのうちはこのような道が認められたのですが…

 そのうち、沢は細くなり、道もあやふやになってきました。沢にはアオキの灌木がびっしり生えていますので、それをかき分けて歩くのは困難です。そこで、右岸のちょっと離れたところを歩くことにしました。おや、灌木の中に、炭焼き釜とはまた違った石組みがあります。畑や作業後屋のあった跡でしょうか。


       石積みと言えばberryさん。いえ、何のために積んだのでしょうか

 やがて涸れ沢はV字型からU型に変わりました。さて、宇土金への道はどのように通じているのでしょう。
とりあえず尾根の方を目指して登っていきました。かろうじて踏み跡がそちらに認められたからです。

 坂は徐々に勾配を増し、登るのが大変になってきました。周囲はヒノキ林のために暗く、眺望もききません。このまま谷を登って下りるだけなら道に迷うことはないと思うのですが、念のため、アオキの枝を折りながら進むことにしました。と、あれれ? すでに私のように枝を折った跡があります。折口の跡からして、そう、1〜2週間ほど前に折ったのではないでしょうか。もしかしてもう一人の古道探索者がいるのでしょうか? うーん、お友達になりたい。(笑)


         徐々に道は単なる踏み跡になりました



            おお、先客あり?

 ヒノキの木に手をかけ、山肌に張り付くようにして登っていきます。とっくに上着は脱ぎ、ひいひい言いながら歩を進めます。これで少しは体力づくりになっているでしょうか。さあ、いよいよ尾根が近くなってきました。でも宇土金への道はどこに? 実は、ところどころに、獣道のような細い踏み跡が左右に走っているのです。山仕事をする人たちが利用する道なのでしょうか。とりあえず尾根に出て、そこから東進することにしましょう。いずれ上の道(鈴木造園方面)に合流するはずですから。


          ここを行くのは、まさに探検です(ウソ)

 もう稜線はすぐそこ、という所で、岩の下から水の沁み出ているのが見られました。こんなに尾根に近いところなのに、不思議です。

 さて、ようやく尾根に出ました。尾根筋は防火線(山火事が起きた時に火が山を跨いで伝わらないように、木を伐採してある所)になっており、そこから東側は雑木林になっています。が、やはり眺望はききません。それにしても、ここまでの急な山肌が道になっているはずがありません。きっと途中にあった獣道のいずれかで右折して宇土金方面に向かうに違いありません。(前述の、地図を車中に忘れたことがここで影響してきたのです。)



 とりあえず防火線にそって東進することにしました。おっと、念のため、目印として枝に紙を結んでおくことにしましょう。

 初めのうちは稜線に沿って順調に下っていきましたが、あれれ、徐々に防火線には雑木が目立つようになり、そのうちただの薮になってしまいました。その上、勾配も急になり、とうとう下りるのをためらうような状況になってしまったのです。地図上ではちゃんと東進していると思うのですが、遠くの山の様子も見えないし、尾根筋を間違えたのかな? という感じです。 木々の枝には、先に来たと思われる人が青いテープを巻いてあるのですが…。

 このままここから西に下りても道に出ると考えられますが、それは自信がありませんでした。やっぱり猟師さんのようにはいきませんね。(それでは古道探索者失格なのですが…。)

 結局、今来た防火線を戻ることにしました。今回も探索失敗…。ダメですねえ、せっかく道を聞いて臨んだというのに…。車を降りてここまで1時間の道のりでした。

 そうして失意のうちに稜線を戻り、滑落しないように気を付けながら斜面を下りました。

 でも、このまま帰ったらいっそう悔やまれますね。古道ハンター(誰が?)としては、もう少し探してみないと…。

 と、ここでさっき話を伺ったご主人が「横道を行くんだけど、分かりにくくて…。」と仰っていたのを思い出しました。(改めて地図を持ってくればよかったと思いました。) そう、どこかに水平に走る道があるのです。そこで、獣道を見つけたらとりあえず東に入って歩いてみることにしました。

 1本目。ここか、と思う踏み跡に入ってみましたが、まだまだ標高が高いので、不自然でした。踏み跡も消えたので、やめました。

 2本目。いい感じで歩いていったのですが、50mほど行ったところで道が消えてしまいました。それにまだちょっと標高が高い感じがします。

 3本目。かつては作業小屋があったのか? と思われる石組みがある地点で、北に行く踏み跡が見えたので、そこを逆にとり、南に入ってみました。踏み跡も明らかに続いていますね。おやおや? かなりそれが続いていますよ。
 

         石組みの下を通って延びる道があります

 いい感じで道は東に延び、やがてヒノキ林を抜けて雑木林に入りました。道幅は広くなったり狭くなったりしますが、明らかにこれは道です。もしかして…!!!


          こ、これは道です! どんどん東に延びています

 一部に薮をこぐような場所があったり斜面が滑り落ちて足元が危ない所もあったりしますが、徐々に周囲は明るくなり、また方向も正しいように感じられるようになりました。私はもう心がはやって、わくわくしてきました。


       古道の雰囲気と香りがぷんぷんしています


      うっ、ここは行けるのか?  行けるんです
 
 そうしてとうとう、ここは? と思うところに出ました。この茅が茂っているところは…、前回引き返した地点ではないでしょうか?!


       こ、ここは見覚えのあるところ… もしかしてもしかして…

 南側の展望も、前回写真に撮った景色そのままです。そうそう、ここを通過するとやがて上の道への分岐があり…、


     左が、「上の道」へ 右真っ直ぐが、「中の道」と「下の道」へ繋がります

足元に空き瓶が落ちていて…、そのまま行くと山芋を掘った跡があり…、これです。巨大な倒木!


          出たぁ〜  前回見た、巨大な倒木です

 とうとう道が繋がりました。やったぁー!!!
 Mission accomplished! 久々に味わう充実感です。この瞬間があるから、私は古道を歩くのかもしれません。

 そうと分かったら、道を検証しながら帰ることにしましょう。

 前回は地図をよく見ないで来たことと、茅の生えている地点を通過してから道がはっきりしなかったので引き返したことが敗因でした。が、そこを通り過ぎれば、また踏み跡は復活していたのでした。それ以外にも弱気な心が災いしたこともあったのですが。この道はおよそ等高線に沿うようにして南北に走っているので、見当をつけていれば、そうそう道を見失うこともなかったのかもしれません。古道探索には、地図と方位磁針と勇気が必要なのです。(ただし、時には引き返す勇気も大切です。もちろん。)

 未知の道は、行く時は時間がかかり、帰る時は意外と早いものです。踵を返してからは、半分ぐらいの時間で石積みの所まで来ました。

 が、よく考えてみると、この分岐になる地点には、案内がありません。道を知らずに宇土金から歩いてきてここにたどりついても、誰が沢を下って滑川に出ると思うでしょうか。 いえ、きっとそのまま横道を歩いていってしまうに違いありません(沢沿いに踏み跡がはっきりしていれば別ですが)。 そしてどこに出るか…。うまく滑川の奥の林道にでも接続していればよいのですが、あきらめて戻ってくるのが関の山ではないかと思います。ただし時々ですが下の方で車の走る音が聞こえるので、勘のよい人なら沢を下るかもしれません。私にはそうした勘も才能もなかった訳です。
                     
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