葉

旧三津坂隧道で洪作少年が見た景色は〜その2
探索 2007年8月29日   
 
旧三津坂隧道西側にて
  三津側で草刈り機を振っている男性は忙しそうなので、挨拶だけして通り過ぎた。すると、このような分岐点に出た。


     左が旧隧道への道  真っ直ぐ行けば旧道に至ると思っていたのだが

 上の画像は、一旦通り過ぎてから振り返って撮影した。向かって左に入るのが、旧隧道への道である。

 では真っ直ぐ進んでいる道はどこへ通じるのだろう? もしかして、旧隧道が開通する前に通っていた旧道ではあるまいか?
そう思って、歩いてみることにした。

 道はいい感じに曲がりくねりながら上っていく。このまま行けば、切り通しの峠に至るのではないだろうか。そんな期待が膨らんだ。


         いい感じの峠道ではないか  期待は膨らんだ

今日の失敗
 まだ見ぬ峠を目指して歩きながら、私は思わず(しまった…)と呟いた。今日はトンネルだけ覗いて帰るつもりだったので、着替えを持ってきていないのだ。坂を歩いていると、暑い〜。蒸し蒸しする〜。半袖のポロシャツはもう汗ぐっしょりだ。これからは、車に探索用具一式を備えておかなければならないな。次回からはそうしよう。

 いよいよさっき歩いてきた旧隧道への道がだいぶ下に見え隠れするようになった。もうすぐ旧道の峠かな〜。


   旧隧道を見下ろすこととなった  いい感じだ  でも…

石造物とそこにあったものは
 まもなく峠か、と思う途中で、石造物が目に入った。


           よく見たら、2つとも墓石だった

「南無妙法蓮経」と髭文字で書いてあるので、てっきり念仏塔かと思いきや、それは江戸後期の墓石であった。普段は墓石の写真は撮らないのだが、何かの資料になるかもしれないので、撮影した。

 すると、足元に硬貨が落ちている。10円玉か、と思って手に取ると、穴が開いているではないか。5円玉?

いや、それは、何と寛永通宝であった! ええええーっ!?


        とても信じられない!  寛永通宝って…

ほら、寛永通宝でしょ? 寛永時代といえば、西暦1624年〜1643年に当たる。今から380年ほど前の時代だ。これがコンクリート舗装された坂道の真ん中に落ちていたんだよ。もちろんお墓に供えられたお金だと思うのだが、これまでの風雨に晒されても流されずにここに落ちていたという訳? あり得ないですー。だって、このお墓の建立年は嘉永年間。嘉永はペリーが下田に来た江戸の最後期に当たる1848年〜1853年。寛永よりずっと新しい時代だ。あり得ない…。ひょっとして最近、古銭店で買われて、ここに供えられたのかな、とも思う。不思議だ…。(この古銭は、改めてお墓に供えてきた)

少し行くと、また石造物があった。こちらも墓石だ。この峠で行き倒れになった人のお墓かな。


        またしても墓石があった  なぜ?

 ようやく峠に出た。と思ったら、あれれ、峠の向こうは道が消えているぞ。いや、道はあるが、人が一人、辛うじて通れるかどうか、という荒れた細道になっている。どうしたことだ、これは…。


          やたーっ、峠だ、と思ったのだが

 峠の広場には、こうした石造物があった。これは地蔵塔のようである。


        高さ1mほど  この峠の石造物の中で一番大きい

 この山細道を下れば、旧隧道の東側に出るのだろうか。辺りには畑が作られている。少し下ってみたが、踏み跡はすぐに不明になった。ここを麓まで下るにはかなりの決心がいるだろう。それと装備も。今日はその気がないので、引き返すことにした。


      いきなり道は左右に分かれる山細道になる

 旧隧道との分岐まで戻ると、さっき作業していた男性が休憩していた。もうおひと方いるので、再び挨拶をして、話を伺ってみた。男性は50〜60歳ぐらいか。私よりは年上だと思う。

「こんにちはー。お疲れ様です。私、今、この辺りを歩いてきたんですが、この峠道は、トンネルができる前の旧道ですか?」

「この道を歩いてきた? いや、これは違うよ。この上にある畑に行く道だよ。」

「そうなんですか。農道ですか…。」

「そうだよ。古い道はこっちを行ったところにあるトンネルさ。草は生えているけど、通れるよ。行ってみたらどうだい?」

「はい、さっき通ってきました。」

「ああ、あの時通っていったのはあんただったの。引き返してきたんだね。どうしてまたこんな道を来たんだい?」

「ええ、古い道を探しているんですよ。」

「ふうん、何かの調査かい?」

「いいえ、単なる趣味です。」

「そうかい、珍しいなあ。」

「何かこのトンネルについてご存じのことを教えてくださいませんか?」

そうした会話の後に続いた話は、次のような内容だった。

「あ、ああ、これはさ、『しろばんば』の井上靖が叔母さんの家に遊びに来る時に通ったトンネルでさあ。今でもその叔母さんの家は三津に残っているけど。それで知られているよ。」

「トンネルを抜けて坂の上から見える街の景色がきれいだって書いているけど、ここからは昔もそんなに三津の家々は見えなかったので、実際にはもっと下の方に下ったところで見た景色を言ったんだろうな。」

「今の新しいトンネルから三津に下る道は、古いトンネルから通じていた旧道とほぼ同じだよ。旧道の幅を広げて作ったからね。ただ一カ所だけ、この下の自動車修理工場の上に、元の道が残っているよ。」

「三津は、昔、漁が盛んなところでね。マグロが捕れると、氷室から氷を出して箱詰めし、馬の背に載せて長岡に運び、そこから馬車で江戸に運んだんだよ。船便で行くよりも速いだろう? マグロは傷みが早いから、船積みだと痛むそうだ。鯛なんかは船で江戸に運んだらしいけどね。」
「その頃(江戸時代)はトンネルはないから、その上の峠道を行ったんだよ。」

「それと、温州ミカンね。ミカンをふた籠も馬に積んで長岡に行けば、女郎が買えたそうだよ。今じゃ、軽トラに山盛り積んでいっても買えないけどな。(←うっ、問題発言…。 (^_^;) 」

古いトンネルはさ、長岡の中学に通う男子学生が通学で通った時の話が伝わっているよ。昔の自転車は今と違って灯りがついていないから、夜のトンネルの中は(出口が見えなくて)真っ暗な訳さ。それで冬の帰り道は自転車で一列に並び、先頭の1台の学生が長い竹竿を持ってさ、それをトンネルの壁にガリガリって当てて擦りながら走り抜けたそうだよ。今ではすっかり荒れてしまって、山に帰りそうな勢いだから、こうして時々出てきて、草を刈っているのさ。そうか、下に置いてあった軽(パジェミ号のこと)は、おたくのかい。」


なかなか興味深い話をしてくれた。話してくれた男性は、“しろばんば”のことをちゃんと「し」にアクセントをおいて発音されていた。さすが、地元の人だー。

「しろばんば」の発音とは?
ここで「しろばんば」の読み方について触れておこう。「しろばんば」とは、夕方に舞う小さな白い虫のことである。

普通に読むと、「しろ」を「城」のように「ろ」にアクセントを置いてしまいがちであるが、伊豆仲間のりゅう師匠の話によると、これは「し」にアクセントを置くのが正しいという。
 
  し
       ろ  ば ん ば    
       ろ  ば 
   し     ん ば

一段高いところにある文字にアクセントを置いて読んでいただきたい。私も初めは間違えて発音していた。恥ずかしいニャー。

男性には丁重にお礼を申し上げ、三津の街に下ることにした。


     話を聞かせてくれたお二人  汗だくで草刈り機を振り回しておられた

 ニセの旧峠道(農道)と旧隧道からの交流点からは、このような道で新道と結ばれている。男性達が刈った草が道ばたに積み重なっていた。


           ずっと向こうに新道が見えている

 三津側の旧道と新道とは、このような合流点で結ばれている。左は新三津坂隧道(延長268m)である。トンネル内に歩道はないので、歩行者や自転車には危険なトンネルであろう。


             右が旧隧道への道だ

男性の「洪作少年の見たこの世で最も美しい風景は、もっと下の方にある」という言葉をヒントに、三津の街を見下ろせる地点を探した。


           旧道を拡張してこの新道を作ったという

いよいよ“ この世で一番美しい景色 ”へ
 車の中から風景の写真は撮れないので、ここだ、と思った地点の近くでちょっと広くなった路肩を探し、車を停めて徒歩で撮影に向かった。

 こんな景色がそれに近いのではないかと思う。洪作少年は叔母さんの家を目指して旧隧道を通り抜けた後で、この景色を見ていたのか。今と違って、視界が木々に邪魔されることなく、また広く赤い屋根などや緑のフェンスなどはなかっただろうから、藁葺き屋根などの茶色っぽい家並みが青い海を背景によく見えたのだろう。


    かろうじて木立の間から街を見下ろすことができた

もう少し下ると、内浦小学校の運動場を見下ろすこの地点があった。ちょうど三津から上ってきた白いバスが見えた。


      いい感じでバスが上ってくる  あわててシャッターを押した

道を下って大きく左に曲がると、やがて三津の町に入る。結構、交通量がある。だけど、この辺から見た三津の街を洪作少年は言った、とも考えられるが…。ちょっと旧隧道からは離れすぎているだろう。


       内浦小学校を通り過ぎたところで撮影

信号の向こうに交通標識がある。間もなく海辺に出るはずだ。


          ぐっと標高が低くなった もうすぐ海だろう

 海への突き当たりを左折し、漁協のある駐車場に来た。静かな内海で、2人の釣り客達が世間話をしながら釣り糸を垂れていた。洪作少年の叔母さんの家は、どこにあるのだろう。


旅の終わりに
 今回の探索は、ちょっと立ち寄るだけのはずだったのに、深入りしてしまった。果たして私の見た風景は、洪作少年の見たそれと同じだったのか。確証はない。もっとよく調べて、再びこの地を訪れよう。その時は、三津隧道の上を通る古道を辿ることもしてみたい。三津の街も歩いてみたいなー。


        静かな内海だ  夕日の見える頃に来てみたいものだ

 実はこの後、この街の中で1台の「あひる号」を見つけた。三津に住むオーナーさんがいるとは聞いていたが、本当だった。いつか知り合いになりたいものだ。
                                             
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