葉

満金鉱山跡の巨大エンジンを推理する
探訪 2007年4月21日   
 
お誘い
 「満金鉱山跡に行きましょう。」
 例によってもたらされたKAZU司令の情報により、KAZU司令、S川隊長、磯崎氏、そして私、の探索隊が再集結した。 目的地は、下田最後の秘境と言われた稲梓の満金(みつがね)である。

 4月21日、日曜日。午前7時にK育会館駐車場に集う面々。再会を喜び合い、一路、満金鉱山跡へと向かう。

 満金鉱山。実は、その名はまさにここが金山だったことを示している。 「金で満たされている」だなんて、何と素晴らしい地名ではないか。しかし本当に金が採れたのだろうか?

レールだ!
 磯崎号に乗せてもらい、一路山奥へと進入。
 「ここが取り付き点ですよ。」というKAZU司令の言葉に促されて車を降り、何気なく辺りを見回すと、いきなり凄いものを発見した! 

 何とそこにはまさにここに鉱山があったことを物語る、歴史の証拠があったのだ。いきなりこんな凄い出会いがあっていいものか?!


      さあ、着いた  探索開始!


          って、いきなりあるものを発見! これは…

レールだぁ!

 ガードレール代わりに設えたそれは、まさに軽便なトロッコの車輪に合わせた規格のレールであると思われた。
あったのだ。ここにトロッコをもって鉱石を搬出した鉱山が。


          鉱山稼働時から設えてあったものだろうか?
  
伊豆弁財天
 すぐ近くに弁財天を祀った神社がある。
 周囲には、意味深な石垣と、そこに至る道。そして参道脇にあるほとんど埋没した坑口…。それこそ、ここに鉱山があったことを示す遺構である。はああ、こんなところに鉱山が…。思っても見なかったことである。
 しかし、弁財天様は、何の神様でしたっけ。たしか鎌倉に「銭洗い弁天」様がおわせられると記憶しているが…。


     今回は弁財天様へのお参りはナシ

謎の巨大エンジン
 さて、弁財天様の探訪は別の機会に譲るとして、湧水によってじくじくになっている沢道を、薮を漕ぎながら奥へと入る。既に4月半ばを過ぎているが、まだクモやハチが出ていないのでありがたい。


          いざ、M鉱山跡へ! うっぷ、かなりの薮だ

 それでも顔や手を刺す木々の枝に難儀しながら、歩いていく。
 と、突如、トタン屋根を被せられた作業小屋のような建物が現れた。これは一体?!


            これはいったい何の施設跡だろう!?


       朽ちたトタン屋根 でも鉄骨は頑丈そうである

 建物の納められたそれは、巨大なエンジンであった。厳重にブルーシートが掛けられているが、これがエンジンであることは、大きなシリンダーを内包するウオータージャケットが物語っている。直列6気筒のディーゼルエンジンであろう。一体、何にこのような大きなエンジンが使われたのだろう。


       巨大な動力装置 こんなエンジン、見るの初めて!



      右の漏斗みたいのは、エアインテークとクリーナーだろう


       エンジン始動用のエアコンプレッサーだったと思われる


   エンジンの出力軸側から見たところ  円形のハウジングの中身は何だろう

 エンジンに何か手がかりとなるコーションプレートなどが貼ってないか調べたが、付属のポンプや圧力計に2枚見られるだけで、それも錆びて文字がよく読めない。懸命に指でこすって、ようやくわずかに年代などを読むことができた。


  付属ボンベのプレートは「空気槽容量30… 試験実施日 昭和30年4月 尼崎…」と読める

そして謎のタンク
 さらに奥へ進むと、、巨大な鉄製のタンクが2つ建っていた。タンクから出たパイプが、先のエンジンに導かれている。何を貯めてあったのだろう。巨大エンジンの冷却水だろうか。それとも燃料か。たたいたり石を投げてみたりしたところ、中は空のようだ。


         何の貯蔵タンクだったのだろう

 傍らの沢には、何か重量のある構造物を備え付けてあったらしいコンクリートの橋台のような跡がある。


     これも謎のコンクリート基礎 この上には一体何があったのか

 これは、どこかで見た設備跡である。そう、仁科の戦線鉱業の発電所跡(当時はそう思っていた)の遺構の一部にそっくりなのだ。一体ここに何があったのだろう…。


            そしてタンクの上流側の取水溝(?)

謎の鉄骨
 「この上に道があるんですよ。」というKAZU司令の声に上を見ると、その通り、立派な石垣によって道が通っている。
 無理矢理よじ登り、道を歩く。この道は私たちをどこへ導いてくれるのだろうか。

 やがて、鉄骨だけが残った簡易小屋の跡があった。黒いビニルが散乱しているところを見て、隊長が「シイタケの栽培小屋だろう。」と推測する。かつてここに農業が行われていた証であろう。しかし今は訪れる人もなく、荒れるに任されている。


              シイタケ栽培の小屋の跡らしい
  
坑道群
 立派な道はある。しかしそれも土砂で一部が押し流され、陥没し、荒れる一方である。

 そして林道のどん詰まりに至った。そこは円形の広場になっていた。この広場を中心にして、いくつかの坑口がぽっかりと黒い空間を見せ、放射状に坑道が奥に続いているという。こここそがM鉱山の中心部であろう。


            坑口だ!  中は深いのか!?  

 ヘッドライトに鋲つきロングブーツで武装したS川隊長は、しかしこのM鉱山に特攻する意義を見出さず、不完全燃焼気味のようでであられる。主坑道が埋没しているらしいので、それも無理はない。周囲の状況と長い時間の経過は、私たちに坑道への探索を許していない。


        奥行きは7mぐらいか 試掘跡かもしれないらしい


         そして主坑道 埋没してしまっている 惜しい!

エンジンの謎を推理する
 では、改めて謎の巨大エンジンについて考えてみよう。

 エンジンは、見たところ、水冷式直列六気筒のディーゼルエンジン。ブルーシートに覆われてよく見えないが、弁機構はサイドバルブ方式で、おそらくは船舶用のエンジンを陸上用に改造して設置したのではないだろうか。


  エンジン始動用加圧ポンプのプレート C3型 3馬力らしい(って、よく知らないけど)

 この地の環境からして、発電用のエンジンとして稼働していた可能性が最も考えられる。
 しかし、出力軸に接続されている回転部分のハウジングはあまり大きくなく、発電用プーリーやダイナモが納められているとは思えない。さらに、変電施設や配電盤も見当たらない。これは一体…?

 となると、何の目的をもっていたのだろう。

 よく見ると、エンジンの出力側から塩ビパイプが複数本伸びており、それが道路側に延びていた形跡がある。ここから何らかの液体を圧送していたのかもしれない。


             向こうのタンクは、燃料用か


  エンジンの出力軸側に付けられた吐出チャンバーとパイプ


最終的にこれらのパイプが小屋の外に延びていた  いったいこの先はどこに繋がっていたのだろう

 この沢筋には、ある程度の水量が流れている。巨大タンクの上部には、コンクリート製の取水溝のような跡がある。そこから、2基の巨大円柱形タンク、エンジン、塩ビパイプと、一連の流れを持ってユニットが組まれている。

 ここで、大胆な推理をしてみる。ずばり、このエンジンは、上水道あるいは農業用灌漑用水の配送ポンプだったのではないだろうか。
 巨大タンクは、沈殿式の濾過漕を兼ねた貯水漕だろう。燃料タンクにしては大きすぎるし、冷却水用としても大きい。第一、エンジンから離れすぎている。
 沢の水路から取水し、巨大タンクに貯水。第1タンクから第2タンクへ濾過しながら送り、エンジンで外部へ圧送していたのだろう。(ラジエーターが見られないことから、循環式の冷却ではなく、やはり船舶エンジンのように常時排出型の冷却装置を備えていたものと思われる。)

 ただ、下の林道よりも低い位置に川が流れているし、簡易浄水施設らしきものも見られないことから、個人で組合を作り、限定された家屋に送っていたか、またはある程度の量の水を確保する必要とする特定の農業栽培施設があったかではないかと思う。下の川から取水しなかったのは、水質か地形の問題だろう。
 一見、M鉱山と関連があって、例えば排水用や鉱滓沈殿槽の設備などかと思われる。が、実際はたまたまここに鉱山とエンジンの施設が隣り合っていただけなのではないだろうか。ぜひ貴兄の意見を伺いたい。

失意のうちに帰還
 さて、M鉱山を跡にした我々は、この後、河津町逆川の吉孝鉱山を訪ねた。しかし、土地の少年やご婦人に聞きながら山に分け入ったものの、遂に目標物は見つけられず、失意のうちに探策を終えた。なかなか当てずっぽうでは目的は果たせないものである。それでもM鉱山の謎の施設を目の当たりにして、私の胸は満ち足りていた。次は何とかして「金属鉱山研究会」にアポを取り、話を聞いたり現地探索のお供をしたりしてみたいものである。

そして謎は解けた
 と、根拠の乏しい想像を巡らせてみたが、これは戯れ言に過ぎない。後日、KAZU氏がこの鉱山の関係者に尋ねたところ、以下のことが分かったという。
 すなわち、このエンジンはやはり鉱山の施設の一つだったという。元は、私の思い通り、船舶用のエンジンとのことだ。掘り出された鉱石を洗うために水を噴出させる発動機として使われたらしい。そのための沈殿池もあったそうだ。沢の水量と勢いを補うために据えられたという。満金鉱山跡の巨大エンジン。それは、金鉱の採掘効率を上げるためのやむを得ぬ選択だったのだ。いつ頃から稼働し、いつまで現役だったのか。それは今後の調査に期待したい。でもそんなこと、分かるのかなあ〜。
                                             
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