葉
三島大社から大場(だいば)へ
探訪2002年8月27日


 旧下田街道は、出発点が三島大社とされています。江戸時代の宿場町である三島の中心地がこの辺りにあったのでしょうか。街道は、三島大社の一の鳥居の正面からほぼ真っ直ぐ南下して下田を目指しています。大きな鳥居が、その道をゆく人々を今も静かに見つめています。

三島大社
 元日の初詣といえばここ、といわれるくらい、伊豆では有名です。私は人混みが苦手なので、来たことがありませんが、友人の話によると、元日のにぎわいは相当のもだそうです。元々は、神津島の神様でおられたのが下田の白浜神社に祀られ、その後、大仁の広瀬神社に遷座されて、さらに三島に移って今日に至っているそうです。
 JRあるいは伊豆箱根鉄道三島駅からは、繁華街を南東へ歩いて20分ほど。境内は大変広く、池や門、神殿、宝物殿などの建物がたくさんあります。おみやげ物やさんも何軒かあり、ところてんやおみやげを売っています。境内で祠などの石造物を探したのですが、忠魂碑やくさび跡のついた大岩は見つけたのですが、石祠や道祖神などはありませんでした。この日は本殿の中で神主さんと巫女さんがいて、白い裃のような服を羽織った男女が、結婚式のようなことをやっていました。でも参列者がいなかったです。何だったのでしょう?

         
                        三島大社  立派な本殿です
 
                 
                        一の鳥居 ここが下田街道の出発点です

言成(いいなり)地蔵
 三島大社の鳥居前からは下田街道を拡幅した県道が延び、商店街が軒を連ねています。所々に木造や石造の古い商家などが散見されます。まだ昭和の匂いを残していますね。懐かしいです。
 出発して500mほどいった所の角に、ちょっとした広場があります。その南に隣接して、「言成地蔵」が祀られています。
 このお地蔵様の由来は、聞くも涙語るも涙の悲哀に満ちたお話です。

 貞享四年(1687)、三島宿の少女、小菊が、播州播磨明石の松平若狭の守の行列を横切り、助命願いの甲斐もなく本陣前で手討ちとなったため、後に三島宿の人々が地蔵堂を建ててその例を弔ったということです。その際、小菊が「お殿様の言い成りになりますから、どうぞ命ばかりは…。」ともみじのような手を合わせて命乞いをしたことからこの名が付いたそうです。
 現在、お地蔵様は立派なお堂に納められ、お姿を見ることができません。資料によりますと、お地蔵様は既に表面が摩滅した小さな単立像のようです。でも、土地の人々によって講が組まれているようですから、時々は御開帳されるのでしょう。近くの商店で案内のパンフや絵はがきを売っているそうです。
 境内には、いくつかの道祖神やお地蔵様が祀られています。道路整備の際にここに集められたのかもしれません。
        言成地蔵のお堂                                境内の道祖神

 ここの辻には、戦前に建てられたという米屋さんがあります。古い街道だからこそ残っているのでしょう。でもなぜこんな色をしているのでしょう?


   不思議な色をした米屋さん

妻塚(さいづか)
 言成地蔵様からさらに南下して、路地を東に入った所の住宅の間に、妻塚と呼ばれる小さな神社があります。
 言い伝えによりますと、かの昔、源頼朝の動きを内定していた大庭景親というお侍が、ある通行人を三島大社に参詣途上の頼朝と思って闇夜に乗じて切ったところ、我妻であることを知り、塚をたてて弔ったということです。昔は三島大社の境内がもっと広く、この妻塚の前の小道が大社への参道だったと考えられているそうです。訪れる人も少ないようで、狭い境内はひっそりとしています。


    あまりに静かなので、通り過ぎてしまいました

間眠(まどろみ)神社
 「まどろみじんじゃ」…、何とも不思議な名前の神社です。
 妻塚からとって返し、街道に戻ってほんの少し南下しますと、西側の路地の入り口に「間眠神社入り口」という道しるべがあります。そこを入ると間もなく神社が見えてきます。
 言い伝えによりますと、境内の「まどろみ松」の根元で三島大社へ参詣途中の源頼朝が仮寝したことに因んで名が付けられたそうです。小さな公園が隣接しており、私がこの日訪れた時には楽しそうに遊ぶ子どもたちの歓声が響いていました。


        江戸〜昭和の常夜塔が並んでいます

在庁道
 三島市安久という所から間眠神社の前を通って三島大社に至る道を「在庁道」と呼ぶそうです。源頼朝は三島大社を厚く信奉していたそうですが、鎌倉からの参詣は行程が長く、人々の苦労が多かったため、安久から由緒正しい七人の農民を選び、交代で代参させたそうです。その人達のことを「在庁奉幣使」といい、安久から大社までの道を「在庁道」と呼ぶのだそうです。

 間眠神社の前辺りに当時の面影が残っているそうです。(まだ画像を撮ってません ゴメンなさい)

手無(てなし)地蔵尊といくつかの石造物
 さて、下田街道は現在広く拡幅され、地方主要道として盛んに車が往来しています。江戸や明治時代の街道の様子はほとんど見られません。ただ所々に残る石造物や神社・仏閣にその名残を垣間見るのみです。

 間眠神社から街道に戻り、さらに南下して伊豆箱根鉄道の踏切を越えます。旧街道はここで踏切を跨がずに直進していたそうです。そちらの方への道は住宅街に吸収されているので、仕方なく踏切を斜めに渡る形で越え、先に進みます。左右に田圃が広がり始める頃、道は緩やかに右に曲がります。そのカーブを左に折れると、やがて踏切があります。この辺り、いくつかの石造物が点在しています。

 まず田圃の中の踏切を渡って突き当たりを右折しましょう。少し行ったところに旧家らしきお宅が並んでいます。その塀に寄り添うようにして小さな道祖神が祀られています。高さは50cmほど。残念ながらお顔は摩滅していて定かではありません。
 今から20年ほど前のことでしょうか、三島市で道祖神を集めた展示会を行った時、この神様も借りようとしたそうですが、台座がコンクリートで固められていたために取り外すことができず、仕方なくあきらめたそうです。盗難防止のためにそのようにしてあったのでしょう。

      田圃の中の踏切に電車がきました              旧家の塀に立つ小さな道祖神

 そっと手を合わせて道なりに進み、また次の踏切を渡って街道を目指しましょう。

 この辺りは道が入りくんでいて分かりにくいのですが、川沿いのアパートの裏に、観音様があります。2年前に資料を手にしてここを訪れた時、この観音様は無惨にも竹藪の中に倒れて放置されていました。が、この9月に行ってみますと、立派な台座を作って祀られ、由来銘もありました。しかし、資料によりますと馬頭観音なのですが、現在は「水子観音」と名が付けられています。おそらく地主さんか土地の篤志家が祀っているのでしょうから、間違いはないように思います。でも本当はどちらなのでしょう。


      水子観音とのことですが… 

 もう一つ、街道から分かれた辺りを目指して後戻りするように北上したところの辻に別の馬頭観音があったそうです。しかし近所の奥さんのお話によりますと、こちらは地主さんが家に持ち帰ってしまったそうで、今は見られません。跡のみが見られます。

 さて、もとの街道筋に戻る三叉路に公民館があり、その敷地内に手無地蔵のお堂があります。古い資料『伊豆誌』によりますと、昔、狩野ある若侍が、深夜にこの地を通った折り、髪を引く鬼女の左手を刀で切り落とし、夜が明けてみたところ、左手の無い石地蔵が立っていたそうで、それにより、「手無し仏」の名が付いたそうです。また一説によりますと、この地は「ちちなしの明神」が祀られていたところで、「ちちなし」が「父無」になり、さらに「ててなし」から「てなし」に変化したのではないかということです。

 お地蔵様は立派なお堂の中に納められているので、お姿を見ることができません。残念なことです。どんな形のお地蔵様なのでしょうね。同じ敷地に祭壇があり、いくつかの石造物が並んでいます。庚申塔、馬頭観音、念仏塔などのようです。余談ですが、ここでは、馬糞か牛糞のにおいがします。裏の長屋が牛舎なのでしょうか。昔、じいちゃんちで嗅いだ懐かしい臭いです。以前はどこでも当たり前のようにこんな臭いがしていたんでしょうね。
       手無地蔵のお堂                                  江戸期の石造物

 三島大社からここまで、旧跡を見ながら歩いて2時間くらいでしょうか。そろそろ休みたくなる頃です。おみやげも買いましょうか。手無地蔵から歩いてすぐの街道沿いに、「元祖手無しまんじゅう」という看板を掲げたおまんじゅう屋さんがあります。


       元祖てなし大まんじゅう店

 ここのご主人は割と話をしてくれる方で、なくなった馬頭観音について聞いてみました。

「こちらのお店の裏辺りに馬頭観音があったそうですが、今は見あたらないんです。ご存じですか?」
「馬頭観音? ああ、あるよ。え?今はない? うーん、私が子どもの頃からあったから、もう70年前からはあったんだよ。どうしたんだろうね…。この辺は古い道筋だから、辻があればたいていそこには馬頭観音があったね。」

 残念。土地の方なのでもしかしたら詳しいことをご存じかと思ったのですが…。
 ところで、このお店の「元祖」という言葉が気になります。類似品があったのでしょうかね。辺りに似た店はないようでしたが。今度行ったら伺ってみましょう。
 さて、肝心のおまんじゅうですが、大小さまざまな葬式まんじゅうや、みそまんじゅうなどがショーケースに並んでいます。私はこしあんより粒あんが好みなのですが、せっかくですので、「しそまんじゅう(1個50円 中身はこしあん)」を買って、おみやげにしました。

 下田街道は、ここからしばらくは特に名所・旧跡はないようです。大場の辺りでまた古いものが見られますので、次はそちらでお会いしましょう。
                                             
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